古今東西、多くのラリー競技から生まれた名車の数々。みなさんの記憶に残っているのは、潤沢な資金と実績ある優秀なドライバーで構成され多くの勝利を獲得したワークスマシンではないでしょうか?勝てる車、勝てるドライバーを揃えて挑むのがモータースポーツの常です。しかし視点を少しずらしてみると、それぞれの時代において強烈なアイデンティティーを持った珍車を見つける事ができます。決して良い戦績を残しているわけではないけれども、孤軍奮闘する姿になぜか魅了されてしまう・・・。そんな珍しいマシンたちをご紹介します!
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Ferrari 308GTB
1975年のパリ・サロンで発表された308GTB。
3000ccのV型8気筒エンジンを搭載していることが車名の由来とされています。
翌1976年にはグループ4規定のホモロゲーションを獲得。
しかし元々がスーパーカーとして生み出された性質上、荒れたグラベルに対応することが難しく、その主戦場をターマックや高速グラベルとしていたようです。
マシンのチューニングはフェラーリのレース車両製作を得意とするミケロット社が担当し、プライベートチームの手でヨーロッパ選手権やフランス国内選手権を中心として参戦しました。
1982年のWRCツールドコルスでは2位入賞、さらに同年のイタリア選手権ではシリーズチャンピオンを獲得するまでに進化しています。
ちなみに、後年にはランチアのグループCカーにも308GTB用エンジンの改良型が搭載されています。
Mercedes Benz 450SLC
泣く子も黙るドイツの高級車メーカー「メルセデス・ベンツ」が、なんと土の上で車を走らせていたんです!
1971年より販売されていたR107系の4シータークーペ 「450SLC」をベースとし、1979年にグループ4規定のホモロゲーションを獲得。
5リッターV型8気筒エンジンを改良することで310馬力を発生させ、なんとトランスミッションはオートマチック!
このあたりはなんとも高級車メーカーらしいチョイスですね。
ビヨン・ワルデガルドやハンヌ・ミッコラ等のワークスドライバーを起用してサファリラリーを戦いました。
一説にはヘリコプター2機とサービスカー50台以上で競技車両のサポートを行ったとも言われており、当時のメルセデスがいかにラリー参戦について本気であったかが分かります。
Porsche 959
1970年代後半から4WDシステムの開発に着手したポルシェ。
その集大成とも言えるスーパーカーが、1986年に発売され通算283台が世に送り出された「959」です。
グループB規定に沿って開発されたプロトタイプは1984年からパリ・ダカールラリー(以下パリダカ)への挑戦を開始します。
そして1986年には完全なポルシェ959としてパリダカに参戦し、見事1・2フィニッシュの圧倒的勝利を獲得!
ちなみにこの年の959ラリーカーは、グループB規定といえば600馬力オーバーが当然!といったイメージがある中で、長距離ラリーでのトラブル回避とアフリカの低オクタン価ガソリンに対応するため、意外にも390馬力に抑えられていたそうです。
珍車の中の珍車!開発段階でお蔵入りとなった幻のマシン!
Toyota 222D
1980年代中盤、当時グループB規定で隆盛を極めたWRCでの勝利を目指し、トヨタはセリカに代わる新たなラリーカーの開発に取り掛かります。
初代MR2をベースとし、それを4WDターボ化するというアイデアの元、小さな車体に600馬力オーバーの強力なエンジンを搭載したモンスターマシンが誕生しました。
それが今回ご紹介するトヨタ222Dなのですが、「幻」と言われる所以はその性能や生産台数にあるわけではありません。
トヨタが懸命に222Dの開発を進めていた1980年代中盤、もはや人間が扱える性能を凌駕してしまっていたグループBラリーカーは、数々の悲惨な事故を起こしてしまいます。
これらの事故を踏まえて、WRC統括団体は1986年いっぱいでのグループB廃止を決定。
グループBに代わる規定として検討されていたグループSも安全性を考慮してお蔵入りとなり、ついに222Dはラリーを走ることなくその生涯を終える事となってしまうのです。
こうして222Dは幻のマシンとして語り継がれ、大義を果たす事ができないまま今も倉庫で眠っています。
Ferrari 288GTO
1984年のジュネーブショーでデビューした288GTO(正式名称はGTO)。
308GTBをベースとしてはいるが、最初からグループB競技参戦を前提として開発された点はホモロゲーションモデルそのものといった印象です。
トレッド拡大を狙って308GTB比で20cm近くも全幅が拡大され、なんとエンジンはランチアのグループCカーが搭載していた物を流用。
グループB参戦を想定して排気量を3000ccから2855ccにスケールダウンしてはいたが(ターボ係数1.4をかけても4リッター以下のクラスに収まるよう)、ツインターボで加給されるV型8気筒エンジンは市販車バージョンで406馬力を発生しています。
しかしながら、当時のWRCで主戦力となっていたのはフルタイム4WDを装備した軽量なマシンたちであり、そもそも4リッタークラスに区分されてしまうほど大きなエンジンをミッドシップレイアウトした288GTOは不向きと言えます。
トヨタ222Dの項でも記載した通り、1986年いっぱいでグループBが消滅。
これで戦う場を失ってしまった288GTOは、結局モータースポーツシーンで活躍する事なくF40にフラッグシップの座を譲っています。
なお、288GTOの開発過程で得られたノウハウは存分にF40へと注ぎ込まれ、後にIMSAや各国GTレースでの大躍進に繋がっていきました。
近年では考えられないマシンが多数参加していたWRC。
次のページでは、そんな想定外マシンが走行する映像をご紹介します。