1968年、いすゞ自動車から登場した『117クーペ』は、イタリアのジョルジェット・ジウジアーロ氏が手掛けた美しいボディデザインで有名な1台。ハンドメイドと呼ばれる前期型、量産化された中期型、スターシリーズとして登場した後期型と、一度もフルモデルチェンジせずに製造され続けたこのクルマは、デビューして10年経過した後も、月間販売台数を1000台前後記録し、根強い人気を博しました。
掲載日:2019/05/18
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ジュネーブショーにてプロトタイプ発表
1966年3月のジュネーブショーで、いすゞ自動車は美しいデザインのプロトタイプカーを発表しました。
『117スポーツ』として出品されたこのプロトタイプカーは話題を呼び、その年開催されたイタリアの国際エレガンスコンクールで名誉大賞を受賞します。
このクルマのデザインの特徴を簡単に説明すると、サイドラインは一見普通のコークボトルの様なラインを描きながらテールへと向かっています。
ルーフ部分は室内空間を広く取られ、大人4人が居住性を確保出来るように造形されつつも、クーペとしてのデザインを損なわない『美しい曲線』を描いてテールエンドへとつながり、サイド部分と融合しています。
カロッツェリア ギアのジウジアーロ氏がデザインを手掛けた、ファストバックスタイルの『117スポーツ』は、同年秋の東京モーターショーでも賞賛を博することとなり、このクルマの市販化への期待が一気に高まっていきました。
『ハンドメイド』前期型117クーペ誕生
1968年10月、いすゞ自動車は『117スポーツ』のデザインを承継した市販モデル、『117クーペ』を発売します。
ジウジアーロ氏が生み出した『美しい曲線』を可能な限り承継するために、いすゞはカロッツェリア ギアから職人を呼び寄せ、プレス加工されたボンネットやフェンダーなど、手作業で仕上げる工程を、彼らから学びながら造形することに。
そんな『117クーペ』は、ボディ部分の仕上げはもちろん、トリム装着など細かな作業は手作業で行なわれる、現代では考えられない職人気質な工程で造られていたのです。
それが故に『ハンドメイド』と呼ばれていた前期型の月間制作台数は、当初50台以下でした。
ちなみに、このクーペのフロアユニットは、同時に開発を行なっていた4ドアセダン『フローリアン』と共通のものを使用しているため、両車種ともに全幅やホイールベースは全く同じです。
また、開発段階での『フローリアン』の社内コードが117型であったため、4ドアのフローリアンは通称『117サルーン』と呼ばれていて、対するクーペモデルの呼称が『117クーペ』となり、その結果、そのまま実際の車名となって販売されたそうです。
エンジンは後にベレットGTRに搭載されることとなる名機、『G161型』DOHCユニットを搭載。
前期型に搭載されていたこのエンジンは、最高出力120ps/6400rpm、最大トルクは14.5kgm/5000rpmを誇り、濃紺に塗られたエンジンヘッドカバーが他とは違うプレミアム感を醸し出しています。
さらに、1970年のマイナーチェンジで、1.8リッターツインキャブレターエンジン搭載モデルを追加。
この1.8リッターエンジンの追加により、いすゞ自動車は日本メーカーとして初めて『電子制御燃料噴射装置』を搭載した乗用車を販売するという、技術的な快挙も成し遂げました。
しかし、海外のモーターショーで発表され、その美しいデザインに見合う高級志向のユーザーに向け製作された前期型でしたが、時代は大量生産や環境問題に直結する排気ガス対策へと変化してしまい、他メーカーと同様、いすゞ自動車もその対策が急務となっていきました。
排ガス規制と大量生産に向けて中期型誕生
コスト度外視で、仕上げ部分をハンドメイドにより製作されていた前期型の『117クーペ』でしたが、日本も省エネルギー問題や排気ガス抑制の時代に突入し、メーカー各社も時代に応じた製品造りが要求されることとなりました。
その問題の答えを出すかのように、いすゞ『117クーペ』も1973年にマイナーチェンジを施し、通称『中期型』が誕生します。
『前期型』の外観デザインを上手く承継し、全体的なイメージは損ないモデルチェンジになりましたが、残念ながら『ハンドメイド』と呼ばれる所以となった手作業工程は全廃され、ボディ仕上げもプレス加工の型枠によるものに一変。
併せて行なわれた北米市場対策により、バンパー形状やリアコンビネーションランプ等も大型化されてしまい、その結果『前期型』が醸し出していた、良い意味で謙虚さのある独特の『オーラ』は、少し失われてしまいます。
