過去に行われていたWGP500ccクラスにおいては、ホンダ、ヤマハ、スズキがレースで常にトップ争いを演じる中、日本メーカーのバイクに割って入る活躍を見せたのがカジバのGPマシンでした。レース参戦においては日本メーカーよりも規模が小さく、予算も限られていましたが、それでもカジバは1995年まで日本メーカーとの激しいバトルを戦い抜いてきたのです。最終的に、カジバGP500マシンがシリーズランキング3位まで登り詰め、日本の3メーカーを脅かす存在であることは明らかでした。
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イタリアンマシン 500ccレーサーの傑作!カジバGP500
イタリアの2輪車メーカー・カジバ(Cagiva)は、ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラスに1970年代後半から1990年代中盤まで参戦していました。
参戦開始当初は目立つ活躍がなかったものの、1980年代後半あたりから有力ライダーを起用し、表彰台やコンスタントなポイント獲得をするようになり、注目を集めます。
そんなカジバGP500マシンは、1987年モデルで『C587(またはV587)』と名付けられ、”C”は『Cagiva』、”5″は『500cc』、”87″は『1987年』を表現。
よって、毎年マシンをアップデートするたびにマシン名の後ろ2文字が更新されるネーミングでした。
カジバの今は?
カジバは過去に、ドュカティ、モト・モリーニ、ハスクバーナーなど多くの欧州2輪車メーカーを傘下にもつ企業でした。
そして1996年にはイタリアの名門ブランド『MVアグスタ』を買収し、カジバブランドのバイクも販売しつつ、社名をカジバから『MVアグスタモーター』へ変更。
しかしその後、経営悪化が進んだことで傘下にあったメーカーをどんどん売却していきます。
その中で2008年にMVアグスタもハーレー・ダヴィッドソンによって買収されますが、2010年カジバを創業したメンバーであったクラウディオ・カスティリオーニ(Claudio Castiglioni)が再びMVアグスタを買い戻し、MVアグスタモーターが再始動。
同時にカジバモデルの2輪車も生産・販売していましたが、MVアグスタの生産・販売だけに焦点を合わせるために、カジバブランドは2012年、事実上消滅となりました。
よって、カジバブランドのバイクは現在生産されていません。
カジバGP500マシンは日本製のエンジンをオリジナルフレームに搭載したことで始動
1978 Marco Lucchinelli at Mugello on #Cagiva #SUZUKI RGB500 pic.twitter.com/C5zkTPoU24
— Clutch Bucket ⚙ (@GetMotored) 2016年6月27日
カジバは、1978年からWGP500ccクラスに参戦。
1978~1979年はスズキRGB500のエンジンをカジバオリジナルフレームに搭載したマシンでした。
そして、1980年はヤマハTZ500のエンジンを採用するも、参戦した3年間で獲得ポイントはゼロ。
翌1981年から自社製エンジンを開発し、完全にオリジナルで作られたマシンを投入したのです。
フレームからエンジンまで自社製の新型GP500マシンが登場
1981年、カジバのGP500マシン『2C2(C1)』は水冷2ストローク並列4気筒ロータリーディスクバルブエンジンを採用し、最高出力118馬力を発揮していました。
そして1982年にはスズキRG-Γ500と同じスクエア型4気筒エンジンに変更。
第12戦ドイツGPでジョン・エクロード(Jon Ekerold)が10位に入ったことで、GP500クラスで初のポイントを獲得しました。
その後1985年にはエンジンをスクエア型からV型に変更し、そのほかにもさまざまな改良の試みがなされましたが、1986年まではほとんどのレースで目立った活躍を見せていません。
それでもベルギー人ライダーのディディエ・デ・ラディグーズ(Didier de Radiguès)が1987年シーズンの第15戦ブラジルGPで4位に入り、シーズンで21ポイントを獲得してシリーズランキング12位に輝くなどカジバGP500マシンが、世界でも通用する兆を見せる結果に。
そしてカジバが翌年から、さらにGP500クラスのレースに力を注ぐことになりました。
マモラやローソン、コシンスキーなど名選手がライディング!
