1990年代の深刻な経営不振で1999年には仏ルノーの傘下に入り、経営再建を図って今に至る日産ですが、その直前に発売が決まっていたモデルがありました。それがバサラで、当時まだ販売系列再編中だった日産で、ブルーステージ店(日産店/モーター店)のプレサージュをレッドステージ店(プリンス店/サニー店)でも売りたいと発売してみたら、超絶レア車になってしまったというミニバンです。

日産 バサラ / 出典:https://www.favcars.com/nissan-bassara-ju30-2001-03-wallpapers-131641.htm

経営悪化で混乱する中、悪戦苦闘した日産のミニバン戦略

日産 バサラ / Photo by Jones028

1980年代の「901運動(90年代に技術力世界一!)」で1990年前後に数多くの名車を輩出したものの、意外と販売面では貢献できずにバブル時代の割にはパッとせず、気を取り直してモデルチェンジする頃にはバブル崩壊とRVブームで、日本人の価値観がすっかり変わってしまい、さあ大変!

1990年代の日産転落劇はそんな感じで始まり、どうにか穴埋めしようと繰り出した改良や新型車もほとんどが不発。マーチやエルグランドなど、わずかな孝行息子の奮闘が辛うじて支える裏では、ハタ目から見ても開発から販売まで大混乱、時を追うごとに速度を上げて急坂を転げ落ちていき、日産の命運はもはや風前の灯火かと思われました。

当時も相変わらずZEV(ゼロ・エミッション・ビークル)普及に熱心だったアメリカのカリフォルニア州向けに作った「アストラEV」を、なぜか2列シートで前後方向のスペースだけが妙に広い車(何にカテゴライスしていいか不明)として、1997年10月に「ルネッサ」を市販したのもその頃です。

二重底の床下バッテリースペースは単なるデッドスペースでフロアは高床、漠然と足を投げ出し不自然な姿勢で座るしか無いルネッサに需要などほとんどありませんでしたが、そこで潔くあきらめないのが当時の日産でした。

バサラの元ネタ、日産 プレサージュ / 出典:https://www.favcars.com/wallpapers-nissan-presage-u30-1998-2003-27838.htm

なんと高床フロアはそのままに、セミハイルーフ仕様として室内高を確保。オデッセイ対抗馬の新型ミニバン「プレサージュ」(初代)として、1998年6月に発売してしまいます。

堂々たる見かけの割に高床フロアで、ライバルのオデッセイより100mm近くノッポなのに室内高は15mm低くて乗降性もイマイチでしたが、オデッセイにはない3リッターV6エンジンや2.5リッターディーゼルターボといったパワフルなエンジンラインナップで、どうにか差別化には成功してソコソコの売れ行きとなりました。

ただし問題はこのプレサージュを販売していたディーラーで、当時ようやく販売網再編に取り掛かっていた日産が「日産店」と「モーター店」を統合し、1999年4月に始まった新系列「日産ブルーステージ店」のみでの扱いだったのです。

同時期に「プリンス店」と「サニー店(ラティオ店)」を統合した新系列「日産レッドステージ店」で販売していたミニバンは、エルグランド(初代)を除けば3人乗り×2列シートというコンセプトがどうも不発に終わりそうなティーノくらいだったため、「レッドステージでもプレサージュを売りたい」となるのは当然の事。

そこでエルグランドのようにプレサージュも全店扱いとすれば良かったように思いますが、なぜか別ごしらえの新型車を作り、1999年11月に発売したレッドステージ版プレサージュが「バサラ」でした。

8人乗りが基本のプレサージュより高級感を狙った7人乗りミニバン、バサラ

日産 バサラ / Photo by Jones028

発売当時から「プレサージュの前後デザインを変えただけじゃないか」と言われ、自動車関係のメディアからも大きく取り上げられる機会は少なく、マイナー車になる事を宿命づけられたかのようなバサラですが、よく見るとコンセプトがかなり異なります。

