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80年代中盤に圧倒的な人気を誇ったグループB規定による世界ラリー選手権(以下WRC)。暴力的とも言える程にハイパワー化されたマシン達は熱狂的な人気を博す一方、同時に数々の悲しい事故を生み出してしまう。そういった状況を打開するべく、性能の抑制と安全性向上を狙って1987年に全面導入されたのが今回ご紹介するグループA規定のラリーカーなのです。

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グループA規定とは

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1982年から施行された自動車レースにおけるカテゴリー区分の1つであり、12か月間で5000台以上(1993年から2500台以上)を生産した4座以上の市販車がベースとなります。
また、WRC以外にもヨーロッパツーリングカー選手権や世界ツーリングカー選手権で採用され、日本では全日本ツーリングカー選手権においてグループA規定の日産スカイラインGT-R(R32)が大活躍しました。
「羊の皮を被った狼」 グループAラリーカーにはそんな表現がピッタリ!

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1986年に終焉を迎えたグループBラリーカーは、世界の頂点を極めるべく開発された究極のマシン。
それに比べ、グループAラリーカーのベースとなったのは4人乗りの大量生産車で、市販車とは似ても似つかない巨大なフェンダーやウィング等の空力パーツが禁止されており、外観は市販車そのものでした。
しかしながら、その中身は限られた改造範囲内で各メーカーが威信をかけて開発した技術力の結晶であり、厳しい吸気制限を受けながらも強烈なトルクを発生するエンジン、アクセルオフ状態でも高いブースト圧を維持できるアンチラグシステム、各タイヤに適正なトラクションを配分するアクティブデフ等、現代のWRカーにも通ずる革新的な技術が多様に開発、採用されていました。
日常と非日常が共存したグループAラリーカー。だからこそ世界中の人々が熱狂し、現在でも語り継がれる存在となったのではないでしょうか?
多くの日本車が活躍したグループA時代のWRC

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セリカ、ランサー、インプレッサ等、多くの日本車が活躍したグループA時代のWRC。
一時は参加する8メーカーの内、なんと5メーカーが日本車だったこともあります。
各カテゴリーに日本車が1台でも走っていれば嬉しい現代において、到底考えられない状況であり、当時放映されていたWRC特集番組の影響もあり、当然のように日本でも人気が爆発。
各メーカーはラリーを意識した市販車を数々世に送り出し、日本の自動車業界が活気づく1つのきっかけとなっていました。
どんな車種が参戦していたのか?
当時のファンを沸かせたバリエーションに富んだ参戦車両を紹介!
Toyota Celica GT-Four RC (ST185)(トヨタセリカ)

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1993年、トヨタが初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得したセリカ。
WRCのホモロゲーション取得のために販売されたこの車は、全部で5,000台が生産され国内向けは1,800台販売されたとされています。
WRC車と市販車の違いとして、水冷式インタークーラーと金属製タービンのターボチャージャーが搭載されていた。また、ワイドボディ化、ブレーキサイズの拡大も行われていました。
Mitsubishi Lancer Evolution Ⅵ(ミツビシ ランサーエボリューション)

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エースドライバーであるトミ・マキネンに4連覇をもたらした栄光のマシン。
エボVをベースに99WRCラリーレギュレーションへ対応するため開発・販売された。
エボVでのサスペンションセッティングが街乗りで不評であったため、フロントサスのロールセンター一の変更等を行ったが、その変更が競技目的には向かず、全日本ラリー等ではエボVに勝つことができないという現象も発生していた。その後、競技用グレードRSではエボVと同様の足回りをオプションで選べるようになったという逸話も残っています。
Subaru Impreza 555 (スバル インプレッサ)

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スバルとコリン・マクレーが初めての年間チャンピオンを獲得した初代インプレッサ。
レガシィで培った技術を継承し、参戦初年度から安定した走りを披露しました。
555とは、State Express 555(ステイツ・エキスプレス・スリーファイブ)という呼び方が正式で、British American Tobaccoというイギリスのタバコメーカーのスポンサードです。
Lancia Delta HF Integrale (ランチア・デルタ)

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1987年から1991年まで、5年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得したランチア。
基本シャシーは変更せずに改良を加え続けて進化してきたデルタにとって、1992年登場のHFインテグラーレは「究極」と言えるだろう。
この車も元々はグループBのレース用車両、出場権獲得のために開発された車両でした。
量販車デルタをベースに、ターボエンジンと横置きフルタイム4WDを採用、インテグラーレになってからは幅広タイヤに対応するためブリスターフェンダーを採用しました。
Ford Escort RS Cosworth 4×4 (フォードエスコートRSコスワース)

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シエラから引き継いだ信頼性を武器に、1993年のデビュー戦でいきなり2位表彰台の大活躍!
トミ・マキネンやカルロスサインツも駆ったフォードの名車。
戦績はどうであれGr.Aを語るうえでは、外すことの出来ない1台である。
Nissan Sunny GTI-R(日本名:パルサー)

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ラリーで勝つために日産が再び本気を出した1台。
結果が出始めた直後に早期撤退という悲運の道を辿るが、若き日のトミ・マキネンもドライブする等、ラリー史にその名を刻んだ。
WRCという側面では失敗したが、小さなボディーにハイパワーエンジンというコンセプトは世の中の車好きの人気を得ることとなり、未だに中古市場でも人気の1台です。
Mazda 323 4WD

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1986年モンテカルロラリーでデビューした323 4WD。
コンパクトなボディーを武器に1987年には初優勝を飾る活躍。
1.6リッターエンジンは最終的に260馬力を発生しライバルが2リッターエンジンで攻める中、小柄なマシンで懸命に戦いました。
まとめ
あくまで大量生産の市販車をベースとしたグループAラリーカーはその技術競争の中で多くの自動車メーカーを成長させ、私たちが乗る市販車の性能向上に大きく貢献するという素晴らしい功績を残しました。
いつも街で見かける車が険しい峠道を颯爽と駆け抜ける姿は、世界中のモータースポーツファンを熱狂させ、現代でも決して色褪せることのない記憶となって、私たちの心に刻まれているのです。
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