国内ツーリングレース50勝を果たし、名実ともに国産最強のツーリングカーとしてその名を轟かせた”ハコスカ”GT-R。かの名車には、おそらく日本車至上最も有名で、最も価値のあるエンジンが搭載されていました。その名は「S20エンジン」。プロトタイプレーシングカー用の2リッター直列6気筒DOHCエンジンを発展させた、驚くべき生い立ちをもったこのエンジン…これをセダンに搭載してしまったことから、ついた仇名は「羊の皮を被った狼」。今回の記事は、前後編の2記事構成で執筆させていただき、S20エンジンと”ハコスカ”GT-Rがどのように発展していったのか、当時のレースシーンとともに振り返っていきたいと思います。
「技術至上主義」プリンス自動車工業のプライド
プリンス自動車工業。旧日本軍の航空機を製造した「立川飛行機株式会社」が前身であるこの自動車メーカーは、日産やトヨタなど大がかりな生産ラインを持つメーカーと比べれば小規模なメーカーながら、飛行機屋が誇る”技術力”には絶対の自信を持っており、それを証明するべくいち早く国内のレースに本格的参戦をはじめたメーカーのひとつでした。
鈴鹿サーキットが完成した翌年の、1963年に開催された第1回日本グランプリ。
それは自動車愛好家たちが自身のクルマを持ち込んでレースをする、というようなもので、その後のワークス戦争に比べれば草レース感の強いものでした。
ところが、このレースで走ったクルマ、特に上位入賞を果たしたクルマには若者を中心に大きな注目が集まる事となり、露骨に販売成績に好影響が出たのです。
もとより技術に特化するプリンス自動車がこれを見逃すはずもなく、明くる年の1964年の第2回大会には必勝を期して1500ccエンジンで市販されていたスカイラインにグロリア用の2000cc SOHCエンジンをマウントしたマシンをトップカテゴリーに投入します。
これがいわば最初の”羊の皮を被った狼”、スカイラインGTと呼ばれるクルマです。
ちなみに、当時「スポーツカーを作りたいけど作れなかった」プリンス技術者にとってはあまり愉快な異名ではなかったと言われています。
そして、プリンス・ワークスの行く手を阻む巨大な壁は、世界を席巻するスポーツカーメーカー・ポルシェが誇る最新スポーツカー”904”でした。
ピュア・スポーツカーである904を相手に、1周だけとはいえトップの座を奪うも結果は2位に終わったスカイライン。
当時、プリンスがこれだけ躍起になってレースに情熱を注いだのは、レースこそが当時伸び悩んでいた販売台数をひっくり返す、最後の砦という面もあり、すなわち「最速の称号」の広告的価値に社運を賭けていたとも言えます。
結果は敗れたものの、純レーシングカーであるポルシェを”改造セダン”で追い回したプリンス・スカイラインの知名度は若者を中心に一気に上がり、販売台数にも好影響を及ぼし成功を収めます。
この結果が、彼らのレースに対する情熱を更に煮えたぎらせることになったと言えるでしょう。
プリンスR380の心臓部・GR8型エンジン
会場を新装・富士スピードウェイに移した1966年の第3回日本グランプリ、プリンス自動車が導入したのはブラバム製のシャシーをベースに開発された真正プロトタイプマシン、プリンス・R380でした。
これにより言い訳なしの真っ向勝負をポルシェに挑んだプリンス・ワークスですが、対するポルシェが持ち込んだのは世界中のレースを席巻する最新ウェポン”906”カレラ6、敵は更に強大となっていたのです。
結果は接戦の末、砂子義一選手の駆るプリンス・R380が見事勝利を飾り、トヨタ・日産勢をも抑え国内最速の称号をプリンス自動車が手にします。
そしてまた、この勝利は日産への吸収合併が決まっていた彼らにとって、プリンス自動車としての最後の勝利でもありました。
そしてこのプリンスR380に搭載されていたのが、プリンス自動車が社運をかけたレース専用エンジン「GR8型」です。
完全新開発の2000cc直列6気筒24バルブDOHCエンジン、これはまさに当時世界最新のテクノロジーが盛り込まれたものでした。
まず、1本のカムシャフトが吸排気バルブを動かすSOHCが高性能車ですら一般的だった時代、2本のカムシャフトで吸気と排気それぞれを分担する複雑な機構を持つDOHC(ダブル・オーバーヘッド・カムシャフト)は、この当時ヨーロッパの一部のワークス・マシンなどが搭載するような超をつけてもいい先進技術でした。
このDOHCのメリットは、カムシャフトがダイレクトにそれぞれのバルブを作動させる為、エンジンの高回転化に対応できることです。
更なる脅威はこれに加えて1気筒あたり4バルブ、計24バルブの機構を実用化していることですが、DOHCに加えての4バルブ機構は、例にとると当時F1でようやく現れ始めた…というほどのテクノロジーでした。
吸排気のバルブを複数に分けるメリットは、動弁系のパーツが小型化されることにより高回転化が図れることと、吸排気面積が広くなることで充填効率が上がる=出力が上がる、という効果を狙ったものです。
ちなみにこの後の”S20エンジン”の話に直結しない、という意味でこれは余談ですが、このGR8型はドライサンプ方式によるエンジン・オイル循環を採用しているのも特徴です。
エンジンの動力で駆動する強力なスカベンジング・ポンプで負圧を発生させるほどの循環力を発生し、クランクケース内のオイルを常に強制循環させる方式で、実はこの技術はエンジンの上下左右が常に入れ替わり、オイルの安定供給が難しい航空機用エンジンから派生した技術です。
今やレースエンジンやスーパーカーでお馴染みのテクノロジーですが、これはまさに飛行機屋の血を引くプリンスのお家芸と言えるものでした。
GR8型エンジンから、S20へ。果たしてどのように進化したのか。
次のページではついに、本題であるS20エンジンが登場します。