全日本からMotoGP™までトップライダーとして活躍してきた玉田誠。MotoGP™の最高峰クラスでは数少ない優勝経験のある日本人ライダーで、500ccクラスからMotoGPクラスに変わってからは宇川徹に続く二人目の優勝経験者!現在はその活躍が認められ、アジアのホンダ系レーシングチームの監督に就任し、ライダーから監督へ華麗な転身をとげています。
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玉田誠がホンダ・アジア・ドリーム・レーシング監督に就任
ホンダは、2018年から元MotoGP™ライダー玉田誠(たまだ まこと)が『Honda Asia-Dream Racing(ホンダ・アジア・ドリーム・レーシング)』の監督に就任することを発表しました。
ホンダ・アジア・ドリーム・レーシングは、ホンダのマレーシア、インドネシア、タイのスタッフがメインとなって構成されるチームで、今後は全日本ロードレース選手権JSB1000クラスや鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦する予定です。
また、2019年からFIMアジアロードレース選手権で始まる予定の、ASB1000クラス(アジア・スーパーバイク1000)にもフル参戦予定となっています。
ちなみに、玉田氏は2014年からアジアロードレース選手権(ARRC)や8時間耐久レースでホンダ系チームの監督をしてきましたが、全日本ロードレース選手権の監督はこれが初めて。
全日本ロードレース選手権のチーム監督という新たな舞台で、今後もチーム運営や若手育成に一役買っていくことでしょう。
玉田誠の主な成績
全日本ロードレース選手権時代
シーズン | クラス | マシン | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
1995年 | GP250 | ホンダRS250R | チーム高武 | 11位 |
1996年 | GP250 | ホンダRS250R | チーム高武 | 14位 |
1997年 | GP250 | ホンダRS250R | チーム高武 | 6位 |
1998年 | GP250 | ホンダRS250R | チーム高武 | 4位 |
1999年 | スーパーバイク | ホンダRVF/RC45 | チーム高武 | 5位 |
2000年 | スーパーバイク | ホンダRVF/RC45 | チーム高武 | 3位 |
2001年 | スーパーバイク | ホンダVTR1000SPW | チーム・キャビン・ホンダ | 2位 |
2002年 | スーパーバイク | ホンダVTR1000SPW | チーム・キャビン・ホンダ | 4位 |
MotoGP™時代
シーズン | クラス | マシン | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
2003年 | MotoGP | ホンダRC211V | プラマック・ホンダ | 11位 |
2004年 | MotoGP | ホンダRC211V | キャメル・ホンダ | 6位 |
2005年 | MotoGP | ホンダRC211V | コニカミノルタ・ホンダ | 11位 |
2006年 | MotoGP | ホンダRC211V | コニカミノルタ・ホンダ | 12位 |
2007年 | MotoGP | ヤマハYZR-M1 | ダンロップ・ヤマハ | 18位 |
WSBK(世界スーパーバイク選手権)時代
シーズン | マシン | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|
2008年 | カワサキZX-10R | カワサキ・ワールドスーパーバイクレーシングチーム | 20位 |
2009年 | カワサキZX-10R | カワサキ・ワールドスーパーバイクレーシングチーム | 27位 |
ARRC(アジアロードレース選手権)時代
シーズン | クラス | マシン | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
2013年 | SS600 | ホンダCBR600RR | MUSASHi Boon Siew Honda Racing | 8位 |
2014年 | SS600 | ホンダCBR600RR | MUSASHi Boon Siew Honda Racing | 6位 |
鈴鹿8時間耐久レース
シーズン | マシン | ペアライダー | チーム | シリーズランキング |
---|---|---|---|---|
1998年 | ホンダRVF/RC45 | 中冨 伸一 | ウルトラマンRT桜井ホンダ | 10位 |
1999年 | ホンダRVF/RC45 | 加藤 大治郎 | チーム高武&桜井ホンダ | 8位 |
2000年 | ホンダRVF/RC45 | アレックス・バロス | チーム高武&桜井ホンダ | 43位 |
2001年 | ホンダVTR1000SPW | 宇川 徹 / 加藤 大治郎 | チーム・キャビン・ホンダ | 4位 |
2002年 | ホンダVTR1000SPW | 岡田 忠之 | チーム・キャビン・ホンダ | 2位 |
2006年 | ホンダCBR1000RRW | 清成 龍一 | セブンスター・ホンダ | 5位 |
2010年 | ホンダCBR1000RRW | 伊藤 真一 | Keihin Kohara Racing Team | 2位 |
