自由人と呼ばれたF1四天王の一人、ネルソン・ピケ。自らの名が付いたサーキットを走った唯一のレーシングドライバーである彼のキャリアに迫りたいと思います。
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四天王時代を上手く泳いだ「自由人」
F1四天王と呼ばれたネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、アイルトン・セナの4人のなかで、一番の自由人であったネルソン・ピケ。
どれ程の自由人であったかを物語るこんなエピソードがあります。
現役時代の自宅はモナコの海岸に浮かぶクルーザーでした。これだけでも彼の自由さが伝わる十分なエピソードだと思いますが、1985年には当時最強チームであったマクラーレンと契約合意に至り、あとは契約書にサインするのみとなった時に突然、契約はしないと言い出します。
なぜでしょうか?
それは、契約書類の多さに嫌気が差したからだそうです。
何とか契約書に目を通すようにロン・デニスに諭されても聞き入れなかったピケは、ドライバーの誰もが欲しがる、マクラーレンのシートを棒に振りました。
当時ピケが所属していたブラバムでは、余り英語が得意ではなかったピケのために1枚の書面で契約を済ませていたのです。
そんな、自らの意志を突き通す、プロ精神が強い彼がいったいどのようなキャリアを歩んだのかを振り返りたいと思います。
順応性抜群なスポーツ少年
家庭環境が裕福でスポーツ万能だったピケは、その高い身体能力から父に奨められたプロテニスプレイヤーの道を歩んでいました。
しかし、ピケ自身はテニスに興味がなくレーサーを志していたので、父に見つからないようにこっそりとレーシングカートを始め、1971・72年にブラジル国内でチャンピオンを獲得。
その後、1976年にフォーミュラーVee(FJ相当)のブラジル国内でもチャンピオンを獲得します。
そして、そのフォーミュラーVeeの運営に関わっていた当時唯一のブラジリアンF1チャンピオンであるエマーソン・フィッティパルディの導きにより、1977年からヨーロッパF3選手権に参戦し、シリーズ3位となるのです。
そして、翌78年にもヨーロッパF3に参戦して、シリーズ2位を獲得。
F1にもスポット参戦し、型落ちのマクラーレンに乗り混乱のあったイタリアGPで9位完走を果たします。
短期間に様々なカテゴリーのマシンを乗りこなしてしまうピケは、高い身体能力と順応性を秘めた一流のスポーツ選手と言えるのではないでしょうか。
偉大なる先輩からの学び
1979年より、ブラバムからF1フル参戦を開始します。
その後、85年まで過ごすことになるこのブラバムで、ピケは多くのことを学んだといいます。
例えば、積極的にレースペースをコントロールして勝利に繋げることや、レースの為にプライベートの時間を大切にすることをパートナーであるラウダから学び、その後のキャリアに大きく影響を及ぼしています。
そして79年のシーズン途中で突然引退を表明したラウダに代わり、No1ドライバーとなった「新人」ピケは、ブラバムチームオーナーであるバーニー・エクレストンの協力のもと、エースドライバーとしてチームを引っ張る存在となっていきました。
翌80年のアメリカGPではハットトリック(ポールポジション・ファステストラップ・優勝)で初優勝を獲得。
その後も2勝を飾り、14戦中10回入賞、うち6回が表彰台という安定した成績でシリーズ2位を手にしました。
ニキ・ラウダから学んだ「チャンピオンになる術」をデビュー2年目にして実践したのです。
逆転サヨナラチャンピオン
ピケはブラバム時代の1981・83にワールドチャンピオンを獲得します。
この2度のチャンピオンはどちらも最終戦での逆転によって成しえ、野球に例えると逆転サヨナラ試合のような接戦でした。
1981年は15戦中3勝、入賞10回、うち表彰台7回と安定した成績を残し、4度のポールポジションも獲得しています。
酷暑の中行われた最終戦ラスベガスGPでは、暑さのためにレース後コックピットから降りられなくなる程の体力を消耗しながらも、見事5位完走を果たします。
そして、精彩を欠きノーポイントに終わったポイントリーダー、カルロス・ロイテマンを1ポイント逆転し初のワールドチャンピオンを獲得したのです。
1983年は安定のピケと速さのプロストいう相反する二人がシーズン序盤より熾烈な闘いを展開します。
プロストが2ポイントリードで迎えた最終戦、南アフリカGPでは序盤でリタイアをしたプロストを尻目に、安定したペースを維持して3位を獲得したピケが2ポイント逆転し、チャンピオンを獲得。
