最強、そして最速。三菱が生んだ名車「ランサーエボリューション」はラリーで勝つために生まれ、世界ラリー選手権(WRC)を席巻。トミ・マキネンと共に4年連続ドライバーズタイトルという金字塔を打ち立てます。しかしその成功にたどり着くまでには、長く険しい挑戦の日々があったのです。今回は、ランエボ完成に至るまでの歴代ラリーマシンとともに、その絶え間ない”進化”の歴史を追いかけてみました。
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伝説への第一歩「ランサーEX2000ターボ」
「ランサーエボリューション」の血統を遡ると、この「ランサーEX2000ターボ」というクルマに行き着きます。
このマシンに搭載された「シリウス4G63型」と呼ばれる2.0リッターターボユニットは、古典的なSOHC・2バルブヘッドを採用している点を除けば、その後30年ほども進化を続けるランエボの心臓、その元祖と言るのです。
1981年、三菱はこの通称「ランタボ」でオイルショック以降撤退していた「世界ラリー選手権(WRC)」へ再び挑戦を開始します。
しかし、フルタイム4WDを搭載する革新的マシン「アウディ・クワトロ」相手に苦戦を強いられました。
FR(後輪駆動)では、4WDのトラクションに太刀打ち出来なかったのです。
その結果、目立った成績を残せない中で、開発チームは4WDマシン開発の必要性を思い知らされます。
三菱初のフルタイム4WDラリーカー「スタリオン4WD」
WRCでは、1983年から規定の市販生産台数が更に少ない新カテゴリー「グループB規定」が本格導入されることが既に決まっていました。
これは生産能力が高くない自動車メーカーに参戦の間口を開く反面、結果的にはより過激なエボリューションモデルの製造を可能にしてしまったのです。
そして三菱はランタボでのターボユニット開発ノウハウを引き継ぎ、WRC活動の本格化に向けて「スタリオン」をベースとした4WDマシン「スタリオン4WD」を開発します。
このクルマには、後のランエボへとつながる新たな4WD機構が搭載されていました。
ビスカスカップリング式のセンターデフと機械式LSDを組み合わせた機構は、必要な時だけ前輪に駆動力を回し、それ以外は回頭性の良い後輪駆動で走る、という原始的なアクティブ4WDといえるものでした。
エンジンは4G63型をボアアップし2.1リッター化が図られ、より大型のターボチャージャーを採用することで、最終的に出力はおよそ370馬力にまで高められています。
しかし翌年に入り、突如スタリオン4WDは開発ストップを言い渡されてしまいます。
高騰し過ぎた開発コストと、それによってロードモデルの値段も上げざるを得ず、規定の生産台数をクリア出来る見込みが無い、というのがその理由でした。
結局、スタリオン4WDは製造数わずか4台、エキシビジョンによるエントリーで5戦のみラリーを走り、表舞台を去ることになるのです。
グループA時代到来。ラリーの三菱を印象付けた「ギャランVR-4」
スタリオン4WDの計画が消滅した後、安全性の問題からグループBカテゴリーそのものも1986年シーズンで終了という決定が下されます。
これを受けて、WRCのトップカテゴリーは新たに「グループA」カテゴリーにより争われることになりました。
大幅な改造が認められず、出走に必要な市販車の生産台数も「12ヶ月の間に5000台以上(当時)」と遥かに多く、より市販車の素性が問われることになったのです。
それにより、三菱は1989年、新型セダン「ギャラン」のスポーツグレード「VR-4」ベースのラリーカーをWRCに投入します。
遂にDOHC(ツインカムヘッド)化された4G63型ターボユニットは信頼性と速さを兼ね備えており、トルクも大幅にアップし、なんと参戦から4戦目のフィンランドでWRC初勝利を挙げました。
その後もギャランは重く大きい不利なパッケージングを背負いつつも速さを発揮し、1992年の退役までに6勝という戦績を残したのです。
ついに手に入れた勝てるパッケージング「ランサーエボリューションⅠ/ Ⅱ / Ⅲ」
1993年シーズン、三菱はギャランVR-4に変わるニューマシンとして「ランサーエボリューション」を投入します。
ギャランに比べて30cmも短いコンパクトなボディもさることながら、グループAのレギュレーションを睨んで開発されたリアのマルチリンク式サスペンションを採用。
まさにWRCの為に生み出されたサラブレッドでした。
このランサーエボリューション最大の武器は熟成の進んだ4G63エンジンに加え、ワンウェイクラッチの機構を取り入れた独創的な4WDシステムでした。
「加速時は4WD・減速時はFR」を実現するこのメカニズムは、コーナーの進入でアンダーステアを出さずトラクションを稼ぐことが出来、コーナリングで大きなアドバンテージを発揮することが可能となります。
そこにはスタリオン4WDで培われたノウハウが大いに活かされていました。
三菱はスポット参戦でマシンの熟成を進めつつ、94年には「ランサーエボリューションⅡ」を投入し更に戦闘力をアップ。しかしライバルのトヨタ、スバルの後塵を拝する苦しい戦いが続きます。
そんな状況が一変したのは、ランエボにとって3年目となる1995年シーズンでした。
この年から次期エースとしてトミ・マキネンが新たに加入。開発力と速さを増した彼らは、第2戦スウェーデンで1位ケネス・エリクソン、2位マキネンの1,2フィニッシュを果たし、ランサーに完璧な初勝利をもたらしたのです。
