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ランチア・デルタS4
ミッドシップに搭載した直列4気筒1.8リッターエンジンをターボチャージャーとスーパーチャージャーで武装したデルタS4は、最大で600馬力、46kgのトルクを発揮し、890kgという軽量ボディと相まってパワーウェイトレシオは2kg/psを切っていました。
グループBレースでは、1.2.3フィニッシュなどの快挙を見せるものの、ピーキーな操縦特性のため安定した成績を残せず、速さはあるのにマニファクチャラータイトルを取ることができなかった、悲運のワークスマシンとなったのです。
オペル・マンタ400
コスワースチューンにより、340馬力となった直列4気筒2.4リッターNAエンジンを搭載したマンタ400。
他車がエンジン搭載位置の変更や駆動方式を変更するなか、市販車両と同じFRレイアウトを貫いたため、2度の表彰台を獲得するものの、成績は振るわず1984年にてワークス活動が休止となっています。
しかし、そのベーシックなスタイルはプライベーターに重宝され、プライベートチームから参戦することが多く見られた車両となりました。
フォード・RS200
ミッドシップに450馬力を誇る1.8リッターターボを搭載した4WDのRS200。
グループBのために作られたような車両でしたが、トラブルが多く、目立った成績は残せずに終わっています。
しかし、市販されている車両をほぼそのまま使用するという、本来グループBがあるべき姿を示した1台と言える車両ではないでしょうか。
MG メトロ 6R4
F1チームである、ウィリアムズが手掛けたメトロは、小さいボディに2.9リッターのNAエンジン、410馬力を搭載しており、稀代まれなる速さを見せます。
しかし、ホイールベースが短いため走行安定性に欠け、信頼性も低く、参加期間も短かったことから、3位表彰台が1度という残念な結果に終わってしまいました。
参加期間が長ければ、また違った結果を出せたであろう、悲運なマシンとも言える1台です。
ルノー5ターボ
直列4気筒1.8リッター・ターボエンジンをミッドシップに搭載したルノー5ターボ。
「5」はフランス語で「サンク」と発音され、日本でも「ルノー・サンク」と呼ばれていました。
このサンクは、ワークスのみならずプライベーターの参加も多く、グループBのベーシック車両となり、未だ人気の高いマシンでもあります。
ラーダ2105VFTS
ソ連(現ロシア)の雄、ラーダは直列4気筒1.8リッターターボ(240馬力)とFRという、ベーシックなマシンで参戦しました。
しかし、飛躍的に進化する他車に歯が立たず、目立った成績は残せずに終わっています。
このラーダは、未だにロシアで大衆車として愛されており、現在でもプライベーターがラリーやヒルクライムなどに参加する姿が見られています。
このようにメーカーにより、様々なアプローチがあったことが、グループBクラスの特徴と言えるのではないでしょうか。
日本のグループB車両
日本車の各メーカーもグループB車両も製作していました。
ここでは、実際にWRCグループBクラスに参加した国産車両をご紹介します。
日産・240RS
2.4リッター、240馬力を誇ったことからこの名が付いた240RSは、S110シルビアをベースに製作されており、海外をターゲットに絞った、即ラリー参戦が可能なマシンに仕上がっていました。
目立った成績は残せていませんが、この出で立ちに憧れた方は多いのではないでしょうか。
トヨタ・セリカGT-TS
TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)の手により開発されたセリカGT-TSは、ターボチャージャーを始め、ブレーキや駆動系など、いたるところにレース用に開発された部品を使用していました。
完成度の高かったセリカは、グループBカテゴリーで5勝を挙げるなど大活躍を見せたのです。
マツダ・RX-7
MRTE(マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパ)の手により、グループBのホモロゲーションを取得したSA22型RX-7は、1.3リッター・300馬力と十分なパワーを持ったロータリーエンジンに変更され参戦していました。
FRレイアウトのRX-7は、ミッドシップ×4WDを採用した他のグループB車両には敵わず、目立った成績は残せませんでした。
それも、プライベーターの参加が多く見られたのがRX-7の特徴と言えるのではないでしょうか。
日本のグループB車両と言っても、WRCがヨーロッパをメインに行われていたことから、左バンドルであったり、海外で開発やメンテナンスが行われてることが多かったようです。
グループBを手懐けた女性ドライバー
グループB元年となった1982年に、3勝を挙げたものの、惜しくもドライバーズランキング2位に終わった女性ドライバーが居ました。
彼女の名は、ミシェル・ムートン。
凶暴なマシンを乗りこなしたミシェルは、1986年に終幕を迎えることとなったグループBクラスと共にドライバーとしての活動に幕を引きました。
それは、凶暴過ぎたグループBを共に戦った僚友、ヘンリー・トイボネンの事故死に心を痛めたからでした。
ミシェルはトイボネンを追悼する意味で、1988年からカテゴリー不問のレースであるROC(レース・オブ・チャンピオンズ)を主催し、現在も恒例のイベントとして継続して開催されています。
まとめ
いかがでしたか?グループBクラスの狂気を感じて頂けたでしょうか。
人間がコントロールできるレベルを越えてしまったグループBは、開始から5年というあまりにも早い終幕を迎えました。
F1と遜色ないマシンでラリー競技をするという、狂気なグループB車両というカテゴリーが嘗てあったことを記憶のどこかにに留めておいて頂ければと思います。
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