60年以上の歴史を誇るF1世界選手権。これまで数え切れないくらいの名車が登場し、Motorzでもいくつかのマシンにピックアップしてきました。今回ご紹介するのは1991年のドライバーズ・コンストラクターズタイトルを獲得したマクラーレン・ホンダMP4/6。独特のサウンドを響かせたホンダV12エンジンを搭載して成功したマシンとして、日本のみならず世界中のF1ファンから今でも愛されている1台です。今回は当時の名勝負とともに、MP4/6の魅力に迫れればと思います。

©︎鈴鹿サーキット

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伝説の最強パッケージの一つ「MP4/6」

©︎鈴鹿サーキット

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1988年から始まったマクラーレンとホンダのコンビネーションは、初年度からライバルを圧倒し次々とチャンピオンを獲得。4年連続のタイトル総なめのために投入したのが、このMP4/6でした。

ライバルチームが着実に力をつける中、快進撃の心臓部を支えていたホンダは第2期では初となるV12エンジンを導入。マシン外観もサイドポッド周りやフロントノーズなどの形状が前作のMP4/5Bから変更され、より流線的なデザインとなりました。

マクラーレン・ホンダMP4/6 スペック

シャシー:カーボン・ファイバー・モノコック

全長×全幅×全高:4496m×2120m×965m

ホイールベース:2972m

トレッド:前1824m/1669m

トランスミッション:6速マニュアル(マクラーレン製)

エンジン:ホンダRA121E(V型12気筒)

最高出力:735ps以上(13500rpm)

排気量:3493cc

過給器:なし

ドライバーは前年のチャンピオンに輝いたアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーのコンビ。この年のライバルとなったのは、ナイジェル・マンセルがエースとして加入したウィリアムズ・ルノー。終盤までチャンピオン争いがもつれ込む激戦となり、その中で数々の名勝負、名シーンが生まれました。

 

第2戦ブラジルGP:セナ、涙の母国GP初優勝

©鈴鹿サーキット

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開幕戦アメリカGPは圧倒的な速さと強さでポール・トゥ・ウィンを飾ったセナ。

第2戦は彼の母国ブラジルでも予選ポールポジションを獲得し、レース序盤から後続を引き離していきます。

一方、ライバルのマンセルはギアボックスのトラブルでスピンを喫しリタイア。ますますセナが有利の状況になります。

しかし、レース後半にセナのマシンにもギアボックストラブルが発生。3・4・5速が使用不能となり、6速のみでの走行を強いられました。

実は、母国ブラジルでの相性が悪く、1986年の2位表彰台以外は全てノーポイント。

今回も不運に見舞われて優勝のチャンスが遠のくかと思われましたが、丁寧にマシンを走らせトップのままでチェッカーフラッグ。念願の母国初優勝を飾りました。

チェッカー直後、マシンの中で大号泣していたというエピソードは今でも有名。そんな名レースを演出したマシンでもあったのです。

 

第10戦ハンガリーGP:本田宗一郎氏に捧げる激走、チャンピオン獲得への流れを引き寄せる

©︎鈴鹿サーキット

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開幕4連勝以降、ウィリアムズ勢の快進撃もあり、まさかの5連敗。チャンピオン獲得のためにはもう敗戦は許されない状態でした。

シーズン中盤のハンガリーGP開幕の直前、ホンダの創始者である本田宗一郎氏が逝去。

マクラーレンもホンダも、そしてセナも週末のレースを必ず勝利すると心に決めます。

マシン、エンジンも大幅にアップデートしウィリアムズ勢に対抗。セナも集中したはしりをみせ、予選でポールポジションを獲得すると決勝もそのまま逃げ切って今季5勝目を獲得。これがきっかけとなって終盤戦に向けてマクラーレン・ホンダ勢が流れを引き戻していきました。

この年、3度目のチャンピオンを獲得するセナですが、全てのシーズンで、マシンの心臓部を支えていたのは、ホンダエンジン。彼の成功を語る上でホンダというのは欠かせない存在となっていました。

前年のFIA表彰式で「来年もナンバーワンのエンジン作るよ」と宗一郎氏から声をかけられたセナは、満面の笑みを見せていました。

“ナンバーワンのエンジンでチャンピオンをとる”

特にシーズン後半のセナは、その約束を果たすために戦っていたような気もしましたね。

 

