コンパクトカーからスーパーカーまで、今や国産車メーカーが海外で作った車を売る事は珍しくなくなりました。そして純然たる国内専用車がほとんどなくなった結果、日本で売る為には、どこの国で作ろうと関係なくなったようですが、その中でも今回は「過去から現在まで、海外で生産されて日本で販売されたスポーツモデル」を6台紹介します。

(今回は選外)初代ホンダ アコードクーペ / Photo by dave_7
1.「あえて左ハンドルで通したアメリカンスポーツ」三菱 エクリプス(初代~3代目)

初代三菱 エクリプス(アメリカ製) / 出典:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/company/history/car/
今でこそSUVの「エクリプスクロス」として名残を残すのみとなりましたが、アメリカで生産されていた3ドアスポーツクーペの「エクリプス」は、1990年代から2000年代にかけて北米市場の人気車種であり、人気映画「ワイルドスピード」シリーズの第1作冒頭にも2代目が登場するほどでした(いきなり銃弾を叩き込まれて爆発炎上してしまいますが)。
1980年代、提携していたクライスラーと小型車の開発・生産を行う合弁企業を立ち上げた三菱は、クライスラー傘下のプリムスやイーグルといったブランドでも販売する小型スポーツカーをギャランベースで開発し、初代「エクリプス」として1989年に発売します。
日本でもまだFTOの発売前で、スタリオンや後継車GTOより小型で安価、軽量なスポーツクーペが求められていたため、初代エクリプスの導入を決定しましたが、当初から日本市場にあまり期待をしていなかったのか、それともFTOまでのつなぎでいいという事か、左ハンドルのままで1990年1月に発売。2リッターDOHCの4G63自然吸気FF版と4WDターボ版の2種類がラインナップされました。

2代目三菱 エクリプススパイダー(アメリカ製) / 出典:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/company/history/car/
しかし1994年には日本製の小型クーペ「FTO」がデビューしたので、エクリプスの役目も終わりと思いきや、FTOにはない2リッターターボFF仕様で1995年6月に2代目エクリプスを日本でも発売。
1996年5月には、これもFTOにはないコンバーチブル版「エクリプススパイダー」が追加されます。

2代目三菱 エクリプススパイダー(アメリカ製) / 出典:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/company/history/car/
その後、2000年9月に2代目エクリプスはFTOともども販売を終了。これで三菱のクーペも終わりと思いきや、アメリカではエクリプスが3代目へモデルチェンジしており、そのデザインが日本でも大絶賛され、輸入再開を望む声が高まりました。
そこで2004年10月より、3代目エクリプススパイダーの3リッターV6+4速AT(INVECS-II)限定の左ハンドル仕様を、アメリカから再度輸入して販売。期間は、2006年4月までの1年半ほどという短期間でした。
もっともこれが日本で販売された最後のエクリプスで、2006年にモデルチェンジされた4代目は、輸入されていません。
2.「つわものどもが、夢の跡」トミーカイラZZ

トミーカイラZZ(イギリス製) / Photo by Zero 935
「トミーカイラ」ブランド(現在は別会社にブランド移転)でチューニングコンプリートカーを作っていたトミタ夢工場が開発した、オリジナルスポーツカーが「トミーカイラZZ」で、1997年に発売されました。
ミッドシップにFCRキャブチューンで185馬力に引き上げられた日産SR20DEを搭載した軽量オープンスポーツで、イギリスに設立したトミーカイラUKで生産、輸入するという形が取られましたが、1999年に運輸省(現・国交省)が保安基準を改正し、輸入車の認証基準が変更された結果、大規模な改設計を要する事がわかり、プロジェクトは頓挫。
206台のZZが既に納車済みでしたが、残る400台以上のバックオーダーはやむなくキャンセルせざるをえなくなり、開発部門ASL(オートバックス・スポーツカー研究所)の移籍などを経て、2003年にトミタ夢工場は倒産してしまいます。
後継のZZIIはASLでの開発が継続されたものの、ガライヤともども本格的な市販は実現せず、2014年にEV版ZZが3代目として登場。1999年のプロジェクト頓挫はまさに「夢の終わり」を象徴した出来事で、当時密着していたドキュメンタリー番組では、廃工場となったトミーカイラUKの無残な姿が放映されました。
3.「最強の帰国子女」ホンダ・シビックタイプR(2代目EP3 / 4代目FK2 / 5代目FK8)

