かつて三菱の国内販売ラインナップが豊富だった頃、メインのギャラン店と若者向けにミラージュを中心としたカープラザ店の2チャネル体制だった時期があり、ギャラン相当のカープラザ店向け姉妹車「エテルナ」が長らく販売されていました。1996年にミラージュセダンよりチョイ格上の「カリスマ」が発売されるとエテルナは廃止されますが、結局ギャランの姉妹車が必要となり、1998年に追加されたのが「アスパイア」です。

三菱 アスパイア / 出典:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/company/history/car/

エテルナ後継の「本命」?8代目ギャランから2年遅れで登場したアスパイア

アスパイアのカタログ。「アスパイアが始まる」「いいもの ながく 三菱自動車」…意味深である / 出典:https://www.en.japanclassic.ru/booklets/130-mitsubishi-aspire-1998-ea1a.html

1919年に、当時の三菱造船で三菱A型を開発(後に三菱内燃機へ移管)し、少数ながら量産販売もしていた三菱ですが、本格的に乗用車事業へ参入したのは戦後に三菱500を発売した1960年です。

それから「コルト」シリーズや軽自動車の「ミニカ」を作って実績を積み、1969年に発売した初代「ギャラン」がようやくヒットするというスロースターターでしたが、1978年に発売した初代「ミラージュ」も、まだ珍しかったFFハッチバックに、ハイ/ロー2段切り替えで実質8速MTとして使える副変速機つき4速MTがウケ、これもヒット作となります。

この初代ミラージュ登場時、三菱もトヨタカローラ店やトヨタオート店、日産サニー店や日産チェリー店のような若者向けディーラーで販売したいと考え、「カープラザ店」を設立。

当時3代目だったギャラン(ギャランΣ)姉妹車として、「エテルナ」が発売されました。

その後、1988年に発売された4代目エテルナが5ドアハッチバックセダンとして登場。

しかし結局は保守層向けに4ドアノッチバックセダンが必要という事になり、1989年10月に従来通りのギャランのデザイン違い「エテルナSAVA(サヴァ)」が追加されました。

そしてバブル真っ只中な景気の良い頃に開発され、1998年に発売された5代目は、晴れてギャランと全く異なる独自デザインを採用する絶頂期を迎えます。

一方で、その頃はRVブームで売れ筋はミニバンとSUV、ステーションワゴンへ移行し始めており、セダンの売れ行きは激減。1996年にギャランがモデルチェンジした際、エテルナは車種整理で廃止されてしまいました。

それではカープラザ店の4ドアセダンラインナップがミラージュセダンのみとなるため、オランダのネッドカーで共同生産していたボルボS40姉妹車「カリスマ」の国内投入を決定。

5ナンバー枠の小型車ながらギャラン同様の1.8リッターGDI(直噴)エンジンを積む、いわばプレミアムコンパクト的な小型4ドアセダンとして発売されました。

しかしこのカリスマがまた鳴かず飛ばずで、そもそもエテルナ時代からカープラザ店にセダン需要はあまりなかったという事なのか、「やっぱりギャランと同じ車を売らなきゃ。それもできるだけコストをかけず、いつも通りに。」と、8代目ギャランから2年遅れの1998年8月に発売されたのが「アスパイア」です。

最小限のラインナップでVR-4も設定されなかった「不遇」

今でも走り続けているアスパイアはいるのだろうか? / 出典:https://www.en.japanclassic.ru/booklets/130-mitsubishi-aspire-1998-ea1a.html

ミラージュセダンとディアマンテ(ギャラン店とカープラザ店の併売)の中間を埋めるカリスマが売れず、結局はギャランの姉妹車に頼るしかなかったカープラザ店の苦境に馳せ参じた「アスパイア」ですが、おかげで一時期はミラージュセダン/カリスマ/アスパイア/ディアマンテと、4ドアセダンが4車種もラインナップされる事になります。

しかも、エテルナ時代と違ってギャランと同じ4WDターボやスポーツエンジンが供給されるでもなく、8代目ギャランのように2.4リッターGDIエンジンが搭載されるでもなかったアスパイアは、1.8リッターGDIに4速ATのみの組み合わせしかありません。

基本的にはそれぞれFFと4WDが設定された標準グレード「VR-G」と、上級グレード「ヴィエント」の設定で、1999年5月に中間グレードの「ビバーチェ」を追加。2000年5月にはギャラン同様に1.8リッターGDIを2リッターGDIへ更新されましたが、目立つ変化といえばそれくらいです。

8代目ギャランとの目立つ違いは、フロントグリルの三菱マークが赤いことや、テールのモデル名が違うくらいで、ヘッドランプやテールランプも若干は異なるものの、一発でギャランかアスパイアか見分けるには、よほど細かな違いを頭に入れていないと困難でした。

そもそも、この時期の「三菱自動車ファクトブック」を見る限り、アスパイアの販売台数は1998年~2003年に4,473台が販売されたのみで、デビューした1998年が1,600台、月販130台ちょっとながら最盛期となる2002年には月販20台以下の車だったため、致し方ありません。

数ある「メイン車の陰でひっそり売られていた姉妹車」の中でも、かなり冷遇が目立つ車でした。

主要スペックと中古車価格

三菱 アスパイア / 出典:https://www.en.japanclassic.ru/booklets/130-mitsubishi-aspire-1998-ea1a.html

三菱 EA1A アスパイア ヴィエント 1998年式
全長×全幅×全高(mm):4,660×1,740×1,420
ホイールベース(mm):2,635
車重(kg):1,260
エンジン:4G93 水冷直列4気筒DOHC16バルブ GDI
排気量:1,834cc
最高出力:103kw(140ps)/6,000rpm
最大トルク:181N・m(18.5kgm)/3,750rpm
燃費:-
乗車定員:5人
駆動方式:FF
ミッション:4AT
サスペンション形式:(F・R)マルチリンク

(中古車相場とタマ数)
※2021年3月現在
流通皆無

最後はカープラザ店とともに廃止され、今では超レア車なアスパイア

三菱 アスパイア / 出典:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/company/history/car/

細々と販売が続けられたアスパイアですが、2003年には三菱自動車の系列ディーラー全てで全車種が扱えるようになった時期に廃止され、ギャラン店とカープラザ店の境目も消失。「三菱カープラザ店」が存在した事すら、忘れ去られようとしています。

今ではトヨタですらやめてしまいましたが、かつては当然のように複数の販売チャネルを持ち、ラインナップさえしておけば車がそれなりに売れる時代もありましたが、そうした商法の限界点にあったのが、アスパイアのような車でした。

そもそも販売台数が少ない上に廃止から20年近くなり、中古車市場でも全く見かけません。今でも海外などに流出せず日本で使われているアスパイアがあれば、相当なレア車である事は間違いないでしょう。