天才ライダー ランディ・マモラが加入
1988年、カジバチームのライダーはそれまで所属していたレイモン・ロッシュ(Raymond Roche)に加え、ランディ・マモラ(Randy Mamola)、マッシモ・ブロッコリ(Massimo Broccoli)を加入させます。
マモラはホンダ、ヤマハ、スズキのマシンに乗り、シリーズランキング2位を4回、3位を2回獲得するなど常にチャンピオン候補に名を連ねるライダー。
当時、カジバのマシンが日本メーカーに比べて非力だったことは明確でしたが、それでもマモラはカジバへの移籍を決意し、マシン開発に大きく貢献します。
そして第9戦ベルギーGPでマモラは3位を獲得し、カジバに初の表彰台をもたらしました。
また、1990年は500ccデビューとなったブラジル人若手ライダー アレックス・バロス(Alex Barros)がシーズン合計57ポイント・ランキング12位を獲得し、カジバ勢で最高位になります。
しかし一方で、ランディ・マモラは1990年を最後にカジバを去ることになりました。
エディ・ローソンが加入しカジバ初優勝
翌1991年にマモラと代わるかたちでエディ・ローソン(Eddie Lawson)が加入します。
そして、C591はローソンがそれまで乗ってきたホンダNSR500やヤマハYZR500よりも性能で劣っていたものの、レースで上位争いをする活躍をみせてシリーズ合計126ポイントを獲得。
ランキング6位と、カジバは遂にシリーズランキングを一桁台まで持っていく事に成功。
ローソンはカジバGP500マシンの開発にもさまざまなアイディアを提案し、1992年シーズンからカーボン製のスイングアームが取り付けられるなど進化を促します。
その後、第9戦ハンガリーGPではカジバを初めて優勝まで導き、1992年を最後にWGPへの参戦活動を終えました。
そんな1992年はチーム体制にも大きな変化があり、8度のタイトルを獲得しMotoGP殿堂入りを果たしたジャコモ・アゴスチーニ(Giacomo Agostini)がカジバチームの監督に就任。
カジバは、タイトル獲得が狙える万全の体制を築き上げたのです。
ジョン・コシンスキーがシリーズランキング3位に達し、チャンピオンに手が届くまで
1993年は、当時若手だったアメリカ人ライダー ジョン・コシンスキー(John Kocinski)とダグ・チャンドラー(Doug Chandler)が加入。
コシンスキーは、ケニー・ロバーツのライディング理論を完璧に体現し、『ヤング・キング』と評されるほど期待される存在でした。
そしてコシンスキーは500ccクラスデビューシーズンにも関わらず、第13戦アメリカGPで優勝を獲得。
さらに、チャドラーも開幕戦オーストラリアGPで3位表彰台を手にする事に。
そして1994年、コシンスキーは優勝1回、2位3回、3位3回を記録しシリーズランキング3位を獲得。
これは、翌シーズンのチャンピオン獲得を十分に狙える結果であり、カジバも念願のシリーズチャンピオンに手が届くところまできていました。
しかし一方で、カジバは1995年に自社が保有したバイクブランド『MVアグスタ』の復活を控えており、新しい経営戦略を検討していたのです。
そこでカジバはWGPからの撤退を決定。
販売力促進のためにカジバだけでなく、MVアグスタとハスクバーナーの開発および生産に専念することを決めました。
そして1995年は自国開催となる第6戦イタリアGPのみ出場し、ライダーはイタリア人のフランチェスコ・キリ(Pier francesco Chili)を採用。
10位でレースを終えました。
多くの名ライダーがライディング!カジバGP500の主な戦歴
シーズン | マシン | ライダー | シリーズランキング最高位 (ライダー名/ポイント獲得数) |
レース最高順位 |
---|---|---|---|---|
1981年 | 2C2(C1) | Virginio Ferrari | – | 19位(Virginio Ferrari) |
1982年 | 3C2(C2) | M.BROCCOLI Jon Ekerold |
28位(M.BROCCOLI/1pt) | 10位(M.BROCCOLI) |
1983年 | 4C3(C7) | Virginio Ferrari Jon Ekerold |
– | 15位(Virginio Ferrari) |
1984年 | C9 | Marco Lucchinelli Herve Moineau Pierre Bolle |
27位(Marco Lucchinelli/1pt) | 10位(Marco Lucchinelli) |