前後とも横基調デザインのプレサージュに対し、バサラはアメリカンな大型メッキグリルもテールランプユニットも縦基調のデザインで、前後以外のボディパネルや構造、メカニズムは共通とはいえ、雰囲気が大きく違いました。

3列シートもオーテック仕様の「アクシス」が2-2-3レイアウトなのを除けば2-3-3レイアウトの8人乗りが標準なプレサージュに対し、バサラは当初全グレードが2-2-3レイアウトの7人乗りを基本に、2列目にオプションのスプリットベンチシートを選べば8人乗り。

価格も全体的にバサラの方が若干高い上に、プレサージュのような200万円以下の廉価グレードは設けられず、逆に内装を充実させたラグジュアリーパッケージや本革パッケージを設定し、「プレサージュの高級仕様」としたのです。

この画像ではわかりにくいが、「ルネッサベースの高床ミニバン」がバサラと初代ブレサージュの弱点だった / 出典:https://www.favcars.com/nissan-bassara-ju30-2001-03-images-211083.htm

レッドステージ店はブルーステージ店より高級志向を狙いたかったという事かもしれませんが、結果的にバサラは「約1年半遅れで登場したプレサージュ姉妹車」として全く注目されませんでした。

CMなどでも、「ミニバン・クルーザー」というキャッチコピーで動力性能の余裕をアピールしたプレサージュに対し、都会派ミニバンとして「そのデザインは心の奥に火を点ける」というキャッチコピーとは裏腹に知名度も微妙だったバサラの販売は、完全に低迷します。

気がつけばプレサージュのような8人乗り廉価グレードやファミリー向けのKid’sバージョンがバサラに追加される一方、逆にプレサージュへ本革パッケージが追加されるなど、「どっちが主役か」を見せつけられる結果になりました。

主要スペックと中古車価格

コラムシフトATが時代を感じさせるバサラの運転席周り / 出典:https://www.favcars.com/wallpapers-nissan-bassara-ju30-2001-03-131644.htm

日産 JVU30 バサラ X(ディーゼル) 1999年式
全長×全幅×全高(mm):4,795×1,770×1,725
ホイールベース(mm):2,800
車重(kg):1,690
エンジン:YD25DDTi 水冷直列4気筒ディーゼルDOHC16バルブ ICターボ
排気量:2,488cc
最高出力:110kw(150ps)/4,000rpm
最大トルク:279N・m(28.5kgm)/1,800rpm
10・15モード燃費:13.2km/L
乗車定員:7人
駆動方式:FF
ミッション:4AT
サスペンション形式:(F)ストラット・(R)マルチリンクビーム

(中古車相場とタマ数)
※2021年3月現在
流通皆無

旧時代の日産らしい「咲きかけの花」

日産 バサラ / 出典:https://www.favcars.com/nissan-bassara-ju30-2001-03-photos-131643.htm

結局、ルノー主導の再建プランが進んだ日産では、さらに車種整理が進むと全系列販売店「レッド&ブルーステージ店」も誕生するなど、日産単独ではなし得なかった販売網の整理統合が徹底され、車種ラインナップも整理されていきます。

そんな中、2003年にプレサージュがモデルチェンジするとバサラはあっさり廃止され、低い知名度、少ない販売台数とあっては記憶する人も少なくなり、もはや国内での中古車流通台数もほぼ皆無。海外のフリー画像投稿サイトでも「日本から輸入されたレア車」として紹介されるほどです。

バサラの発表時点で既にルノーの再建策は動き出しており、ルノーから派遣された幹部も「なぜプレサージュと同じような車を発売するのか?」という質問に対し「我々が来た時にはもう決まっていたから仕方なかった」と答えるなど、散々な扱いでした。

改めてバサラを見ると、初代プレサージュよりスッキリとしたデザインはたしかに気品を感じさせるものの、しょせんは旧時代の日産が作った「咲きかけの花」。

新時代の日産では咲き誇る必要がないとされましたが、だからと言って積極的な宣伝もほとんどされず、ひっそり売られ、ひっそり消えていくにはちょっと惜しい車でした。