現役最強と呼ばれ続けるF1ドライバー”フェルナンド・アロンソ。F1ドライバー不毛の地と呼ばれたスペインから生まれたスターは、これまでシューマッハとの激闘など歴史残る活躍を見せてきました。今季はインディ500に参戦し、F1以外のカテゴリーでも高度なテクニックを披露。現在は不振にあえぐマクラーレン・ホンダのエースとして奮闘を続けていますが、今後の活動に注目が集まる選手です。そこで今回はそんな彼のキャリアを振り返っていきます。
現役最強と呼ばれるフェルナンド・アロンソ
現役で絶えず高い評価を受けているアロンソ。
スペインの英雄として活躍を続け、これまで2度の世界王者に輝くなど21世紀を代表するドライバーに君臨してきました。
F1ドライバーのOBからも彼の走りは高く評価されており、歴代のF1ドライバーでもトップレベルの技術を持っているという意見も少なくありません。
しかし、ルノーで史上最年少王者に輝いて以降は、これほどの速さを持ちながら王座に届かない日々が続いています。
今季はモナコGPを欠場し、インディ500に参戦したことで今後の活動が注目されています。
そこで今回はそんな彼のキャリアを振り返ってみたいと思います。
19歳からのF1デビュー、ブリアトーレに認められたその速さ
今では世界的に有名なアロンソですが、そんな彼もデビュー当時はそれほど注目を浴びる選手ではありませんでした。
19歳217日でのデビューは史上3番目の若さでしたが、彼が最初に所属したミナルディは下位チームのため、上位を争うことにあまり期待できる環境ではなかったのです。
そのため、同じく2001年にデビューしたキミ・ライコネンやファン-パブロ・モントーヤに比べると、彼が話題に上がることは多くありませんでした。
しかし、マシンに乗ると非力なマシンながらも上位のマシンとバトルを繰り広げ、関係者から高い評価を受けたのです。
そして、彼のマネージャーであるフラビオ・ブリアトーレに速さを認められ、1年目を終えた時点でF1復帰を果たすルノーへのレギュラードライバーに推薦されました。
最終的にリザーブドライバーとしてルノーに加入すると、1年間で1,642周とレギュラードライバーに劣らぬ走行経験を積むことが出来、その翌年にレギュラードライバーのジェンソン・バトンに代わって昇格を果たしたアロンソは、ここから凄まじい快進撃を見せることになります。
鮮烈なルノーでの活躍、シューマッハの後継者と評されるように
2年振りにレースに復帰した2003年は、F1の歴史を塗り替える活躍を次々と見せました。
復帰2戦目となるマレーシアGPで史上最年少でポールポジションを獲得すると、翌日のレースでは38度の高熱に見舞われながらも3位表彰台を掴みます。
あまりに衝撃的な活躍にメディアからミハエル・シューマッハの後継者と評され、すぐさま次代のスター候補に挙げられるようになりました。
そして、その年のハンガリーGPでは当時圧倒的な速さを誇ったシューマッハを周回遅れにして初優勝を飾り、その評価に恥じない速さと結果を残したのです。
また、2004年は未勝利に終わり足踏みとも言える結果となりましたが、チームがマシン開発に成功した2005年、ついにその瞬間が訪れることになります。
この年のルノーは開幕当初から速さを見せつけ、アロンソは4戦3勝とスタートダッシュに成功します。
なかでも、サンマリノGPでは後方から迫るシューマッハを巧みなディフェンスで抑え込み、この1戦は当時の世代交代を象徴する1戦として語られました。
シーズンが中盤に進むとマクラーレンのライコネンが圧倒的な速さを武器に追い上げを見せ、タイトル争いは2名による一騎打ちに発展します。
そして、第8戦カナダGPではマクラーレン勢の速さに焦りを見せ、マシンをウォールにヒットさせてしまうというミスもありましたが、それ以降は若手らしからぬ堅実な走りを見せました。
驚異的な速さを持つライバルに対し速さでは劣勢に回りましたが、レースをまとめる能力はこの頃から健在で、トラブルに悩まされるライコネンを尻目にアロンソは着実にリードを築いていきます。
そして迎えた第17戦ブラジルGPでシーズン13度目の表彰台を獲得すると、25歳273日という若さでF1史上最年少王者に輝いたのです。
これは以前の記録を33年ぶりに更新するだけでなく、5年連続で王者に輝いたシューマッハの時代を終わらせるという、F1の歴史を大きく変える偉業でもありました。
そして、王者として臨んだ2006年。今度はシューマッハを相手に激しいタイトル争いを演じます。
開幕戦バーレーンGPから両者の激しい戦いが見られ、アロンソはこの戦いを制し見事な優勝を飾ったのです。
アロンソは開幕から9戦を終え、5勝を含む全戦で表彰台フィニッシュを達成し、無敵とも言える強さを披露しました。
これでアロンソの連覇は確実と見られたのですが、シーズン中盤へ入ると突然のマシン規定の変更や不条理とも言えるペナルティを受け、力関係は一気に逆転。
シューマッハの猛烈な追い上げも手伝って、残り2戦を向けた時点で築き上げたリードを全て失い、両者同点で日本GPを迎えます。
ここでもライバルの速さに屈し、この重要な1戦で予選5番手と苦しいスタートを余儀なくされたのですが、決勝では懸命の追い上げを見せ、シューマッハに次ぐ2番手まで浮上します。
そして2連覇へ向けプッシュを続けるも一向に差は縮まらず、もはや遂にタイトル争いでもリードを許すかと思われたその時、アロンソのプッシュが効いたのかシューマッハのエンジンがブロー。
これで形成は逆転しアロンソが優勝、シューマッハはリタイアというタイトル決定付ける勝利を手にしたのです。
そのまま最終戦ブラジルGPで2位に入ったアロンソは見事2連覇を達成。
王者の証である”カーナンバー1”を手土産に、マクラーレンでの新たな挑戦が始まりました。
ルノーで勝ち取ったカーナンバー1.
F1チャンピオンとして輝かしい成績を持って戦う新天地では、厳しい展開が待ち受けていました。
次のページではマクラーレンへの移籍後のアロンソの戦いを振り返ります。