日本のモータースポーツを語る上では外す事のできないレーシングチーム「ARTA」。あの特徴的なカラーリングと、JGTCやスーパーGTで走らせた「ホンダNSX」のパッケージはたくさんのファンを虜にしてきました。今回はそのカラーリングをまとって戦ってきたGT500マシン達の進化を、成績やドライバーとともに、一挙振り返っていきましょう!
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ARTAとは?
オートバックスのスタッフの方のつなぎや、オートバックス店内に「A・R・T・A」という文字を文字並びを一度は見たことがありますよね!?
ARTAとは、
A・・・AUTOBACS
R・・・Racing
T・・・Team
A・・・AGURI
の頭文字で、日本人史上2人目のF1フルタイムドライバーとして世界でも活躍をされ、日本だけではなく世界で名を馳せた元F1ドライバー鈴木亜久里さんが、オートバックスと連携して1997年に設立した日本のモータースポーツプロジェクトです。
このプロジェクトが設立された目的は、F1でチャンピオン争いをできるような世界に通用するドライバーを発掘・育成すること。
ARTAでマシンを操っていたドライバーは日本のみならず、現在海外でも活躍しています。
モータースポーツの底辺から頂点までを占めるようになり、世界最大規模のレーシングプロジェクト体系となりました。
最近ではその活動規模が縮小してしまっている部分もありますが、現在も日本有数のモータースポーツチームとして有名です。
ARTAの略が「AUTOBACS Racing Team AGURI」だったと知らなかった方もいるのではないでしょうか?
レース参戦当初は、正式名称「エー・アール・ティー・エー」なのにも関わらず「アルタ」と実況などで呼ばれていました。
ある程度ARTAについて予習が済んだ所で、活躍してきた歴代のマシン達を見ていきましょう!
全てはここから始まった!2000年 ARTA NSX
NSXでのJGTCシリーズ参戦初年度の2000年。
この年は、チームのオーナーである鈴木亜久里がステアリングを握りました。
それに加えて「DK」(ドリフト・キング)でお馴染み土屋圭市がドライブ。
第1戦ツインリンクもてぎでは、初年度開幕1戦目にも関わらず7位入賞。
第2戦・第3戦とノーポイントでしたが、第4戦の富士スピードウェイでは優勝!
その後は良い勢いに乗れずに、惜しくも第5戦・第6戦・第7戦とノーポイントが続きポイントランキング13位で終えました。
土屋圭市の引退。現役最後のGTマシン 2003年 ARTA NSX
2001年からは鈴木亜久里に代わり金石勝智がドライブしていたNSX。
そして2003年は、勝智がドイツのツーリングカー選手権に参戦するため、従兄弟の金石年弘がドライブしました。
2003年のARTA NSXにおいて、絶対にハズしてはいけないのは”ドリキン”こと土屋圭市の引退。
思うように成績が伸びなかったことや、GTマシンが「ハコ車」から「フォーミュラ」のように速く進化していくなかで、マシンに体が追い付いていかない判断し、現役引退を決意したとのことです。
引退セレモニーでは、師であり憧れの高橋国光さんがドライブするS2000でパレードラン。そしてその車両に脇阪寿一や飯田章、本山哲など、各チームの様々な後輩ドライバーが飛び乗るというサプライズも。
そんな多くの選手にも、たくさんのファンにも愛されたドリキン現役最後のGTマシンが、この2003年 ARTA NSXとなりました。
この年で1度、NAエンジン最後の年になってしまう事に。
ちなみに、NSXの代表的なパーツの1つである「ちょんまげ」(リアハッチガーニッシュ)が装着されたのは2002年第4戦から。
リアハッチを通してエンジンを冷やす用の空気の取り込み口で、GTでは、MRであるNSXならではのパーツですね!
ホンダ陣営が出した切り札。2004年 ARTA NSX(Turbo)
1997年のGT本格参戦からNAエンジンでの進化を続けたNSXですが、圧倒的の不利なレギュレーションや速くなるライバルに対抗する切り札として、ホンダはNSXのターボ化を決意。
前年に引退した土屋圭市が監督に就任し、ドイツのツーリングカー選手権に参戦していた金石勝智がドライブ。その相方として伊藤大輔が抜擢されました。
しかし、この年はマシンの不調やさまざまなトラブルが続きわずか2ポイントしか獲得できませんでした。
NSX勢としても苦戦を強いられ、ポイントランキングではワースト3に。
その原因として、ターボ化による発熱量の増加や、補機類の増加に伴って前年まで研ぎ澄まされていたマシンのバランスが崩れてしまった事等が挙げられています。
ターボNSXはこの年を最後にお蔵入りになってしまいました。
念願のシリーズチャンピオン獲得! 2007年 ARTA NSX
この年から、日本自動車連盟(JAF)の管轄下を離れ、国際自動車連盟(FIA)の所管する国際シリーズとなりました。名称も「全日本GT選手権」から「SuperGT」に変更に。
そんな記念すべき1年目のSuperGTでは、ホンダ勢が「技術的な限界に達した」として一度は見切りをつけたNAエンジンに回帰することとなり、ARTA NSXは第3戦から、その他のNSX勢は第4戦からNAエンジンに変更されました。
ドライバーは2004年から引き続き伊藤大輔に、そして2004年からARTA NSXをドライブしている元F1ドライバーのラルフ・ファーマンがドライブ。
開幕戦は7位入賞からのスタートでしたが、次の第2戦 岡山国際サーキットではポール・トゥ・ウィン!
第2戦に続いて第5戦 菅生戦でも優勝し早くも2勝を上げます。さらに勢いは止まらず、最終戦を前にした第8戦オートポリスで優勝を飾り、ARTA NSXはHONDAにとって2度目となるシリーズタイトルを最終戦を待たずして獲得しました。
これはSuperGTになる前のJGTC時代を含めて、GT500史上初めてのことでした。
長い歴史に一度幕を降ろしたNSX最終年。2009年 ARTA NSX
NSX最終年となった2009年は2007年から引き続きラルフ・ファーマンと、2008年にトヨタ陣営に移籍した伊藤大輔の代わりにドライバーに抜擢されたルーキーの伊沢拓也が2009年もドライブしました。
第7戦 富士スピードウェイと最終戦の ツインリンクもてぎで2勝を挙げ、ランキング2位でシーズンを終えています。
この時は、NSXの後継車両は何なのだろうかと様々な予想が飛んでいましたよね!それに次いで、新型NSXについても沢山の憶測が出ていましたね。
まだまだ続くARTA名車列伝!
次のページでは、ARTAのスカイラインGTRも登場!?