常に進化を続けるF1マシン。世界選手権創設当初は現在のようにウィングという概念もなく、安全性も確立されていないなか、ただ速く走ることを目指し改良を重ねてきました。ではF1マシンはどのような進化を遂げてきたのか。ここではF1選手権創設からグランドエフェクトカーが脚光を浴び、禁止に至る1980年代序盤までをご紹介します。
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F1マシンの原点となる1950年代
自動車レースの世界最高峰レースとして、1950年から世界選手権シリーズが始まったF1。記念すべき初年度から今年を含め、実に66年もの歴史を積み重ねてきました。
シリーズ創設当時のマシンはとてもシンプル。現代のマシンと見比べると非常に簡素に見受けられ、これは当時の一般的な自動車の形とそれほど大きな違いはありませんでした。
初めて制定されたレギュレーションでは車両に関する規定は特になく、エンジン排気量のみ4.5リッターもしくは過給機付き1.5リッターに限定するというもの。
外観についても自由にデザインできたのですが、シリーズ開始から数年するとマシンの形状はタバコの葉巻に似てきたため、これらのマシンは「葉巻型」と呼ばれるようになりました。
ではなぜこのような形になったのでしょうか?
それは無駄を省きたいという開発者の考えを形にしたもの。車体は空気抵抗を減らすために細長く、ドライバーを保護するためのパーツなども二の次。
このためドライバーは上半身はほぼむき出しの状態でレースを戦っていたのです。
またマシン最先端部分には吸気口があり、エンジンはドライバーの前方に配置。いわゆるFR(前方にエンジン搭載の後輪駆動)が採用されており、現在のF1マシンとは配置から異なっているのです。
進化を見せる葉巻型マシンとウィングの出現
1960年代に入ると空気抵抗を極限まで減らすという考え方は大きく変わっていないものの、大きな進化を遂げました。ボディはより軽くなり、エンジンの出力も向上。
また1950年代とは同じようなマシンの形をしていますが、ドライバーのコックピットはやや前方へ移されています。これには大きな理由がありました。
重量配分を考えた末に、エンジンをマシンの中央付近に搭載するという、ミッドシップレイアウトが採用されるようになったのです。
このドライバーの後方にエンジンを配置するという方法は現代でも踏襲されており、約50年も昔の発想が今でも生かされています。
また1968年にはウイングも取り付けられるようになり、マシン制作に対する考えが変わり始めていたのです。
いかに空気抵抗を減らすかという考えが変化しはじめ、多少の空気抵抗を受けたとしてもグリップ力を得られる“ダウンフォース”の恩恵を活用しようという試みが見られるようになるのです。
この当時には可変ウイングなど近年のF1でも採用されるようなものも、実現していたのですが、1969年には早くも禁止されることに。
ウイングについても幅や高さなどが制限されることになり、その範疇でマシンを改良するという流れがここで出来上がりました。
F1マシンがクサビ形に、ダウンフォースの増加を狙う
1970年頃には葉巻型は姿を消し、F1マシンは空気抵抗を利用して速く走ろうという考えが主流になり始めます。
そういったコンセプトをもとに作られたマシンは、次第に葉巻のような形からクサビのような形(ウェッジタイプとも呼ばれる)に変化したのです。
このクサビ型マシンは、ダウンフォースの増加から大きなグリップ力を生むようになり、コーナーリング性能は飛躍的に向上しました。
上の画像のマシンでは極端にマシンの前方が薄く、今にも路面に擦りそうなフロント部分が特徴的で、これがダウンフォースの発生に一役買っています。
そのため空力に関する試行錯誤が行われ、このクサビ型を原型に新たなマシンが続々と登場するのでした。
F1の歴史を変えたグランドエフェクトカーの登場
そして1977年、レース界を震撼させる世紀の大発明が生まれたのです。
それは空気の吸着力を利用しマシンの上面ではなく、底面でダウンフォースを発生させる方法が見つかりました。
水面で強風が吹けば波が立つように、流れる気流には物体を引き付ける力を利用しようという発想がなされます。
地面でこれを行うとマシンと地面の間を流れる気流は、マシンを地面に吸着させようとする効果があり、さらなるグリップ力を手にすることが出来ました。
結果このような構造のマシンはグランドエフェクトカー(もしくはウイングカー)と呼ばれ、恐ろしい速さを実現したのです。
初めてグランドエフェクトカーの成功を収めたのは1977年のロータスでした。
クサビの形を横に引き延ばしたマシンは底面積を広げ、床下でのダウンフォース発生量を大幅に引き上げることに成功。
このロータス78はグランドエフェクトカーの先駆けとなり、翌年にはこれを進化させたロータス79で年間王座を獲得すると他チームも開発を進め、次第にF1グランプリはグランドエフェクトカーで埋め尽くされることとなるのです。
少しでも多くのダウンフォースを生み出したい設計者たちが空力開発に躍起になり、ファンカーや6輪車などといった珍しい形のマシンも注目を集めました。
大事故が相次いだ1982年、そしてグランドエフェクトカーとの別れ
1980年代に入ってもF1で流行し続けたグランドエフェクトカーですが、その誕生から5年が経った1982年末にマシンに関する規定が変更され突然姿を消すこととなるのです。
その理由はグランドエフェクトカーならではといえる、ダウンフォースの瞬間的な増減にありました。
高速で走行時にマシン底の気流でダウンフォースを得ますが、車が跳ね上がった際に一気にその効果が消滅してしまい、またスピンの際には揚力(飛行機が空を飛ぶのと同じ効果)が発生し操縦不能に陥ってしまう危険性があったのです。
そうした安全面の懸念があったなか、この年には実際に大きな事故が相次ぎました。
そのためレギュレーションでグランドエフェクトカーを禁止するべく、マシン底面を平らにするという規定が制定されるのでした。
こうしてF1を席巻したグランドエフェクトカーは姿を消すことになりますが、これでも空力競争は留まることなく、現在に至るまで激化の一途をたどるのでした。
まとめ
盛者必衰ならぬ盛車必衰。
F1は創設当初からこれを繰り返し、絶えず現在まで進化を遂げてきたのですね。
今回ご紹介したのは1950年から1980年序盤まで。
たった30年ほどでF1マシンはここまで大きな進化を見せました。
しかしこれはまだ歴史の半分弱。
次回は一気に現代までご紹介いたしますので、乞うご期待ください!
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