スバルのエースとして活躍し、派手なドライビングと陽気なキャラクターからファンの多い”ハリウッド”ことペター・ソルベルグ。今シーズン限りでのプロドライバー引退を発表し、各国へ感謝の巡業を行っています。今回は、そんなペターのドライブした愛機と共に、彼の経歴を振り返ります。

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ラリークロスからラリーへ

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ラリークロスドライバーの両親の下で育ったペター・ソルベルグッズがラリークロスを始めるのは、自然なことでした。

18歳で地元ノルウェーのラリークロスにデビューすると2戦目にして優勝。早くも才能の片鱗を見せます。

21歳でノルウェーラリークロスのチャンピオンを獲得すると、翌年1996年、22歳でラリーデビューを果たしました。

そして1998年に国内チャンピオンに輝くと、翌99年にフォードのワークスチームから期待の若手として第3ドライバーに抜擢されます。

しかし、全戦に参戦することは許されず、そのことに不満を持ったソルベルグはシーズン中にスバルワークスへと電撃移籍をすることになりました。

Pick Up Car

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フォード・フォーカスWRC2000

1999年にエスコートWRCから引き継ぐ形でデビュー。

Mスポーツ(フォード)の伝統である安定性を重視した設計で、サファリやアクロポリス等、サバイバルラリーで強さを発揮しました。

縦置きされたトランスミッションが一番の特徴で、50:50の重量配分を達成。

ペター・ソルベルグは2000年のサファリで5位、ニュージーランドで4位入賞を果たしています。

スバルでの黄金時代

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スバルからのフル参戦初年度となる2001年には初の2位表彰台を獲得し、キレた速さは見せるもののクラッシュも多く、安定感に欠けたシーズンを送ったソルベルグ。

翌02年には、チームメイトに4度のチャンピオン経験を持つベテラン、トミ・マキネンが加入します。

マキネンによる指導を受けたソルベルグはリタイアが減り、チャンピオンを目指すための安定した走りを手に入れました。

そして2002年、最終戦のラリーGBでは待望の初優勝を果たし、翌年に向けての期待が一気に高まります。

迎えた2003年シーズンは、カルロス・サインツとセバスチャン・ローブとの三つ巴のタイトル争いを展開。

ソルベルグは序盤苦戦するものの、キプロスラリーでシーズン初勝利を記録するとそこから一気に調子を上げ、最終戦を前に首位と1ポイント差に付けます。

優勝したものがチャンピオンという最終戦ラリーGBで、追うしかないソルベルグはSSベストを連発し見事優勝!

ワールドチャンピオンの称号を見事獲得してみせました。

Pick Up Car

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スバル・インプレッサWRC2003

GDB型をベース車両としたいわゆる”涙目”が特徴で、他車と比べて一回り大きい車体を持ち、唯一のピレリタイヤ装着車両。

コーナリング時の安定感を出すために採用されたスプリッターウイングは、その見た目の派手さに、人気を博しました。

このマシンでソルベルグは、優勝4回を含む表彰台7回を記録しました。

スバルでの苦悩、そして自チーム設立

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チャンピオンとして臨んだ2004年シーズンは、シーズン5勝を記録するものの、6勝のローブをポイントで上回れずにタイトル防衛を出来ずにシーズンを終了します。