更にシーズン中には前後空力パッケージを改めた「ランサーエボリューションⅢ」を投入。
前述のワンウェイクラッチに、電磁式フロントアクティブデフを組み合わせた制御機構を搭載し、旋回性能を劇的に進化させることに成功していました。
そして1996年シーズンには、このマシンを駆るマキネンが9戦中5勝という圧倒的速さを見せつけ、遂に三菱とマキネンにドライバーズタイトルの栄冠をもたらしたのです。
新たなシャシーで次の次元へ。「ランサーエボリューションⅣ / V / Ⅵ」
ランサーエボリューションの進化はとどまることを知らず、1997年シーズンにはランサーのフルモデルチェンジに合わせ、そのナンバリングは「Ⅳ」へと進化します。
この年もマキネンとランサーは年間4勝を記録し、2年連続のドライバーズチャンピオンに輝きました。
しかし向かうところ敵なし……というわけではなく、ランキング2位のスバル、コリン・マクレーとの差はわずか1ポイント、更にマニュファクチャラーズタイトルもスバルに奪われており、極めて熾烈なシーズンだったと言えるのです。
また、この年からグループAより改造範囲の広い「WRカー規定」が導入され、スバルもこれに合わせて「インプレッサWRカー」を投入していました。
更に復活を遂げたトヨタもシーズン中に「カローラWRC」を導入するなど、翌年以降が新たな戦国時代となることを予感させる流れとなったのです。
しかしそんな中でも、三菱はあくまで市販車ベースのグループA規定での参戦、というスタンスを貫きます。
1998年シーズン中に投入された「ランサーエボリューションV」はさらなる進化を果たし、WRカーを相手に恐るべき戦闘力を発揮。
第5戦でのデビュー以降、終盤戦の3連勝を含む計4勝を挙げ、マキネンのドライバーズ3連覇に加え、三菱に初のマニュファクチャラーズタイトルの栄冠をもたらしました。
1999年シーズンはフォード・フォーカスWRC、プジョー・206WRCといったコンパクトハッチバックをベースとした新たなライバルが出現する中、ランサーエボリューションは「Ⅵ」への正常進化で対抗します。
同時にこの年から、常勝チームの証とも言える「マールボロ」がメインスポンサーに付き、ようやく資金面での安定も得ていました。
また、Ⅵでは今まで前輪側のみ搭載されていた電磁式アクティブデフを後輪側にも搭載し、これにより「4輪フルアクティブ制御」を実現しています。
全14戦で6名ものウィナーが生まれる大混戦の中、この年もマキネンがドライバーズタイトルを獲得、遂に4年連続ドライバーズ王座という快挙を成し遂げました。
しかしこの年以降、信頼性を増していくWRカー陣営を相手に苦戦を強いられ、2000年は開幕戦のⅠ勝のみ、2001年は3勝を果たすもドライバーズ3位というリザルトにとどまっています。
新時代を勝つ為の野心作。「ランサーエボリューション WRC/ランサーWRC」
新たなる宿敵プジョー、フォードが速さを増す中、三菱も遂に「WRカー開発」という方針へと踏み切ります。
そして2001年のシーズン中、あくまで市販のランサーエボリューションをベースとしてきた流れを断ち切り、ランサー・セディアをベースに大幅な改造を施した「ランサーエボリューションWRC」を投入するのです。
しかし大柄なボディが災いしライバルに歯が立たず、2002年には8年ぶりの年間未勝利という結果に終わってしまいます。
翌2003年シーズンは参戦体制見直しの準備期間として一時活動を休止、新体制で臨んだ2004年、三菱は完全なるニューウェポン「ランサーWRC04」を投入します。
ホイールハウスを大幅に拡大させ、大型化されたリアウイングはもはや「ランエボ」とは別のマシンへと変化。
このWRC04は堅実な走りでポイント圏内には食い込んだものの、優勝を争うほどの強さを発揮することは出来ませんでした。
2005年シーズン、前年型を熟成した「ランサーWRC05」がデビューすると開幕戦モンテカルロで3位表彰台、最終戦となるオーストラリアで2位表彰台獲得と復活の兆しを見せ始めます。
しかしそんな矢先、三菱は経営再建を理由として2006年以降のWRC活動休止を発表。
ラリーで戦い、進化し続けたその栄光のワークス活動に終止符を打ったのです。
まとめ
名機4G63ターボエンジンと、独自の4WDシステム開発。
これらが「ランサーエボリューション」という器を得たことによって、三菱は一気に世界の頂点へと駆け上がっていきました。
実はランサーエボリューションは、開発者たちが会社の方針に逆らうことで生まれたそうです。
初代ギャランVR-4の後、社内で企画されていたのは「次期ギャランのエボリューション」であり、ランエボではなかったというのです。
しかし、「ランエボの生みの親」として知られる稲垣秋介氏らエンジニア達は、ランサーに4G63エンジンを積んだテスト車両を、社外の人の手まで借りて独自に製作。
優れたサスペンションと、コンパクトなパッケージを持ったランエボは、ラリーを戦う現場から「これなら勝てる」との後押しを受け、量産化への承認を得ることに成功するのです。
WRCの舞台から去って久しい三菱ですが、エンジニアの並々ならぬ情熱が生んだ「ランサーエボリューション」は、今も世界中から尊敬を受ける存在であり続けています。
誰もが待ち続ける新たな”エボリューション”が、ラリーの最前線に現れる日を、願わずにはいられません。
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