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カルロス・サインツ選手&トヨタ カローラWRC

出典:http://www.wrc.com/
勝利への尽きることの無い情熱、「エル・マタドール(闘牛士)」の異名を持つラリーレジェンドといえばカルロス・サインツ選手です。
1962年生まれ、スペイン出身。
勝利にとことんこだわり、どんな努力もいとわない完璧主義者として有名なサインツ選手。
パフォーマンス向上のために1ミリ単位での車高調整を要求したり、少しでも重量を軽くするためマシンに付着した泥を洗い流すよう指示する等、その情熱は凄まじいものだったとか。
1987年よりフォードから初めてのワークス参戦を開始し、1989年にはトヨタへ移籍。
1990年アクロポリスにおいてST165型セリカで自身初となる優勝を飾り、さらに勢いそのままでドライバーズタイトルに輝きました。
これは日本車初・スペイン人初・トヨタ初という歴史的なチャンピオン獲得となったのです。
通算2度のチャンピオンに輝いたサインツ選手ですが、1994・1995・1998・2003年には最終戦で不運に見舞われチャンピオンを逃しています。
特に1998年最終戦では、チャンピオンを目前にした最終SSのゴール300mでカローラWRCがエンジンブローし、結果タイトルを逃してしまったというエピソードもあります。
もし勝利の女神が微笑んでいたのならば、通算6度のチャンピオン獲得という偉業を成し遂げていたことでしょう。

出典:http://www.kitsdefibra.com/
コリン・マクレー選手&スバル インプレッサ555

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「壊し屋マクレー」の異名を持つほどに、そのドライビングはアグレッシブそのもの!
1968年生まれ、スコットランド出身。
1986年からラリー参戦を開始し、翌1987年には早くもWRC初参戦を実現しています。
派手なドリフト走行がマクレー選手の魅力であり、その豪快な走りからスバルに才能を見出され1991年に移籍。
スバル レガシィを駆り1993年ニュージーランドで初勝利すると、めきめき頭角を現して1995年にはインプレッサ555で史上最年少(27歳109日)でのドライバーズチャンピオン及びマニュファクチャラーズチャンピオンのダブルタイトルを獲得しました!
まだWRC参戦経験が浅かったスバルにおいて、マクレー選手はチームを大きく成長させた立役者と言えるでしょう。
その後、フォードやシトロエンに移籍するも思ったような結果が残せず、2007年に発生した不慮のヘリコプター事故によってその生涯を終えています。
39歳というあまりに若い死に、モータースポーツ界全体が悲しみに震えました。
その死後もなお、マクレー選手の豪快なドライビングはWRCの伝説として語り継がれているのです。

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ヘンリ・トイヴォネン選手&ランチア デルタS4

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WRCでの通算勝利数はわずか3勝…しかし彼は間違いなく他の誰よりも速く、そして若くしてワインディングロードの彼方へと消えていった。
1956年生まれ、フィンランド出身。
モータースポーツファンの間で「伝説のラリードライバー」として語り継がれるトイヴォネン選手ですが、キャリアのスタートはカートやツーリングカー等のサーキットレースでした。
WRCデビューは1975年の1000湖ラリー。
その後1980年にタルボチームで初勝利を挙げ(2008年まで破られなかった最年少勝利記録となる)、1982年にはオペルへ移籍し着実にキャリアを重ねていきました。
1984年からランチアと契約したトイヴォネン選手は、1985年に登場したランチア デルタS4で2勝目を挙げます。
もはや人間の手に負える代物ではなくなっていた末期のグループBマシンの中でも、驚速すぎて誰も限界性能を引き出すことのできなかったデルタS4。
そのデルタS4を唯一操ることのできたのが天才トイヴォネン選手であり、1986年開幕戦モンテカルロでは他を大きく引き離して圧勝してみせました。
ラリードライバーとして順調に速さを増していたトイヴォネン選手。
常に限界域での神がかり的なドライビングで観客を魅了し、誰もが彼の大成を信じていました。
しかし1986年第5戦ツール・ド・コルスで、そのキャリアは突如として終わりをむかえます。
5月2日、SS18コルテータ・ベルナを走行中に左カーブでコースオフし崖下へ転落。
木の幹が車体を貫いた状態で炎上し、パイプフレームとサスペンションのみを残し全焼。
コ・ドライバーのセルジオ・クレスト選手と共に帰らぬ人となってしまったのです。
前日レグ1を首位で終えていたトイヴォネン選手は「このラリーはすべてがうまくいっているのに、なにかおかしい。問題が起きたら、きっと死ぬだろう」という言葉を残していたそうです。
この事故を機に国際自動車スポーツ連盟は危険すぎるグループBの廃止を決定し、スピード抑制を目的としたグループA移行に向けて動き出しました。

