2016年、スーパーGT、GT500クラスを制したレクサスチームサード。1994年に始まった全日本GT選手権(JGTC)からスーパーGTまで、休むことなく参戦し続け、2016年は参戦22年という老舗チームです。今回は、そんなサードのGT500マシンを一挙振り返ります!
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サードとは
1972年に、トヨタのエンジニアであった加藤眞さんがレーシングチーム運営を主とした株式会社シグマオートモーティブを設立。
これがサードの前身となります。
創立1年後には、オリジナルのマシン「シグマ・MC73」で日本人初としてルマン24時間耐久レースへと参戦を開始。
2年目には24時間を走り抜き、完走。以降も間は空きながらルマンに挑戦し続け、93年にはトヨタ93C-Vで総合5位、C2クラス優勝、94年には総合2位という成績を手にします。
設立直後からルマンをターゲットに活動しているサードですが、ツーリングカーレースへの参戦も古く、最初は1985年。
グループA規定で全日本ツーリングカー選手権にサードスープラで参戦を開始。
このマシン、スープラという名称ですが、車両はトヨタ・セリカXX。輸出仕様の名称がスープラだったため、この名称となっています。
そして、時間は流れ、1994年。全日本GT選手権が本格スタートしたこの年の第4戦に、トヨタ・スープラでサードは参戦をスタート。
今回ご紹介するのは、この94年からのサードのGTマシン。
22年の歴代参戦マシンを、一挙振り返ります!
1994:TOYOTA SUPRA
参戦初年度のこの年、エントリーは第4戦からとなっています。
ドライバーは、サードのルマン挑戦でのドライバーも務めているジェフ・クロスノフ。
デビュー戦となった第4戦のSUGOでは、予選で2位を獲得するも、決勝は惜しくもリタイヤ。
第5戦MINEでも予選でポールポジションを獲得。
決勝ではスタートで3位まで順位を落としながらも、タイサンスターカードF40をオーバーテイクし、快調な走りを見せていましたが、ミッショントラブルによりリタイヤ。
しかし、来シーズンでも速さが期待できる、そんなレースを見せていました。
1995~1996:サードスープラGT
エントリーネームが「TOYOTA SUPRA」から「サードスープラGT」に変わった95年、96年。
後のデンソーサードスープラに続く赤と白のカラーリングはこの時誕生しています。
95年は引き続きジェフ・クロスノフがドライブし、開幕戦の鈴鹿と、第5戦のSUGOでは3位表彰台を獲得。シリーズ8位で終了しています。
96年は、2輪の世界王者にもなったワイン・ガードナーとアラン・フェルテがドライブ。第2戦富士スピードウェイで3位表彰台を獲得するも、シリーズ9位でシーズンを終えています。
2016年現在のスーパーGTでは、ドライバーの交代義務がありますがこの頃までは一人での走行もOK。
クルマ自体が進化し、今のドライバーにかかる負担と当時のドライバーにかかる負担は大きく違うと思われますが、2時間近いレースを一人で戦い抜いているということ。
当時はそれが普通でも、にわかには信じがたい強靭な精神力ですね。
1997~2005:デンソーサードスープラGT
1997年・同ポイントで届かなかったシリーズチャンピオン
97年からはエントリー名が「デンソーサードスープラGT」に変更。以降9年間はこの名称でエントリーしています。
※97年は開幕戦と第2戦のみDENSO SUPRA GTでエントリー。
非常に長い期間この名称だったこともあり、ドライブしていたドライバー達はとにかく錚々たる顔ぶれ。
97年は影山正美さん、谷川達也さん、オリビエ・グルイヤールさんがドライブし、開幕戦の鈴鹿で2位を獲得すると、第2戦と第4戦の富士で優勝!
最終戦を残した状態で、36号車のカストロールトムススープラと4ポイント差で2位。
逆転によるシリーズチャンピオンも期待される中、7位フィニッシュで4ポイントを獲得しランキングトップと同ポイントに。
優勝回数は2回で36号車と同じでしたが、表彰台回数の差から、悔しくも2位という結果でシーズンを終えています。
2004年・圧倒的すぎるオーバーテイクショー
また、スーパーGT最終年である2004年。
ジェレミー・デュフォア選手とアンドレ・クート選手のペアで挑んだこのシーズンは、開幕戦で3位を獲得すると、第3戦のセパンでは優勝。
このレース、予選はウェットとドライの両方で行われ、ウェットでは圧倒的な速さを見せるもドライがうまくいかず、デンソーサードスープラGTは13番手という、下から数えた方が速い順位に。
それでもレースまでにセットを煮詰め、決勝のドライではしっかりと速さを取り戻した状態でスタート。
10周を待たずして3位まで浮上した39号車は、ジリジリと差を詰め、残り10周といったところでトップに浮上、そのままチェッカーを受け、怒涛の12台抜きで優勝しています。
その後、第6戦のオートポリスでも2位表彰台を獲得し、シリーズチャンピオンに期待がかかりますが、ザナヴィニスモZの本山哲選手/リチャード・ライアン組に12ポイント届かず、シーズンを2位で終えています。
歴代のデンソーサードスープラGTドライバーと、シリーズ順位は以下。
97年:影山正美選手/谷川達也選手/オリビエ・グルイヤール選手 シリーズ2位
98年:土屋圭市選手/谷川達也選手 シリーズ6位
99年:土屋圭市選手/影山正彦選手 シリーズ22位
00年:影山正彦選手/ラルフ・ファーマン選手 シリーズ12位
01年:ジェレミー・デュフォア選手/影山正彦選手/ロマン・デュマ選手 シリーズ14位
02年:ジェレミー・デュフォア選手/織戸学選手 シリーズ14位
03年:織戸学選手・ドミニク・シュワガー選手 シリーズ6位
04年:ジェレミー・デュフォア選手/アンドレ・クート選手 シリーズ2位
05年:アンドレ・クート選手/ロニー・クインタレッリ選手 シリーズ16位
JGTCからスーパーGTへと変わるところまで振り返ったところで、次のページからは本格的にスーパーGTに!
39号車のイメージが強いサードのマシンですが、66号車もいたことを覚えていますか?
詳細は、次のページへ!