ホンダEP3 2代目シビックタイプR(イギリス製) / Photo by Ben
国産FFスポーツ最高傑作に数えられるホンダのシビックタイプRですが、実は日本国内で生産していたのは初代EK9と3代目FD2のみで、ほかは全てイギリスのホンダUKで生産されるヨーロッパ仕様のシビックハッチバックをベースとしていました。
何しろ日本では1990年代のステーションワゴンブーム以来「3ドアハッチバックって、実は不便なだけだよね。」と、今までライトバンチックで貧乏くさいと不人気だった5ドア車が売れるようになった一方で、3ドアハッチバックはサッパリ売れなくなって、6代目EKシビックですら後期はタイプR以外ほとんど売れない見かけない、という体たらく。
よって、「小型・軽量・俊敏にしてハイパワーな3ドアホットハッチ」としてのシビックは日本市場での命脈を絶たれ、7代目EUシビック(スマートシビック)は5ドアハッチと4ドアセダンのみとなってしまいます。
当時は後の3代目FD2のように「この際、4ドアセダンでもいいから国産タイプRを」という話はなかったようで(DB8インテグラ4ドアタイプRからの乗り換え需要にもまだ早かった)、タイプRを継続するなら、まだヨーロッパでは需要のあり、イギリスで生産している3ドアハッチ版シビックをベースにするしかありません。
そして、いざという時に部品がすぐに届くのか、インパネシフト6速MTが日本人には奇異に思われないかなど、不安を抱えつつ2001年12月に発売された2代目EP3シビックタイプRでしたが、キチンと国産でいくぶんカッコよく、同じ2リッターDOHC i-VTECのK20Aを積んだ2代目DC5インテグラタイプRの存在もあり、日本ではどちらかというとマイナーな存在で終始し、中古車市場でもタイプRにしてはお買い得な価格になっています。
ただし戦闘力はさすがタイプRというべきで、ワンメイクレース用車両の座こそインテグラに奪われたものの、全日本ジムカーナでは同門のインテグラを破ってタイトルを獲った事もありました。

ホンダFK2 4代目シビックタイプR(イギリス製) / Photo by Eddy Clio
イギリス製シビックタイプRは後述するタイプRユーロを挟み、今度はルノー メガーヌRSやVW ゴルフGTIとニュルブルクリンクサーキット北コースでの周回タイムを争う「FF世界一マシン」を目指して開発を開始。
2015年3月に当時のFF世界最速タイムを叩き出すと、同年10月に4代目FK2シビックタイプRが日本でも発売されます。
タイプRユーロ同様、ベースの欧州仕様シビックハッチバックはフィットベースだったため、5ドアハッチバックのリアサス形式もトーションビームと、それだけ聞くと不安になるパッケージではありましたが、絶妙なセッティングと強力な310馬力2リッターVTECターボK20Cにより、普段はトーションビームに懐疑的なユーザーすら力技で黙らせる実力を発揮。
ただしこのFK2シビックRは世界限定8,500台で、うち日本市場には750台しか入らないというレア物だったので、注文が殺到し即日完売してしまいます。
さらに、直後から中古車店ではFK2の登録済み未使用車がプレミア価格で並ぶ現象が発生し、運良くディーラーから購入できた個人ユーザーを除くと、だいぶ高い買い物になってしまいました。
なお、サーキットでは威力を発揮したFK2ですが、最後のサイドブレーキ式(FK8から電動パーキングブレーキ化)という事で全日本ジムカーナへ参戦したものの、タイトコーナー続きのコースではサスペンションセッティングが難しいのか、パワーを持て余し気味で、あまり目立った結果は残せていません。