2011年 | ホンダCBR1000RR | 高橋 巧 / 岡田 忠之 | MuSASHI Harc-Pro Racing Team | 8位 |
2012年 | ホンダCBR1000RRW | アズラン・シャー・カマルザマン 亀谷 長純 |
Honda Team Asia | 25位 |
名門Team高武RSCからトップライダーへ、玉田氏のこれまで
玉田氏は1976年11月4日に愛媛県松山市土居田町で生まれ、小学校入学時に愛媛県松山市水泥町へ移住して愛媛県松山市小野小学校へ入学します。
そして小学4年生の時に、松山オートランドでミニバイクレースを開始。
松山オートランドは元全日本125ccライダー・藤岡祐三氏も通っていた四国内で有名なサーキットです。
その後、愛媛県松山市立小野中学校卒業後、福岡県へ渡り熊本県のレーシングチーム『Team高武RSC』に入りプロレーサーを目指します。
Team高武RSCは宇川徹氏、柳川明氏、清成龍一氏、故・加藤大二郎氏などを輩出した名門チームであり、トップライダーの登竜門的な存在。
その名門チームで1994年に九州選手権GP250・SP250の2クラスでチャンピオンを獲得し国際A級へ昇格し、1995年から全日本ロードレース選手権GP250クラスにフル参戦を開始します。
そして1998年、第6戦鈴鹿大会でGP250クラス初優勝を飾り、同年に初めて鈴鹿8時間耐久レースへ参戦。
翌1999年にスーパーバイククラスにステップアップし、2001年にはそれまで所属していたTeam高武RSCからホンダワークスチームへの移籍を果たしました。
ホンダワークスチーム移籍後は2001年2位、2002年4位のシリーズランキングを獲得。
さらに、鈴鹿8時間耐久レースでは2001年4位、2002年で2位を獲得し、優勝まであと一歩の成績。
翌2003年にブリヂストンと開発を兼任する契約をして、MotoGP™サテライトチーム『プラマック・ホンダ』からMotoGPクラス参戦を果たします。
そして日本GPでは3位表彰台まで登ることができましたが、最終ラップでスペイン人ライダー セテ・ジベルナウと接触したことで失格となり、MotoGP™日本GPデビュー戦の表彰台は幻のものとなりました。
その後2004年シーズンはブラジルGPでMotoGP™初優勝、ポルトガルGPで2位、日本GPで王者バレンティーノ・ロッシをおさえ2度目の優勝を勝ち取り、ランキング6位を獲得。
しかし、2005年からMotoGPクラスはミシュランタイヤで統一され、玉田氏はタイヤとマシンのマッチングに苦しむ事に。
さらにケガでの欠場もあったため、成績も低迷してしまいます。
翌2006年にはテック・3ヤマハへ移籍。
玉田誠氏にとって、ホンダ車以外のチームに移籍したのはこれが初めてでした。
そのせいもあってか、ランキングは18位とMotoGP™参戦中最も悪い順位となり、5年間参戦してきたMotoGP™から離脱する事に。
2008年はMotoGP™からWSBK(スーパーバイク世界選手権)へレースの場を移行し、カワサキZX-10Rで2年間参戦。
WSBKから離れてからは、ホンダ車で鈴鹿8時間耐久レースやARRCのSS600クラスで戦いながらも、2012年にアジアドリームカップ・プロフェショナルトレーナーで若手ライダーの育成トレーナーを務め、さらに2014年から3年連続で鈴鹿8時間耐久レース・チーム監督やARRCに参戦するチーム『AP Honda』のコーチも行っており、ライダーから監督・指導者へと活躍の場を移していきました。
MotoGP™ワークスライダーより上位となった2004年シーズンの玉田誠
2004年、ホンダは4ストローク990ccマシンRC211VをMotoGP™に投入して3年目となり、上位争いは常にホンダ系チームのライダーがトップ争いをしていました。
しかし、エースだったバレンティーノ・ロッシがヤマハへ移籍し、2004年開幕からロッシが1位になってホンダはヤマハに追い越されようになります。
もちろん玉田氏もサテライトチームとはいえ、それまでのチャンピオンマシンと同じ車種RC211Vを走らせる以上、優勝やタイトル争いに加わることが求められていたことでしょう。
そんな玉田氏は、開発ライダーを務めるブリヂストンタイヤの開発が進みMotoGPマシンにも慣れて、レースで上位になることが増えていきます。
第7戦ブラジルGPでMotoGP™初優勝を手にしましたが、このときロッシと2003年シリーズランキング2位だったジベルナウがリタイアしたため、トップライダーを抑えての優勝ではなく、玉田氏も不本意な勝利だったかもしれません。
しかし、第10戦ポルトガルGPでは優勝したロッシに続く2位に入り、王者ロッシまであと一歩までまでたどりつきます。
そして、母国開催となる第11戦日本GPではロッシを抑え見事優勝を飾りました。
その後のレースすべて上位入賞を果たし、終わってみればランキング6位。
これはヤマハワークスのカルロス・チェカ、ホンダワークスの故ニッキー・ヘイデン、ドゥカティワークスのロリス・カピロッシを上回る成績であり、玉田氏の実力を証明させるシーズンとなりました。
まとめ
これまでさまざまなマシンでレースを戦い続けてきた玉田氏は、現在若手育成のトレーナーや監督業までこなしており、日本だけでなく海外でもバイクレース業界に大きく貢献しています。
今ではホンダの2輪レース部門で重要な人物のひとりとなっており、さまざまなレースで走ってきた経験を活かしてレースの裏方でも活躍できる貴重な存在!
これから玉田氏が育てていく若手にも期待が集まります。
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