最近になって、スズキ・ジムニーやマツダ・ボンゴ、トヨタ・センチュリーなど国産車でもかなり長いモデルライフを誇る車が増えていますが、デザイン上の変化をそれほど必要としない車種なら、あまりその古さを感じさせません。しかし、残念ながらそうとも言えないモデルにもかかわらず、延々22年もの長期にわたり作られ続け、『走るシーラカンス』と呼ばれ、末期にはカルト的人気を得たのが初代三菱・デボネアでした。
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22年間作られ続けカルト的人気を誇った『走るシーラカンス』
1963年10月、晴海の東京国際見本市会場で開催された第10回全日本自動車ショーの新三菱重工業(現:三菱自動車工業)ブースでは1台の新型車が、そのデビューの瞬間を見逃すまいとする観客に囲まれていました。
この年のモーターショーでは、東洋工業(現:マツダ)のロータリーエンジンが初公開され、新型車の試乗会も行われるなど観客の熱気が増す中、海外のデザイナーが手掛けた車のお披露目も行われるなど盛り上がりをみせており、三菱ブースの新型車もその1台だったのです。
ベールが剥がされ登場したるは、アメリカンルックスの新型車で当時GMのカーデザイナーであった、ハンス・プレッツナーが手掛けた話題の1台。
当時の三菱はコルト600に続いて同年にコルト1000を発売するなど『コルトシリーズ』を始めた頃で、新型車もこの会場では『コルト・デボネア』として発表されました。
そして翌1964年にはコルトの名を外して単にデボネアとして発売されますが、まさかまさか、ほぼこのままのスタイルで1986年までの長きに渡り生産されるとは、誰が予想していたでしょうか?
同期はトヨタ・クラウンエイトやいすゞ・ベレット1500GT、スカイラインGT(レース用ホモロゲモデルのS54-I)というデボネアの第1歩は、ここから始まったのです。
もちろんデビュー当初は期待の最新鋭高級セダン
新三菱自動車がその総力を挙げて開発した同車でしたが、中でもGMを休職してデザインコンサルタントとして招聘されたプレッツナーの意欲たるや凄まじいものでした。
彼は全日本自動車ショー出展車のシート生地を決めるために自ら京都西陣の織物工場を飛び回り、展示場のデザインすら自ら行ったという逸話が残されているほどです。
とはいえ、そもそも当時の三菱はコルト1000や初代ミニカなどの開発でそこそこ忙しかったはずで、実際にはフィアットの当時の最新型セダン、1800 / 2100シリーズのライセンス生産も検討していましたが、結局交渉不調で自社開発したという経緯があります。
その過程でプレッツナーの持ち込んだデザインと技術は大いに役立ち、ことにリアフェンダーの『ロケットウィンカー』や、輸入油粘土を使ったクレイモデル(デザイン原型)製作などは、その後の三菱の車作りに大きな影響を与えました。
そして初代デボネアそのものは5ナンバーサイズ枠ギリギリのボディに、堂々たる3ナンバーサイズのクラウンエイトとほぼ同じホイールベースを与えられ、ゆったり快適な乗り心地を提供したショーファードリブンの4ドアセダン。
105馬力を発揮する2リッター直6OHVの『KE64』エンジンは、5ナンバーサイズに収めたのでライバル他社の最上級車に比べれば控えめではありましたが、ボディ4隅を立てて角張らせたブレツナーデザインの妙で、見た目はなかなか立派に見えました。
また、長いホイールベースとナロートレッドの割に『回転半径5.3mと国情にマッチ』と使い勝手の良さがアピールされており、フロントタイヤの切れ角が大きかったであろうことをうかがわせます。
それに比べれば、構造こそモノコックボディとはいえ、フロントサスペンションがダブルウィッシュボーン、リアが半楕円リーフリジッドのFRセダンというレイアウトは保守的に思えましたが、この場合は信頼性の高さにつながったと解釈して良いかもしれません。
直6から直4へ。そして気になるポルシェ944との関係は?