第15戦鈴鹿(予選):10年レコードと言われた“1分34秒700”

©︎鈴鹿サーキット

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チャンピオン決定の舞台となった第15戦鈴鹿。マクラーレン側はセナが完全にエースという状態でしたが、この予選では僚友のゲルハルト・ベルガーが意地を見せました。

予選1日目ではセナを抑えて堂々のトップタイム。3度目のチャンピオンがかかっているセナも2日目にはペースアップし、いきなり1分34秒898を叩き出し当時のコースレコードを更新。当時の鈴鹿では考えられなかった1分34秒台に突入します。

これを上回ってみせたのが、ベルガー。渾身のアタックを見せ1分34秒700を記録しました。これにはセナもお手上げようでポールポジションはベルガーが獲得したのです。

翌年からのレギュレーション変更も影響しましたが、この1分34秒700は2001年のコースレイアウト一部変更が行われるまで、誰にも破られることがなかった“10年レコード”として、マクラーレンMP4/6のマシンとともに刻まれました。

 

第15戦鈴鹿(決勝):ゴール直前でセナがベルガーに勝利をプレゼント

©︎鈴鹿サーキット

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翌日の決勝レース。スタートからベルガーとセナが先行する展開になっていきます。一方逆転チャンピオンを狙うマンセルは優勝が絶対条件。そのためには、2番手のセナを攻略する必要がありましたが、巧みなブロックに手を焼き突破口を作れません。

焦った結果、10周目の1コーナーでコースオフしてしまいリタイア。この瞬間にセナの3度目のチャンピオンが決まりました。

最大のライバルがいなくなると、一気にペースを上げてベルガーをパス。この年に何度もみせた独走劇を披露しますが、最終ラップになって突然ペースダウン。最初はベルガーを待って2台揃ってチェッカーを受けるのかと思われましたが…

なんと最終コーナーでラインを譲り、ベルガーが1989年のポルトガルGP以来、約2年ぶりの優勝を飾りました。

1コーナーを先に通過した方が優勝することをレース前に約束していたそうで、セナはこれを守るかたちで最後にトップを譲ったと言われています。また前年からの2年間、自身をサポートしてくれたお礼とも言われています。

ただ、あまりにも順位の入れ替え方があからさまだったので、後々色々な議論を生むことになりました。

こうして、セナとベルガーの2人で全16戦のうちの半分にあたる8勝をマーク。コンストラクターズタイトルも獲得し、4年連続の二冠獲得に成功しました。

 

多くのファンを魅了したホンダV12サウンドは、今でも健在!

Photo by Tomohiro Yoshita

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現役を引退して25年が経つのですが、今でも日本で走行するシーンが、たまにですが観ることができます。

栃木県のツインリンクもてぎ内にある「ホンダ・コレクション・ホール」でベルガー仕様のマシンが動態保存されており、今年もホンダサンクスデーなど、イベントなどでデモ走行を披露してくれます。

Photo by Tomohiro Yoshita

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当時も多くのファンを魅了したホンダV12サウンド。久しぶりに耳にした瞬間に「あ!懐かしい!」と思わず声を出した経験も、あるのではないでしょうか?

 

現役ドライバーたちも、子どもの頃に憧れたマシン

Photo by Tomohiro Yoshita

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ファンと同じように、現在各カテゴリーで参戦している現役ドライバーも、憧れのマシンなんだそう。

やっぱり、子どもの頃のヒーローだったアイルトン・セナが乗っていたマシン。しかも、彼のキャリアの中でも成功した一つのシーズンのものということで、実際に自分がデモランで乗れるとなると、テンションが上がっている人がほとんどです。

Photo by Tomohiro Yoshita

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今年のホンダサンクスデーではジェンソン・バトンが乗りましたが、彼も感動していた様子で、特にV12サウンドをコックピットから初めて聞いたとのこと。ハイテンションだったのが印象的でした。

 

まとめ

Photo by Tomohiro Yoshita

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「速いクルマはカッコイイ」という言葉がF1ではありますが、それの代表格の1台がMP4/6でしょう。

現役時代から25年が経ち、現存するマシン数も少なくなっているのですが、できる限り長い間、走れる状態で残っていてほしいマシンですし、イベントなどで登場機会があれば、ぜひ足を運んで観に行ってほしい1台ですね!

 

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