1985年 | C10V | Marco Lucchinelli Virginio Ferrari |
– | 15位(Marco Lucchinelli) |
1986年 | C10V | Juan Garriga Marco Lucchinelli Vittorio Gibertini |
17位(Marco Lucchinelli/4pt) | 8位(Marco Lucchinelli) |
1987年 | C10V C587(V587) |
Didier de Radigues Raymond Roche |
12位(Didier de Radigues/21pt) | 4位(Didier de Radigues) |
1988年 | C588(V588) | Randy Mamola Raymond Roche Massimo Broccoli |
12位(Randy Mamola/57pt) | 3位(Randy Mamola) |
1989年 | C589(V589) | Randy Mamola Massimo Broccoli Raymond Roche |
18位(Randy Mamola/33pt) | 7位(Randy Mamola) |
1990年 | C590(V590) | Alex Barros Randy Mamola Ron Haslam |
13位(Alex Barros/57pt) | 6位(Alex Barros) |
1991年 | C591(V591) | Eddie Lawson Alex Barros Raymond Roche Marco Papa |
6位(Eddie Lawson/126pt) | 3位(Eddie Lawson) |
1992年 | C592(V592) | Eddie Lawson Alex Barros |
9位(Eddie Lawson/59pt) | 優勝(Eddie Lawson) |
1993年 | C593(V593) | John Kocinski Doug Chandler Mat Mladin Juan Garriga Carl Fogarty |
11位(John Kocinski/51pt) | 優勝(John Kocinski) |
1994年 | C594(V594) | John Kocinski Doug Chandler Carl Fogarty |
3位(John Kocinski/172pt) | 優勝(John Kocinski) |
1995位 | C594(V594) | Pier-Francesco Chili | 27位(Pier-Francesco Chili/6pt) | 10位(Pier-Francesco Chili) |
スペック
1994年モデル カジバC594 | |
---|---|
ホイールベース(mm) | 1,390 |
総重量(kg) | 130 |
タンク容量(L) | 21 |
エンジン種類 | 水冷2ストローク 80° V型4気筒 |
排気量(cc) | 498.3 |
ボア×ストローク(mm) | 56.0×50.6 |
最高出力(kW[PS]/rpm) | 136[185]/12,500 |
最大トルク(N・m[kgm]/rpm) | 100[10.5]/12,500 |
トランスミッション | 6速 |
サスペンション | 前:オーリンズ倒立フォーク 後:オーリンズ製モノサス |
ブレーキ | 前:ブレンボ製4ポットキャリパー ディスク径320mm 後:ブレンボ製2ポットキャリパー ディスク径194mm |
タイヤ | 前:120/60 ZR 17 後:180/67 ZR 17 |
まとめ
WGP500cc時代、日本メーカー以外のエントリーは、カジバをはじめ、アプリリア(イタリア)、KR3(マレーシア)、MZ(ドイツ)などでした。
しかし、どのメーカーも日本企業のワークスマシンに割って入るまでには至らず、結果を出すことは叶いません。
その反面、カジバは多くのライダーがカジバGP500レーサーに乗り、何度も表彰台を獲得。
1994年はシリーズランキング3位まで上り詰めることに。
2ストローク500ccレーサーで最も日本メーカーを脅かしたマシンだったと言えるでしょう。
真っ赤にペイントされたカジバGP500マシンは、打倒日本メーカーに燃えるイタリアンスピリッツそのものでした。
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