新たなライバルの登場、そしてモデルチェンジを横目で見ながら、三菱のフラッグシップセダンとしてデボネアは作り続けられました。
しかし1960年代の三菱は何と言っても、何車種あるのかちょっと複雑なコルトシリーズが乱立しており、ユーザーからすると『大きなコルト』という認識だったので、販売台数と開発コスト回収の関係か、デボネアは細かい改良を受けながら生産されていきます。
その過程で、1969年4月には特徴的だったロケットテールが廃止され、1973年には前部ドアの三角窓やテールランプのLテールを廃止、フロントウィンカーの位置を変更するなど、プレッツナーのオリジナルデザインが失われていったのが少々残念なところでした。
そして1970年に、同じ2リッター直6ながら新設計の『6G34型』SOHCエンジンに換装され、130馬力にパワーアップしたデボネア・エグゼクティブへとマイナーチェンジ。
さらに1976年には2.6リッター直4SOHCのG54B型エンジンへと換装し、オプションのクーラーはヒーター組み込み式のエアコンへと豪華になってデボネア・エグゼクティブSEへとさらに(見た目以外は)進化しました。
直6から直4へエンジンを換装されたとなると、大排気量とはいえ格落ち感がありますが、三菱では直6エンジン搭載車があまりにも少ないというより、手作業で職人が丹精込めて作るデボネア専用エンジンが全てだったのです。
そのため三菱のフラッグシップカーとして特別扱いするにも程があったのか、ギャランから採用された『アストロン』エンジンの2.6リッター版のG54Bを採用するわけですが、このエンジンは三菱が特許を持つバランスシャフト『サイレントシャフト』を使っていたので、従来のバランスシャフト(ランチェスター・バランサー)に対して飛躍的に振動を低減。
『V8エンジンに匹敵する振動抑制性能』と宣伝されており、フラッグシップカーのデボネアへも搭載することは、コスト削減だけでなく宣伝効果もあったのかもしれません。
なお、三菱が『サイレント・シャフト』特許をガッチリ握ったことで、他社が同種のエンジンを開発する時には三菱の特許に抵触しないよう慎重に開発するか、思い切って三菱から許諾を得る必要がありました。
その許諾を得たメーカーのひとつがポルシェで、『944以降のポルシェ大排気量直4エンジンには、三菱の技術と初代デボネアで培われた大排気量直4技術が…』と解説されることもありますが、ポルシェはそれを認めていません。
ポルシェの見解としては、「エンジンを作ったら三菱の特許に抵触することが判明したので、ポルシェのトランスアクスル技術とクロスライセンス(相互許諾)した。」ということで三菱も特に否定しておらず、公式にはこれが結論になります。
シーラカンスの終焉
さて、そうこうしているうちに時代は1980年代にさしかかろうとしますが、初代デボネアはまだ作られていました。
同じショーファードリブンでもトヨタ・クラウンエイトはとうの昔にセンチュリーとなっており(1967年)、1年遅れの1965年に発売された日産・プレジデントも、2代目になっています(1973年)。
それでも1979年に、アンチスキッドという後輪のみの原始的なABSをオプション設定。
これは時代的に後の電子制御式ではなく機械式だったと思われ、後輪のみなのでアンチスピンのみ(つまり前輪はロックするのでハンドルは効かず、止まらなかった場合は真っ直ぐ突っ込む)ですが、1970年代の国産車にこの種の装備があっただけでもビックリです。
そうした先進装備を盛り込みつつ生産を続けられた初代デボネアですが、さすがに1980年代になると、「ちょっと待て。まだ売ってたのか?」という声も出てきます。
なぜなら、もうその頃になると三菱関係の社用車以外にほとんど需要は無かったのではと言われる程で、惜しいことに1986年で生産を終了してしまいました。
なぜ惜しかったのか?
それは、翌1987年には日産初のパイクカー、Be-1が発売されて日本にレトロカーブームが到来したからです。
その時まで初代デボネアが販売されていれば、バブル景気も手伝って意外なセールスを記録した可能性もありましたが、結果的には「すごく古いのに高年式のレトロカー!」として、中古車がカスタムベースなどで大好評を得る事になりました。
主なスペックと中古車相場
三菱 A30 デボネア 1964年式
全長×全幅×全高(mm):4,670×1,690×1,465
ホイールベース(mm):2,690
車両重量(kg):1,330
エンジン仕様・型式:KE64 水冷直列6気筒OHV8バルブ
総排気量(cc):1,991
最高出力:77kw(105ps)/5,000rpm(※グロス値)
最大トルク:162N・m(16.5kgm)/3,400rpm(※同上)
トランスミッション:4速コラムMT
駆動方式:FR
中古車相場:59万~198万(各型含む)
まとめ
長いモデルライフを誇った上に、レトロカーブーム到来直前に惜しくも生産終了した初代デボネアでしたが、バブル時代はやはり人気があったようで、意外と見かける車でした。
それも、あえて年式が古い車を選んでは「こないだウチのデボネアの窓を開けようとしたら、ストンと落ちたんだよ!」など自虐ネタに持ち込むのも定番で、安くウケが狙えて、しかもそこそこ走るので手軽なネタ車でありゲタ車としても人気だったのです。
もっとも、当時こそ話題になりましたが、Y31型日産・セドリックは27年、初代トヨタ・センチュリーは30年も製造されており、デボネアより長く作られた車は他にもあります。
実は同じ三菱でもジープは48年にも渡ってライセンス生産していました。
しかし、それでも初代デボネアが未だに話題になるのは、22年間も作られて『走るシーラアンス』とコトあるたびに取り上げられたことや、そのデザインに1960年代のカッコ良さや親しみやすさなど、何かを感じたからかもしれません。
今にして思えば、それこそがプレッツナー・デザインの真骨頂だったと言えるのではないでしょうか。
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