1993年の3代目ジェミニ生産終了とともに、セダンやクーペなどの独自生産から撤退したいすゞですが、SUVの独自生産は2018年現在に至るまで続いており、2002年までは日本での販売も行われていました。むしろジェミニ生産終了後のいすゞは、起死回生を図ろうと積極的に近未来デザインのSUVをモーターショーに出展していたほどでしたが、その中で唯一、本当に販売して自動車ファンの度肝を抜いたのがビークロスです。
掲載日:2018/12/28
まさか本当に発売するとは!衝撃の近未来デザインSUV
販売不振に経営不振、ついには不採算部門として乗用車部門をやめてしまう自動車メーカーの末期とはどのようなものか?
1960年代末期にコニー(愛知機械工業)が自動車メーカーとしての存在をやめ、日産傘下企業として生き残りを図って以来あまり無かった事ですが、1990年代のいすゞが久々にそのような状況に陥っていました。
アスカとジェミニの生産打ち切り、SUVを除く乗用車独自生産からの撤退がそれでしたが、独自生産モデルがSUVやピックアップトラック(ロデオ)、1BOXバン / ワゴン(フィリー)だけとなってもなお、いすゞはあきらめる事を知らなかったのです。
むしろSUVで挽回すべしとばかりに、1990年代に入ってから個性的デザインのSUVを毎回東京モーターショーで発表。
まだまだフォーマルなシーンが似合う『クロスオーバーSUV』などが一般的では無かった時代で、無骨なスタイルのSUVが多かった中で異彩を放ちます。
中には今発売すれば賞賛されるであろう優れたデザインが多かったものの、当時としては未来的すぎて『奇をてらい過ぎ』でコンセプトカー止まりと思われるデザインが多く、その割には妙に現実的で市販しそうな車が多かったものです。
それでも、『まさかこれを市販するとは!』という1台が市販されて度肝を抜かされたのが、1993年の東京モーターショーに出展され、1997年4月に発売されたビークロスでした。
樹脂を多用した未来的デザインと本格派クロカン4WDの融合
1993年の『ヴィークロス』はジェミニのプラットフォームを使ったもので、もしそのまま市販されていれば翌年発売された初代トヨタ RAV4と並ぶ、『最初期の傑作クロスオーバーSUV』となっていたかもしれません。
しかし残念ながらジェミニが生産終了となってしまったので、ベースはビッグホーンのショートボディ版に変更されましたが、ショーモデルのイメージを崩さぬよう絶妙にデザインが整えられます。
結果、『ビークロス』と改名した上で1997年に登場した市販型は、まさに『未来から来たクロカン4WD』になりました。
前後の灯火類に至るまで曲面が多用され、ボディ上半分こそ鋼板製なものの下半分は広い範囲が樹脂製で、背面には無骨なスペアタイヤカバーなど無い代わりにテールゲートが盛り上がっており、内部にスペアタイヤを収納。
2018年現在の『クロスオーバーSUV』でもここまで極端に樹脂や曲線を多用、強調したデザインは稀なほどで、ビークロスのデザインに現在のデザインすら追いついていないような、あるいは追いつく日など来ないのかも、と思わされます。
とは言え中身はビッグホーンなので、本格的なヘビーデューティ4WDそのもの。
いすゞにしては珍しくディーゼルエンジンを搭載しない3.2リッターV6ガソリンエンジン専用で、ビッグホーン・ハンドリング・バイ・ロータスSEに設定されていた電子制御トルクスプリット4WDの『TOD(トルク・オン・デマンド)』を採用していましたが、特異なデザインの2ドア車で、かつクロスオーバーSUV市場がまだ爆発的ヒットを迎える前の車なので、販売台数はそう多くありません。
しかし、翌1998年にモデルチェンジされたミューやウィザードが保守的デザインだった事を考えると、弾けたデザインのビークロスはまさに『いすゞ最後の衝撃』で、日本の自動車界に強い印象を残し、わずか2年足らずの国内販売期間を終えました。
(※1999年3月で販売終了した後、2002年にアクシウムを後継として販売終了するまで北米で販売)
幻のビークロス派生車
ビークロスは基本的にモノグレード(単一グレード)で、唯一の特別仕様車は国内販売末期に開発コード由来の175台が限定生産された『175リミテッド』のみです。
しかし、いすゞはビークロスでまだ多くの夢を見る願望があったようで、国内販売終了後の1999年東京モーターショーで発表された2シーターオープン版『VX-O2』など、なかなか派手な1台でした。
都会的デザインのSUVでオープンモデルを販売する試みは、後に日産 ムラーノ・クロスカブリオレ(2011年)、ランドローバー レンジローバーイヴォーク・コンヴァーチブル(2016年)で実現しており、VX-O2はむしろ先見の明を感じるほど。
もっとも、本当に2シーターオープンで発売する冒険に出たスズキX-90の例を見る限り、実際には後席を設けて4シーター化は必須だったかもしれません。
さらに、販売しにくい2ドア車というハンディを克服すべく、4ドア化したVX-4も2000年に発表されましたが、これも残念ながら市販に至りませんでした。
上記画像は撮影された角度のためか後部ドアがだいぶ小ぶりに見えますが、後のトヨタ FJクルーザーのように観音開きドアを採用するのはデザインの都合で難しかったのかもしれません。
2ドアSUVと言えば後にホンダ HR-V(1998年)も苦戦していますが、ビークロスも4ドアで販売していたらもう少し売れたのか?ビークロスと同年に発売された初代トヨタ ハリアーが大ヒットしたのを考えると、ちょっと惜しかった気がします。
主なスペックと中古車相場
いすゞ UGS25DW ビークロス 1997年式
全長×全幅×全高(mm):4,130×1,790×1,710
ホイールベース(mm):2,330
車両重量(kg):1,750
エンジン仕様・型式:6VD1 水冷V型6気筒DOHC24バルブ
総排気量(cc):3,165
最高出力:158kw(215ps)/5,600rpm
最大トルク:284N・m(29.0kgm)/3,000rpm
トランスミッション:4AT
駆動方式:4WD
中古車相場:49~119万円
まとめ
2002年にSUVすら国内販売を終了させてしまったいすゞにとって、ビークロスはまさに『最後に咲かせた仇花』でした。
コストダウンのために可能な限り他社製も含む既存パーツを流用した割には、モータースポーツの技術をフィードバックしたというアルミ製別タンク式ショックアブソーバーを純正採用するなど、妙に凝った面もあります。
そして、ダカールラリーへの出場や、トンボハウスによるアジアクロスカントリーラリー出場といった華々しい場面や、その特異とも言えるデザインから特撮モノやSF映画への登場も見られるほどですが、基本的には『いすゞ最後の冒険』と言える車でした。
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