ホンダFK8 5代目シビックタイプR(イギリス製) / Photo by Spencer Wright
ニュルでFF世界最速の座についたFK2シビックタイプRでしたが、ライバルの発展は著しく、ゴルフVIIのGTIがすぐに最速タイムを更新。
挽回すべく、5代目FK8シビックタイプRはついにフィットベースを離れ、「タイプR化を視野に入れた高性能ベース車の開発」で、シビックそのものの性能底上げが図られました。
ベースとなる10代目シビックは8代目FD系以来久々の日本国内販売が復活し、4ドアセダンが寄居工場(埼玉県)、5ドアハッチバックがホンダUKで、ハッチバックベースの5代目FK8シビックタイプRも引き続きイギリスで生産されています。
今度は全長・ホイールベースを延長し、リアサス形式もマルチリンクとなって安定を性向上。
K20Cも320馬力へパワーアップして挑んだニュルのタイムアタックは、見事FF世界一を奪還したものの、その後は世界中を危機に陥れている新型コロナウイルス禍でニュル遠征が難しくなり、後期モデルは鈴鹿サーキットなどでタイムアタックをするのみです。
なお、イギリスがEU(欧州連合)脱退プロセスに入った事や、ヨーロッパ市場での需要減もあって、ホンダはイギリスの工場の閉鎖を決めており、最後のイギリス製シビックタイプRの受注は、発表とほぼ同時に通常モデルもファイナルエディションも完売となりました。
シビックタイプRそのものは次期型もあると言われていますが、どこで生産されるかはベース車(ハッチバックかどうかもわからない)がアメリカ製になるか日本製になるか、あるいは別な国になるか次第です。
4.「改めてヨーロッパ風味」ホンダ・FN2シビックタイプRユーロ

ホンダFN2 シビックタイプRユーロ / Photo by Miloslav Rejha
3代目FD2シビックタイプRは国産シビックセダンをベースとした日本製で、ガチガチの足回りのため、見た目から想像できる4ドアファミリーセダンとしては到底使えなくなった代わりに、ジムカーナを含むあらゆるステージで最強を誇るタイプRとなりました。
しかし、「FD2の高性能はいいとして、3ドアハッチバックのシビックタイプRがないのはマズくないの?」という声も社内外で多かったらしく、イギリスで生産していたフィットベースのヨーロッパ版シビック3ドアハッチバックをベースに、EP3やFD2同様のK20Aエンジンをファインチューンした上で搭載。2009年11月に、FN2「シビックタイプRユーロ」として発売されます。
これは、3代目FD2シビックタイプRと同時期の車ですが、あくまで「タイプR」ではなく「タイプRユーロ」な事や、エンジンやサスペンションが日常使用重視チューンだった事もあり、3.5代目シビックR的にカウントされる事もあれば、タイプRとは別物、アコードユーロRのような扱いを受ける事も。
最初の2009年モデルは2,010台の限定販売でソコソコ売れたようですが、排ガス規制(ユーロ5)による生産終了前にと2010年モデルも1,500台限定販売したところ、売れ行きが芳しくなかったようで、2012年半ばまで販売は続きました。
現在もEP3同様、シビックタイプRの中では中古車市場で比較的安価に取引されているモデルです。
5.「アメリカンハイテクスーパーカー」ホンダ NSX(2代目NC1)