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マルク・アレン選手&ランチア ラリー037

出典:https://worldrallyfever.wordpress.com/
幾度となくタイトル争いを演じた「無冠の帝王」。
1951年生まれ、フィンランド出身。
1969年にルノー8 ゴルディーニでラリーデビューを果たす。
その後ボルボとワークスドライバー契約を結び、1000湖ラリーでは毎年のように好成績を収めました。
それらの活躍を見出され、フォードやフィアットと契約。
WRC初勝利は1975年にフィアット アバルト124ラリーを駆ったポルトガルラリです。
1976年からはマシンをフィアット アバルト131ラリーへとスイッチし、フィアットチームのマニュファクチャラーズタイトル獲得に大きく貢献しています。
1978年にはドライバーズタイトルの前身であるFIAカップを手中に収めました(当時はマニュファクチャラーズタイトルしか存在しなかった)。
1982年からランチアに移籍したアレン選手はラリー037の開発に携わり、1983年にはツール・ド・コルスで優勝。
これは自身初のターマックイベント勝利であり、さらに北欧系ドライバー初となるツール・ド・コルス制覇でした。
その後デルタS4が投入され、チームメイトのヘンリ・トイヴォネン選手と共に圧倒的な速さで観客を魅了。
しかしながら1986年に起きたトイヴォネン選手の事故を受けてグループBは消滅することになります。
グループA移行後もランチアでタイトル争いに絡むも、結局最後までドライバーズチャンピオンに輝くことはありませんでした。
特定イベントのみで速さを発揮するスペシャリスト的ドライバーが主流の時代において、路面コンディションを選ばずに善戦できる数少ないオールラウンダーだったアレン選手。
ランチア以降は、1990年にスバル、1992年にはトヨタに在籍しており、日本のラリーファンにとっても馴染みのある存在です。

出典:http://alchetron.com/
ディディエ・オリオール選手&ランチア デルタHFインテグラーレ

出典:http://www.rallylife.cz/
フランス人初のWRCチャンピオンに輝いたターマックスペシャリスト。
1958年生まれ、フランス出身。
1979年に初めてラリー参戦を果たすも、その後はリタイア続きだったオリオール選手。
頭角を現してきたのは28歳の頃です。
1986年からフランス国内選手権を3連覇し、その間に1988年のツール・ド・コルスでWRC初優勝を挙げています。
1989年にはランチアワークスチームと契約し、かつてのチームメイトであるカルロス・サインツ選手と熾烈なタイトル争いを演じました。
1992年になるとオリオール選手とデルタのコンビは一層速さを増して、当時の年間最多勝記録である6勝、および最多記録となる5連勝を達成。
自身初のドライバーズタイトル獲得かと思われましたが、技術支援を行っていたアバルトがシーズン後半で撤退するという不運に見舞われ、これを境に急ブレーキがかかってしまったのです。
この年のタイトルはかつてのチームメイトであるサインツ選手の手に落ちてしまいます。
活動が縮小傾向にあったランチアを去り、翌年からトヨタに移籍したオリオール選手は1994年に念願のWRCドライバーズタイトルを獲得!
フランス出身ドライバーによるWRC初制覇となり、2000年代以降のフランス人最強列伝の試金石となったのです。

出典:http://squadraracing.canalblog.com/
セバスチャン・ローブ選手&シトロエン クサラWRC

出典:http://www.novinite.com/
「アイスクール・セブ」の異名を持つ冷静沈着な現代ラリーの皇帝。
1974年生まれ、フランス出身。
1997年にラリーデビューを果たし、わずか4年後にはWRCにスポット参戦を始めます。
2003年には惜しくも1点差でシリーズチャンピオンを逃したものの、翌2004年から前人未到のWRC9連覇を達成!
その他にも通算勝利数78、シーズン最多勝利記録11、6連続優勝等、記録ずくめ。
シトロエンワークスチーム、そしてWRCにとっても無くてはならない存在となりました。
ドライビングスタイルについては、それまでのWRCでは派手なテールスライドでコーナーを駆け抜けるスタイルが主流でしたが、ローブ選手は徹底したグリップ走法でタイヤの性能を余すところなく使い切ります。
どんなコンディションになっても冷静に状況を見極め、着実に勝利への道を進んでいく姿はストイックそのもの。
そのスタイルは後年のドライバーにも大きな影響を与え、ラリーで速く走るためのスタンダードとなっています。

出典:http://www.minitec.pt/
まとめ
ラリー界のレジェンドたち、いかがだったでしょうか?
それぞれが強烈なインパクトを持っており、多くの逸話を残しています。
常人では到底理解することのできない異次元領域で、まさに命を懸けてドライビングする彼らは伝説そのもの。
まだまだご紹介したいドライバーがたくさんいるのですが、それはまたの機会を楽しみにしていただき、みなさん各々の記憶に残っているラリーの名シーンに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
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