70年代から80年代にかけて、ブラバムF1チームで数々の奇抜なアイデアを形にしてきたゴードン・マレー。ブラバムF1チームのデザイナーを引退した後は、史上最高のロードカーとも呼ばれるマクラーレンF1を生み出しています。今回は、そんなマレーがF1時代に設計した名車を4台、ご紹介します。

出典:https://www.brabhamautomotive.com/legacy/

マレーメソッドの誕生/ブラバム・BT44

Photo by crazylenny2

1974年シーズンにデビューしたBT44は、前年まで使用していたBT42の正当発展型のF1マシンです。

一番の特徴は、断面に三角形のアルミハニカムモノコックが採用されていることで、これは前面投影面積を減らして空気抵抗の軽減を狙ったものです。

フロントには当時流行りのスポーツカーノーズを採用していますが、そこにもラジエーターを2分割して設置する独自性が見られました。

74年シーズンはカルロス・ロイテマンが3勝を挙げ、速さを見せます。

エンジンは当時大半のチームが使用していたコスワースDFVが搭載されていたので、車体の素性の良さが伺えます。

翌年75年シーズンにはマルティニカラーを纏い、改良型であるBT44Bを投入して戦いました。

マイナーチェンジモデルながら、信頼性の向上とダンフォースの向上を果たし、ランキング2位を獲得します。

マレーがデザインした車両には特徴があり、低く小さい車体で、低重心と抵抗の少なさを武器としていました。

マレーにとっては初期の作品であるBT44ですが、すでにその片鱗が見て取れるでしょう。

一戦限りのファンカー/ブラバム・BT46

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%A0%E3%83%BBBT46#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:2001_Goodwood_Festival_of_Speed_Brabham_BT46B_Fan_car.jpg

1978年シーズンに使用されたBT46は、F1史に残る珍車と言えるでしょう。

シーズン開幕前のテストでは、ストレートスピードを上げるためにサイドカウル上にラジエーターを並べた表面冷却構造を投入。

これは、通常は正面から風を受けているラジエーターをカウル上に並べることで、風の向きと平行にして空気抵抗の減少を狙い設置されたもの。

冷却効率が下がる分は、枚数を増やすことで水温の上昇に対応しようと試みました。

しかし、枚数を増やしても水温の上昇を防ぐことは出来ず、更にはラジエーターの熱でカウルが歪んだりと問題が多発。

残念ながら表面冷却のアイデアはお蔵入りとなり、オーソドックスなスタイルで実戦に投入されることになりました。

しかし、マレーのチャレンジはここで終わりませんでした。

今度はシーズン中に大改造。

リアエンドに大型ファンを取り付けたBT46B”ファンカー”をデビューさせます。

エンジン冷却のためという名目のもとに設置された大型ファンでしたが、実際はダンフォースの増加を狙ったもの。

車体床下の流速が速ければ速いほどダウンフォース量が上がることに目を付け、強制的にファンで風を抜くことで流速を上げることに成功しました。

そして投入されたスウェーデンGPでは圧倒的な速さを見せて優勝を果たすものの、その1戦限りで使用禁止になってしまいます。

1戦限りとなってしまった”ファンカー”は、レースファンに強烈なインパクトを残し、今でも人気の高い一台です。

ハイドロニューマチックF1誕生/ブラバム・BT49

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%A0%E3%83%BBBT49#/media/ファイル:Brabham_bt49.jpg

1980年から本格投入されたBT49は、デビューイヤーにランキング3位、翌年には2位を獲得したブラバムの歴史の中でも3本の指に入る名車です。

76年から4年間使用していたアルファロメオのV12エンジンでしたが、その信頼性と重さに嫌気が差したことから、コスワースDFVへと原点回帰します。

そして前年型であるBT48をベースに、モノコックにカーボンを貼りつけて剛性アップを図った他、DFVの燃費の良さを活かすために燃料タンクのサイズを小さく再設計。

軽量なエンジンとバランスの良いシャシーが功を奏し、デビュー2年目のネルソン・ピケが初ポールポジション、初優勝を達成しました。

1981年にはBT49Cに進化しますが、ここでもまた、マレーによる革新的なアイデアが導入されます。

この年からグランドエフェクト効果を抑制するために、最低地上高を60mm以上とするレギュレーションが採用されました。

マレーはそこに目をつけ、車検を受ける停車時には60mm以上になるものの、走行中は車高が下がる”ハイドロニューマチック”サスペンションを実戦投入します。

走行中、見た目には明らかに規定の最低地上高を下回っているものの、それを測定する術はなくFIA側も黙認状態。

他チームもこぞって追従するものの、付け焼き刃感は拭えず、BT49Cの優位性は保たれたままでした。

結果として、エースドライバーであるピケが優勝3回、表彰台7回を記録し、ドライバーズチャンピオンを手にしています。

16戦15勝、最強のF1/マクラーレン・MP4/4

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BBMP4/4#/media/ファイル:Ayrton_Senna_1988_Canada.jpg

16戦15勝というF1史に輝く記録を残し、アイルトン・セナ、アラン・プロスト両氏による白熱したチャンピオン争いで記憶に残る活躍を見せたMP4/4。

実はこの名車も、ブラバムからマクラーレンへと移籍したマレーが手掛けたマシンです。

一人でデザインしていたブラバム時代とは違い、MP4/4はスティーブ・ニコルズとの共作ですが、その見た目からはマレーのメソッドが見て取れます。

前年までのずんぐりむっくりとしたMP4/3からは大幅にデザインが変更され、見るからに重心が低く抵抗の少ないワイド&ローなデザインは、まさにブラバム時代の手法そのまま。

ホンダエンジンの強力なパワーと相まって、F1史に残る活躍を見せてくれました。

そして、これを最後に、マレーはロードカーデザイナーへと転身し、マクラーレンF1を生み出すに至ります。

まとめ

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BBF1#/media/ファイル:1996_McLaren_F1_open.jpg

現在でも、独自のロードカーの設計を続けているゴードン・マレー。

彼の今の作品からも、F1デザイナー時代からのメソッドが見て取れます。

ブラバムチームで数々のアイデアを形にし、マクラーレンでその集大成を見事に成功させた稀代のデザイナー。

カリスマデザイナーの系譜はその後、エイドリアン・ニューウェイやロリー・バーンへと引き継がれていきます。

デザイナーの力量が大きく影響する現代のF1。マレーは、まさにその走りといえるでしょう。

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