2017年一杯で“クライスラー”ブランドを日本市場から撤退させたFCA(フィアット・クライスラー)ですが、”ジープ” 、”アルファロメオ”とともに、今後も日本での展開を続けるブランド、”フィアット”の主力車種がフィアット 500です。それ自体が1957年に登場した”NUOVA500”のリメイク版として登場した3代目ですが、1936年に登場した初代フィアット 500”トッポリーノ”もまた名車でした。そんな伝統の”500”その原点とは。
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映画”ローマの休日”にも登場したイタリアの国民車
古い洋画が好きな人、あるいは名女優オードリー・ヘップバーンのファンなら見たことがあるであろう映画”ローマの休日”(1953年アメリカ映画)。
その劇中でベスパ(スクーター)にまたがりローマ市内を走るシーンも有名ですが、ヘップバーン演じる某国のアン王女と恋仲になる新聞記者、ジョー(グレゴリー・ペック)の友人でカメラマンのアーヴィング(エディ・アルバート)の小さな愛車が登場します。
これこそが、戦前からのイタリア工業界の名門・フィアットが生んだ国民車、初代フィアット 500”トッポリーノ”。
全長・全幅ともに現在の軽自動車より一回り小さい2人乗りのFR小型車は、1936年に発売されるや新車価格8,900リラ(当時の労働者の月給20ヶ月分)と予定の5,000リラよりは高価だったものの、『労働者でも何とか手の届く車』として大ヒットとなりました。
そんな“トッポリーノ”は当時のイタリアの独裁者、ベニート・ムッソリーニが対抗心を持っていたドイツのヒトラー総統による国民車計画(後のVW タイプ1”ビートル”)と比べられることもある、戦前生まれの名車です。
ただし、”ビートル”と異なるのは戦前生まれでも少し早く完成していたので第2次世界大戦前にはすでに数多く走り回るヒット作となっていたことで、戦後もいち早く復興したフィアットによって、後継の600”セイチェント”が登場する1955年まで生産が続けられました。
定員2名でもイタリア人は気にしない!サスペンション強化で乗り切る陽気な車
“トッポリーノ”と”ローマの休日”と言えば有名なのは、ジョーとアーヴィングが乗り込んだ後ろにアン王女が立ち乗りしているシーンですが、”トッポリーノ”は2人乗りだったので、この乗り方で正解なのです。
いやいや、2人乗りの車にもう1人後ろに立ち乗りしていたら道交法違反だろう!と今の日本なら大騒ぎになって炎上するところですが、陽気なイタリア人はそんな細かいことは気にせず、”トッポリーノ”のシート背後へ2人、3人と乗るのは当たり前。
オーソドックスな後輪駆動でしたが、もちろん駆動輪へのトラクションにも問題はありません。
それより問題だったのは、リーフサスペンション(板ばね)が折れてしまうことでした。
しかし、そもそもそんな乗り方は想定外だから当たり前、何なら違法乗車防止策をとろう…と考えないのがイタリア流で、何とリーフサスペンションの強化で乗り切ったというのですから、面白いものです。
そんな実用性本位な部分も愛された理由でしたが、他にも”トッポリーノ”という愛称のきっかけになった、戦前型(1948年まで生産された500A)のネズミのようなフロントマスクもまた、愛嬌があって現在に至るまで高い人気を誇る要因となっています。
これには開発チームのダンテ・ジアコーサ(後にNUOVA500”チンクェチェント”開発主任)が考案したという、サーモサイフォン現象(冷却水自身の温度で循環する)を使ったラジエターを、エンジン後方に置く方式が影響しています。
それによりエンジン前方を低く絞り込むことができた結果、独特のネズミ顔フィアット 500Aが誕生したのです。
なお、”トッポリーノ”は、戦前から人気のあったウォルト・ディズニーの”ミッキーマウス”になぞらえ、そのイタリア語がそのまま通称となっていますが、正式な車名としては平凡に初代の”500”となりました。
(ただし、厳密に言えば1915年に開発された2人乗り小型車のプロトタイプが初代”500”です。)
戦後はサイドバルブ4気筒569ccエンジンをOHV化した500B(1948~1949年)を経て、当時のアメ車フロントマスクにフェイスリフトした500C(1949~1955年)となり、特に500Cでは”トッポリーノ”らしからぬ顔つきになりましたが、それが後に功を呈します。
海を渡ったトッポリーノ、ホットロッドになる
“トッポリーノ”には車体後部を箱型にしたエステートバン(ライトバン)仕様、簡単なフレームの上にボディを載せただけという簡便な構造もあって、オープンスポーツ仕様など、イタリア国内外のコーチビルダー(架装業者)によるいくつかのバリエーションがありました。
モータースポーツ活動などは主にそうしたコーチビルダーによる改造モデルが担ったようですが、もちろん熱狂的クルマ好きのイタリア人なので、”トッポリーノ”自体もメジャーではなくとも、あらゆるモータースポーツに使われたであろうことは容易に想像できます。
しかし、”トッポリーノ”のもうひとつの顔と言えるのが、戦後アメリカに渡ってからのドラッグレース用ホットロッド仕様です。
単にエンジンを換装するのみならず、キャビンから先のフレームを延長して思い切りホイールベースを伸ばすとともに、大排気量V8エンジンを搭載し、サスペンションを換えウィリーバーを装着し、チョップドトップときては完全にアメリカンドラッグレーサーに大変身。
ここまで改造すると「トッポリーノじゃなくてもイチから作った方が・・・。」とも思えてきますが、手頃なベース車をイジリ倒しているうちに「気がついたらこうなった。」感の凄まじさ。
まさに、陽気なイタリアンの作った車を、別なベクトルで陽気なアメリカンが豪快に改造したらこうなった、という典型的な例ではないでしょうか。
主要スペックと中古車相場
フィアット 500 “トッポリーノ” 1936年式
全長×全幅×全高(mm):3,215×1,275×1,377
ホイールベース(mm):2,000
車両重量(kg):535
エンジン仕様・型式:水冷直列4気筒SV8バルブ
総排気量(cc):569cc
最高出力:13ps/4,000rpm
最大トルク:3.3.kgm/2,500rpm
トランスミッション:4MT
駆動方式:FR
中古車相場:皆無
まとめ
戦前に開発された”国民車”的な車の中でも、ドイツのVW タイプ1”ビートル”や、フランスのシトロエン 2CVのようにメカニズムやコンセプトの先進性を持たなかったという意味で、初代フィアット 500”トッポリーノ”は平凡な車ではあります。
初期に計画されたFF(フロントエンジン・前輪駆動)のプロトタイプが1931年に炎上喪失、プロジェクトが再始動した時にはオーソドックスなFR(フロントエンジン・後輪駆動)となっていたことも、戦後のFF、RR(リアエンジン・後輪駆動)車に対しては不利でした。
それゆえ1955年で生産が終わり、”国民車”の役割は後継の600が、そして”20世紀イタリアを代表する名車”の座は、より小型の2代目500”チンクェチェント”(NUOVA500)が担っていきます。
しかしそれでもなお”トッポリーノ”はイタリアの本格的モータリゼーションを切り開き、イタリア人へ労働者に至るまでのマイカー熱を上げさせた歴史的な車です。
さすがに日本でオリジナルに近い形の”トッポリーノ”が走る姿はあまり見かけませんが、アメリカではまだまだ現役のようで、今後もベース車が奇妙で小さく古そうなドラッグレーサーを見かけたら、それは”トッポリーノ”かもしれません。
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