ホンダNC1 2代目NSX(アメリカ製) / Photo by Takayuki Suzuki
1990年に発売されるや、それまで「性能とステータス性が第一で快適性や実用性は二の次以下」だった世界のスーパーカーへ、多大な影響を与えた初代ホンダ NSXでしたが、3~3.2リッターV6エンジンで日本国内の280馬力自主規制に縛られたパワーユニットの実力は年々相対的に低下していきます。
そして2000年代になると車自体の陳腐化が避けられなくなり、2005年で生産を終了。
そこで、日本でのホンダ高級車ブランド「アキュラ」進出計画の目玉も兼ねて、2代目の開発は着々と進んでいたものの、デビュー直前の2008年に起きた世界恐慌「リーマンショック」で全ては頓挫。
開発実績を活かしたGTレーシングマシンHSV-010GTとして、レースで活躍するに留まり、経済状況が安定すると改めて新世代NSXの開発計画が立ち上がります。
それが2017年2月に発売された2代目NC1 NSXで、3.5リッターV6ツインターボをミッドシップに搭載し、9速DCTと3つのモーター(前左右輪および後輪)で能動的な走行制御を行うスポーツハイブリッドSH-AWDを採用した、ハイブリッドスーパーカーとなりました。
生産はアメリカで行われ、日本市場も全世界で販売するうちのいくらかが割り当てられるにすぎないという輸入車で、ベース車の2,420万円という価格は、2021年5月現在までに販売された国産メーカーのスポーツカーでは、レクサスLFA(3,750万円)に次ぐ価格です。
6.「国境なき開発・生産体制で作られた新時代スポーツ」トヨタ・GRスープラ

トヨタ GRスープラ(オーストリア製) / Photo by peterolthof
2011年から2012年にかけトヨタとBMWが発表した協業の中で、ハイブリッド車で培った電動化技術や環境技術(燃料電池スタック)などとともに「スポーツカーの共同開発」が含まれており、BMWと共同開発でスープラを復活。
直列6気筒エンジンを搭載したスポーティモデルを継続する数少ないメーカーであるBMWとの協業なら、かつての直6FRスポーツ、スープラの復活もがぜん現実味を帯びてくるという事で、トヨタやBMWがいかに否定しても「まあそれはそれで」と噂が独り歩きするような状況が何年か続きますが、ついに3代目Z4や、同じプラットフォームを使ったと思われるクローズドボディのクーペがテスト走行を目撃された事で、確信に変わっていきました。
それからはトントン拍子で2019年5月に日本でも発売されます。
新型スープラは、BMWの3代目Z4とプラットフォームやエンジン、基本メカニズムは共用するも、「同じ部品を使った全く別々な車」という事で、ボディ形状のみならずエンジンの制御など、Z4と異なる点も多々あるモデルとなりました。
生産はZ4ともどもマグナ・シュタイアのオーストリア工場へ委託されており、ドイツの部品で日本が開発。オーストリアで生産という国際協調体制で作られた、極めて現代的なスポーツカーです。
今回紹介した以外も「国産車メーカーブランドの輸入車」はいっぱい!

(今回は選外)トヨタ セプタークーペ(アメリカ製) / 出典:https://www.favcars.com/images-toyota-scepter-coupe-xv10-1992-94-417338.htm
国産車メーカーブランドの海外生産車を日本でも販売するという試みは、1970年に小規模メーカーのラインナップ拡充のために始まり、1980年代末から1990年代にかけては日米貿易摩擦の解消という思惑、その後はベース車が日本で作られなくなったスポーツモデルを導入するためや、国境の枠を越えた自動車メーカー間の提携のためといった理由で拡大していきました。
近年では、日本で生産すると採算が合わない低価格車や、生産台数の少ない趣味性が高い車も加わって車種が拡大しており、ざっと見ただけでもここ30年ほどで50車種ほどの「海外製国産車メーカーブランド車」を販売。それらはマイナー車か日本での販売台数が少ない車が大半で、中にはよほどの車好きでもなければ知らないであろう車もあります。
今回はスポーツカー編として紹介しましたが、他にも興味深い車を紹介できる機会があると思うので、レア車、マイナー車好きの皆様は楽しみにお待ち下さい。