15戦中3勝、入賞10回、うち表彰台8回という好成績を残し、速さに定評のあったプロストを逆転することに成功する事でニキ・ラウダから学んだ「ペースコントロール+安定性=ワールドチャンピオン」と言う方程式を見事に実践してみせたのです。
ブラバム時代のピケは、マシンのポテンシャルにより成績に波がありましたが、勝てる時は確実に勝つ、取れるポイントは確実に取るという姿勢が、劇的な逆転チャンピオン獲得につながったと言えるのではないでしょうか。
メカニックも驚いたテクニック
ピケの驚くべき安定性は、マシンを労るドライビングが影響していると言えます。
それを証明するように、ベネトン時代にピケのメカニックをしていた津川哲夫氏曰く、レース後のトランスミッションを分解すると、まるで新品と思えるほど綺麗な状態だったそうです。
また、F1四天王全員と関わったホンダの桜井淑敏氏は、「シフトワークのピケ、ステアリングワークのマンセル、タイヤ使いのプロスト、アクセルワークのセナ」と評価しています。
そんなピケの安定した成績は、繊細なドライビングテクニックによって成せる業なのです。
光る勝負強さ
安定したドライビングテクニックに定評のあるピケですが、もちろんバトルでの勝負強さも持っています。
1986年のハンガリーGPでは、アイルトン・セナを相手に1コーナーで、マシンをスライドさせながらアウトからオーバーテイクするという豪快さも見せました。
また、記念すべきF1開催通算500戦目となった1990年のオーストラリアGPでは、ナイジェル・マンセルを相手にバックストレートエンドで見事なブロックを見せ、記念すべき500戦目の勝者となりました。
こうした一発の勝負強さも、ピケの特長といえるのではないでしょうか。
歩合制レーシングドライバー
1990年より、ベネトンに移籍したピケ。
この移籍時の契約は、「1ポイントにつき10万ドル」という非常にユニークなものでした。
自らの闘志を維持するために考えられたこの歩合制システムは、後にも先にも例を見ないユニークな契約といえます。
ピケはこの契約条件の中、16戦中2勝、12回入賞、うち表彰台4回を記録し、ランキングも3位となっています。
そして翌91年をもってF1から引退をするピケですが、最後となったシーズンも16戦中1勝、入賞8回、うち表彰台3回の成績で、ランキングは6位となりました。
自らのモチベーションを上げる為のベネトンとのこの契約は、ピケの自由人さを改めて認識させてくれたエピソードといえるのではないでしょうか。
日本との縁
ピケは1986年よりホンダエンジン登載のウイリアムズに乗っています。
この頃より、ピケとホンダの強い絆ができており、ブラバムからウイリアムズに移籍する際には、ホンダがピケをバックアップしたという噂もある程です。
1987年は、ウイリアムズ・ホンダに乗るピケとマンセルが熾烈なチャンピオン争いを繰り広げる中、日本GPでマンセルがクラッシュし出場を取り止めたため、F1初開催の鈴鹿サーキットでピケのチャンピオンが決定しました。
そして1988年には、ホンダエンジンを積むロータスへ移籍し中嶋悟とパートナーを組み、マシンのバランスが悪い中、16戦中、入賞7回、うち表彰台3回という安定した成績を残しています。
89年もロータスで中嶋とコンビを組みますが、前年よりポテンシャルの下がったマシンに四苦八苦し、中嶋と共に予選落ちをしたこともありました。
そんな苦楽を共にした中嶋が引退を発表した時には、フジテレビのインタビューに対して
「まだまだやれるのに、残念だ。僕が辞めないように今から交渉しにいってくるよ!!」
と答え去って行ったそうです。
また、90年の日本GPではGP直前にチームメイトであるアレッサンドロ・ナニーニがヘリコプター事故で大怪我をしてしまいます。
しかしピケは落ち込んだムードの漂うチームに優勝と笑顔をプレゼントします。
そして次の最終戦、オーストラリアGPでも優勝。
このオーストラリアGPをもってメカニックを引退することになっていた、日本人メカニックである津川哲夫氏に最後の勝利をプレゼントしたのです。
このようにピケは、日本との縁が深いレーシングドライバーでもありました。
まとめ
ネルソン・ピケ特集、いかがでしたか?
普段の「自由人」と呼ぶにふさわしい振舞いとは裏腹に、コックピットに収まると自由とは無縁と思われる程の安定性を見せてくれました。
「自由」と「安定」はある意味相反するものですが、それを持ち合わせていたピケだからこそ多くのファンや多くの女性からも愛されたのかもしれません。
ピケのこの「安定感」は、レースをしている方にとって大いに参考になるのではないでしょうか?
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