さらに、昭和51年規制に向けたエンジンの排ガス対策は、『I.CAS(Isuzu Clean Air System)』により車種に応じてI.CAS-AからDまで4種類の浄化システムの中より、規制に合わせて搭載。
このシステムは2次エア噴射装置(車種によっては2次エア導入装置)やEGRなどと提携関係にあったGM(ゼネラル モーター社)が開発した触媒コンバーターを組み合わせて装備されたものでした。
さらに、厳しい排気ガス規制をクリアするためにエンジンのバルブタイミングや点火時期等の見直しも行なわれ、『I.CAS』のシステム全体の精度を上げる緻密な開発を実施。
そんな中期型・最高級グレードXEに搭載された1.8Lリッターエンジンユニットには、吸入空気量を直接検出する『Lジェトロニック化』が施され、最高出力130ps/6400rpm、最大トルク16.5mkg/5000rpmを発生。
この他、燃費向上対策として、従来の4段ギアボックスに『ギアレシオ0.855』のオーバードライブを加えた、5段ギアボックス付きモデルも同時期に発売されました。
2リッターエンジンを搭載して後期型『スターシリーズ』誕生
1978年12月4日、いすゞ自動車は昭和53年排ガス規制をクリアするために、排気量をアップした2リッター新型エンジンを搭載した『117クーペ』後期型を『スターシリーズ』としてマイナーチェンジ。
この新型エンジンは、従来の1.8リッターエンジンと同じエンジンブロックを使用するも、ボア径を3mm拡大することにより排気量を1949ccにアップしてエンジン出力を向上。
2次エア供給、排気ガス再循環装置、酸化触媒(DOHCモデルは、EGR+いすゞ初となるO2センサー付き三元触媒装着)などを組み合わせて、厳しい排ガス規制を見事にクリアしたのです。
このマイナーチェンジにより、『117クーペ』は全車フルトランジスター式イグニッションコイルを装備し、上級グレード車は4輪ディスクブレーキを装着することになりました。
また、外観の大きな変更点は、従来までのフロント部分のイメージを覆す角型4灯ヘッドライトの採用で、さらに良い意味で60年代の雰囲気を残していたメッキ製バンパーも、質素な樹脂製の物へと変更されています。
当時、他の国産メーカーからはセリカやフェアレディZ、サバンナRX-7などの新型2by2スペシャリティーモデルが登場するなか、時代に応じた改良を繰り返しながら10年以上フルモデルチェンジせず、安定した販売台数を残してきた『117クーペ』でしたが、いすゞのスペシャリティーカー『ピアッツァ』の誕生によりそのバトンを渡し、1981年に惜しまれながらその姿を消すこととなりました。
いすゞ自動車117クーペ・スターシリーズXEスペック
エンジン形式 | 4気筒DOHC |
ボア×ストローク | 87×82mm |
総排気量 | 1949cc |
燃料配給装置 | 電子制御燃料噴射 |
最高出力 | 135ps/6200rpm |
最大トルク | 17.0kgm/5000rpm |
シャシ | モノコック2ドア |
サスペンション形式・前 | ダブルウィッシュボーン/コイル |
サスペンション形式・後 | リジッド・リーフ/トルクロッド |
ブレーキ前・後 | ディスク |
全長 | 4320mm |
全高 | 1325mm |
全幅 | 1600mm |
車両重量 | 1145kg |
まとめ
『117クーペ』が誕生した後の1969年、いすゞ自動車は雑誌に「いすゞは無個性な車はつくらない」というキャッチフレーズの広告を登場させました。
1960年代、クルマ造りに携わる日本人の多くがイタリア車に憧れ、追いつこうとした時代でした。
いすゞ自動車から登場した『117クーペ』は、まさにその代表格とも言える1台で、徹底的にイタリアの手法を真似た、いわば日本メーカーが製造する個性的な『イタ車』と言えるでしょう。
そんな『117クーペ』誕生から10年後の1978年、いすゞ自動車はそのオーナーたちへの感謝の意味もこめたメッセージ性の強い新聞広告を掲載。
広大なビルの屋上に『117クーペ』が98台並べられた画像が掲載され、隣には『これまで生産された117クーペの98%がいまだに現役で走り続けている』というキャッチコピー。
国産メーカーが販売する乗用車のなかで、これほど残存率が高いクルマは当時としても異例で、前期型からDNAを引き継いだ中期型やスターシリーズの後期型まで、すべてのオーナーが並々ならぬ感情を抱きながら、名車『117クーペ』を大切に所有し続けていたのです。
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