国内で最も人気があるレース「スーパーGT」。前身の全日本GT選手権(JGTC)時代から数えると20年以上の歴史を誇ります。同シリーズ創成期に日本のモータースポーツを盛り上げてきた名選手たちも、今ではすっかり監督業が板についてきました。彼らは現代のスーパーGTに何を思い、そして何を目指してチームを率いているのでしょうか?現役時代のマシンやエピソードを振り返ることで何かヒントが見つかるかもしれませんね。今回の記事では、2016年シーズンを監督として戦い抜いた元ドライバーたちをベテラン監督から新人監督までご紹介します!

出典:https://www.calsonickansei.co.jp

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星野 一義 TEAM IMPUL 監督

出典:http://supergt.net/

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スーパーGTの名物監督と言えばこの人、星野一義氏です。

かつて「日本一速い男」の異名を誇った彼は、監督業においても一切の妥協を許さない超熱血肌。

テーブルを破壊したり、物を投げる等、レースに熱中するあまり豪快な行動に出ることも多々。

勝利への執念は現役時代と何ら変わりないようです。

1947年生まれの星野氏が4輪レースのキャリアをスタートさせたのは1960年代後半の事で、それまではモトクロス競技で全日本チャンピオンに輝く等、2輪の世界で活躍していました。

現役時代の星野一義氏 出典:http://www.nissan.co.jp/

現役時代の星野一義氏 出典:http://www.nissan.co.jp/

4輪レースでの戦績として日産系チームでの活躍が目立ちますが、他にもF1を含めた海外フォーミュラ(ヨーロッパF2選手権)への挑戦や、1987年にはホンダのF1テストドライバーだった事もあります。

星野氏の速さは他の有名選手からも一目置かれており、元F1ドライバーのエディ・アーバイン氏や中嶋悟氏らも現役時代は彼を絶賛していたそうです。

カルソニックカラーのR32 GT-Rでド派手にインリフトする様子が今でも鮮明に思い出されます。

持病の腰痛が悪化した事により、2002年をもって現役ドライバーを引退。

以来、熱血監督としてチームインパルを率いています。

 

出典:http://www.revvedmag.com/

R32 カルソニックスカイライン 出典:http://www.revvedmag.com/

 

高橋 国光 TEAM KUNIMITSU 総監督

出典:http://supergt.net/

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親しみやすい人柄から「国さん」の愛称で親しまれている日本モータースポーツ界のレジェンド、高橋国光氏。

1940年生まれの高橋氏が4輪レースのキャリアをスタートしたのは1964年の事。

元々はホンダワークスにて2輪世界グランプリでの優勝経験もあり、4輪に転向してからもその速さを引き継いでいます。

日産の追浜ワークス在籍時には、北野元氏・黒澤元治氏らと共に「追浜ワークス三羽ガラス」と呼ばれ、ハコスカGT-Rの50勝達成に貢献。

その後は各レースで抜群の速さを見せるも、それがなかなか勝利へ繋がらずに「無冠の帝王」と称された事もあります。

2輪時代の高橋国光さん(右)(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/)

2輪時代の高橋国光さん(右)(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/)

1980年代以降は活躍の場を耐久レースに移し、グループCやグループAの全日本選手権で活躍。

ADVANカラーのポルシェ962cやR32 GT-Rを思えている方も多いのではないでしょうか?

チーム国光として参戦したル・マン24時間耐久レースにおいて、2年目の1995年にホンダNSXでGT2クラス優勝という偉業を達成。

その時のドライバーは高橋国光・土屋圭市・飯田章の3人で、日本人トリオでのル・マン優勝は未だにこの1回のみ。

最終経歴である全日本GT選手権では通算2勝を挙げ、現役最後となった1999年にもRAYBRIG NSXで1勝を挙げています(当時59歳)。

引退後はチーム国光の総監督として、スーパーGTに参戦しています。

出典:http://www.nsxprime.com/photopost/jgtc/p47-raybrig-nsx-from-1999-jgtc.html

1999年レイブリッグNSX 出典:http://www.nsxprime.com/

 

まだまだ登場する監督たち!次のページでは、道上龍監督や、脇阪寿一監督の若いころも見れる…!?