F-1において世界チャンピオンになるには、ドライバーの技量はもちろんのこと、マシンやチーム、そしてその時のライバルなど、様々な要素がすべてかみ合わないと達成できません。しかし、世界選手権はポイント制ですから、1回の優勝でもチャンピオンになることは可能なのです。実際に1958年のマイク・ホーソン、そして、1982年のケケ・ロズベルグという2人のドライバーが、1勝しただけでチャンピオンになっています。そこで、この二人がどのようなドライバーだったのか、そしてどのようにチャンピオンになったのかに注目してみました。
掲載日:2017/06/07
CONTENTS
1958年マイク・ホーソン フェラーリ
緑色のジャケットと、白いシャツに蝶ネクタイという出で立ちでドライブしたマイク・ホーソンがF-1で活躍したのは、偉大なチャンピオンであるファンジオやアスカリが全盛期の、1950年代でした。
1952年にプライベーターチームからF-1デビューを果たしたホーソンは、非力なマシンにもかかわらず好成績を収めたことで、翌年から最強チームのフェラーリへ加入することになります。
フェラーリ加入そして英国人初V
そして、1953年はフェラーリワークスチームの一員として参戦し、第5戦フランスグランプリではチャンピオンドライバーであるファンジオとのマッチレースを最終ラップの最終コーナーで制し、初優勝を果たしたのです。
これは、 当時としては24歳という最年少優勝記録であり、イギリス人としても初の優勝となりました。
翌1954年には8戦中4度の表彰台を含む5度の入賞、そして最終戦スペイングランプリで2度目の優勝を挙げ、ランキングは2位に入る活躍を見せました。
名実ともにフェラーリのエースとなったホーソーンでしたが、母国の英国系チームでの参戦を望み、1955年はヴァンウォールに移籍します。
しかし、この移籍先が新興チームだった為、成績は低迷してしまいます。そして1957年にフェラーリに復帰するのです。
1勝のみで終わるも4勝のライバルを下して世界タイトルを獲得
1958年は5度のチャンピオンであるファンジオが2戦のみで引退したため、ホーソーンと同じ英国のスターリング・モスとの激しいチャンピオン争いが行われることとなりました。
全11戦で行われたこの年、 モスの乗るヴァンウォール はフェラーリを圧倒する快進撃を見せますが、チームメイトのブルックスとポイントが分散し、モスは4勝(1勝のみクーパー) を上げたものの、1点差でタイトルを逃すことになります。
ホーソンは、ファンジオの引退やモスとブルックスのポイントが分散するという幸運も手伝い、わずか1勝のみと苦戦したものの見事チャンピオンを獲得!
それは、7度の表彰台と安定した成績によるものでもあり、4度のポールポジションという速さも示していました。
1982年ケケ.・ロズベルグ ウィリアムズ
初代「フライング・フィン」、そして今のモータースポーツファンにとっては、2016年の世界チャンピオンであるニコ・ロズベルグの父親といった方がわかりやすいでしょう。
ケケ・ロズベルグは、1978年に第3戦南アフリカGPにて、セオドールからF1デビューしたもののマシンに恵まれず、その後ウルフ、フィッティパルディとチームを渡り歩きますが成績は低迷、この間1勝にとどまります。
ウィリアムズ移籍、そして初優勝でチャンピオン獲得
そして1982年、前年限りで引退を表明したアラン・ジョーンズに代わり、ウィリアムズのシートを獲得。
さらに新しくエースドライバーとなったカルロス・ロイテマンが開幕2戦目でF1を引退したため、ロズベルグはエースドライバーとなります。
ターボ勢が全盛期であったこの時代に、NAエンジンのウィリアムズは苦戦を強いられるも、ロズベルグはポイントを積み重ね、彼本来の豪快な走りも披露しながら第10戦イギリスGPで初のポールポジションを獲得するなど奮闘したのです。
そして、第14戦スイスGPで初優勝したことによりランキングトップに躍り出ると、そのままその座を守り切り、最終戦アメリカGPでチャンピオンが確定!
チームのエースドライバーが次々と引退し、エース待遇が転がりこんだり、シーズンをリードしていたピローニの負傷等に助けられたとはいえ、シーズン1勝をおさめ、しかも初優勝でのチャンピオン獲得という快挙は、1958年のマイク・ホーソン以上の記録として語り継がれることになりました。
その後ウィリアムズとマクラーレンに在籍し、1986年に引退するまでに通算5勝という記録を残します。
記録だけ見ると平凡ですが、チャンピオンドライバーであることに間違いはなく、粘り強く、時に豪快な走りは、時代を超えて息子のニコに引き継がれました。
まとめ
1勝しただけでチャンピオンになるなんて、ラッキー以外のなにものでもないと思われるかもしれませんが、ホーソンもロズベルグもその1度のチャンスを確実にものにする技量と粘り強さを持っていました。
そしてもし、数ポイントでも少なければ、彼らは元F-1ドライバーとしてくくられ、歴史に名を留めることもなかったかも知れません。
しかしチャンピオンになったことで歴史にも、ファンの記憶にも残深く刻まれる結果となったのです。
たった1勝、その1勝の重みを一番知っているのは彼らなのかもしれません。
あわせて読みたい
世界一速い国はどこ?F1チャンピオンが最も多い国を調査してみた
世界一になった男たち。1980年代のF1シリーズチャンピオン一挙振り返り!
富士グランチャンピオンレース。それは日本のモータースポーツの礎を築いた偉大なるレース。
[amazonjs asin=”B00CJ5OFBY” locale=”JP” title=”(チャンピオン)Champion T1011 US Tシャツ MADE IN USA C5-B303 010 ホワイト L”]
Motorzではメールマガジンを始めました!
編集部の裏話が聞けたり、月に一度は抽選でプレゼントがもらえるかも!?
気になった方は、Motorz記事「メールマガジン「MotorzNews」はじめました。」をお読みいただくか、以下のフォームからご登録をお願いします!