そして2005年はシーズン序盤に2勝し、順調な滑り出しを見せるも、中盤に失速。

ラリージャパン2連覇を狙うも、残り2SSにして不運なリタイアを喫し万事休す。

そして、そこから低迷が始まります。

インプレッサの戦闘力が相対的に低下したこと、不運なトラブルが多いことから、2006年以降表彰台争いすらままなりませんでした。

また、ランキングも6位、5位、6位とチャンピオン争いに全く絡めない3年間たとなります。

さらに2008年12月に、スバルが突如撤退を発表。

2009年開幕まで1ヶ月を切ったタイミングでシートを失ってしまいます。

既に全てのワークスシートが埋まっている状況で、ソルベルグは自チームを結成して参戦することを決断。

4年落ちのシトロエン クサラを用意し、2戦目から参戦を再開。

堅実な走りで2度の3位表彰台を獲得し、腕が衰えてない事を証明しました。

翌2010年には1年落ちのシトロエン C4を駆り、優勝こそないものの8度の表彰台を記録し、プライベーターながらランキング3位に食い込みます。

そして2011年にはワークススペックのシトロエン DS3を手にしたものの、フォードの躍進もあり、2005年以来の優勝は果たせないまま。

ワークス勢に次ぐランキング5位は確保するも、セバスチャン・オジェやヤリ・マティ・ラトバラから遅れを取ることも多く、世代交代を印象付けられるシーズンとなりました。

Pick Up Car

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シトロエン・C4WRC

2007年にデビューしたC4WRCは、ローブの4年連続チャンピオンの原動力となった名車です。

WRCの歴史の中で、最も勝利数の多い車両という記録を持つC4は1年落ちでも抜群のスピードを見せました。

ソルベルグは戦闘力がある車両で躍動。ローブとの熱い戦いを見せてくれました。

12年ぶりのフォード復帰、そして原点ラリークロスへ

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3年間の自チーム参戦の後、Mスポーツフォードからの2012年シーズン参戦が決定し、久々のワークスドライバー契約を果たします。

それは、かつてのマキネンのように、勢いのある若手エースをサポートするセカンドドライバーとしての契約でした。

シーズン中盤までは着実に上位を走行してポイントを稼いでいましたが、シーズン後半にアクシデントを連発し、ランキングは5位で終了。

そして、翌2013年には原点であるヨーロッパラリークロス選手権へと戦いの舞台を移し、復帰初年度を8位で終えました。

2014年にヨーロッパラリークロスが世界選手権へと格上げされると、シーズン初めから快進撃を見せます。

そして、残り2戦を残してチャンピオンを獲得。初めて2つの世界選手権を制したドライバーになりました。

2015年もチャンピオンを獲得し、2連覇を達成。2016年以降はワークス勢に苦戦するも、それでもトップコンデンターとしての活躍を見せました。

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フォルクスワーゲン・ポロRスーパーカー

世界ラリークロス選手権に参戦するために、ペター・ソルベルグチームとフォルクスワーゲンモータースポーツが共同で開発した車両です。

WRCから撤退し、必要なくなったポロWRCをベースとしており、エンジンは570馬力を絞り出し、0-100kmが1.9秒というモンスターマシンです。

このマシンでソルベルグのチームメートであるヨハン・クリストファーソンがチャンピオンを獲得しました。

競技からの引退、そしてその魂は息子へ

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ラリークロスへは2018年を持って参戦を終了し、2019年シーズンでの引退を発表します。

そして2019年は、世界の様々なイベントに参加するお別れツアーを遂行。日本には11月のセントラルラリーに登場し、デモランを披露しました。

今後は息子であるオリバー・ソルベルグのサポートに回り、親子2世代での世界チャンピオンを目指します。

ちなみに18歳のオリバー・ソルベルグは、スバルラリーチームUSAから、ベターが駆ったブルーに六連星が描かれたスバル・WRXを駆っています。

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フォルクスワーゲン・ポロGTI・R5

ソルベルグが開発ドライバーを務めた、カスタマー向けR5クラスのポロGTI。

他メーカーより開発期間を長く取ったことで、デビュー直後から戦闘力を発揮しています。

ソルベルグの引退ラリーである2019年ラリーGBでは、見事自らの手でWRC2クラス優勝を果たしました。

また、息子オリバーも一緒に参戦し、リタイアに終わったものの驚速タイムを連発。今後に期待ができる走りを見せました。

まとめ

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走りだけでなく、箱乗りパフォーマンスや積極的なファンサービスで、今でも世界的に人気のあるペター・ソルベルグ。

ドライバーとしての参戦はなくなりますが、彼の作り上げたポロGTI R5は、彼の愛息子オリバーがその魂を引き継いで走ります。

ゼンカイ!が合言葉で常に限界の走りを見せてくれたペター・ソルベルグは、父親として2世代チャンピオンへの道を全開で進んでいってくれるはずです。

2020年から復活するラリージャパン、そこで再び会えることを楽しみに待ちましょう。

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