2度目のタイトルが遠い日々、そしてマクラーレンとの決別
2009年は王者として連覇を目指しますが、この年はマシンに速さが足りず入賞もままならない日々を過ごすことに。
ようやくシーズン中盤のハンガリーGPで優勝を果たすとその後は上位で争うことも増えますが、タイトルを争うには遅く王者から一転しランキング5位に沈んでしまいます。
その翌年からは前年にF1王者を獲得したジェンソン・バトンをチームメイトに迎え、イギリス人の王者でコンビを組むこととなります。
マクラーレンは競争力を取り戻し、ハミルトンは3勝を挙げ最終戦までタイトルを争いますが、2度目の王座には届かずランキング4位に終わります。
そして迎えた2011年。これまでエリートとしてキャリアを進めてきたハミルトンに大きな苦悩が見え始めたのです。
この年は彼の攻撃的な走りが裏目に出てしまい、速さを結果に結びつけることが出来ませんでした。
チームメイトのバトンが安定してポイントを重ねランキング2位を獲得するなか、同じ3勝を挙げながらも最終的にランキング5位に沈んでしまったのです。
するとハミルトンはチーム内で劣勢に回ると次第に精神的な苦悩も見え、チームに対する不満を述べている報道も見られるようになりました。
しかし2012年は4勝を挙げ調子を取り戻したように思われましたが、長年過ごしたマクラーレンをこの年限りで離れることを表明。
2度目のタイトル獲得を目指しメルセデスへ移籍を決意し、周囲を驚かせました。
約束を果たす電撃移籍、幼なじみを倒しての2連覇
メルセデスで新たな挑戦を始めたハミルトンですが、この当時競争力はマクラーレンに優れているという見方が強く、この移籍は年棒が目当てだとメディアに書き立てられることもありました。
しかし、この移籍はロズベルグとの幼き頃の約束を実現し、しばらく遠ざかっていた王者に返り咲くための布石でもあったのです。
ハミルトンの加入後、メルセデスは大きく躍進し、マクラーレンの不調を尻目に頻繁に上位を争うチームに成長。
長年過ごしたチームを離れる判断に対して批判的だった人々も、ハミルトンの勝利への執念に驚かされることになったのです。
そして、レギュレーションの大改革が行われた2014年以降、メルセデスは恐るべき強さを発揮するようになりました。
開幕戦こそ早々にリタイアを喫しますが、第2戦マレーシアGPから第5戦スペインGPまで4連勝を飾り、選手権を大きくリードすることに成功。
メルセデスの独壇場となったタイトル争いはハミルトンとロズベルグの2人に絞られ、チーム内での主導権争いは熾烈なものとなっていきました。
すると次第に関係は険悪になり、ついにコース上での衝突は避けられないものとなりました。
迎えた第12戦ベルギーGPで争いは表面化。2人はレース序盤でまさかの同士討ちを演じ、ハミルトンはリタイアを強いられたのです。
それ以降ハミルトンは吹っ切れたかのように僚友を凌駕すると、5連勝を飾り大きなリードを築いて最終戦を迎えました。
この年は最終戦のポイント2倍というルールがあったため最後まで両者に戴冠の可能性がありましたが、スタートで首位に立つと堂々の優勝を飾りロズベルグを下し2度目のF1制覇。
前回タイトルに輝いた2008年より落ち着いてレースを戦うことができたと自身を振り返り、速さのみならず精神面でも成長を感じさせました。
チームの主導権に握った2015年には、ライバルを寄せ付けない強さを発揮し2連覇を達成。
なかでも第14戦日本GPでは彼の憧れであるアイルトン・セナに並ぶ41勝目を挙げると、タイトル争いでもロズベルグに大きなリードを付け、3戦を残した第16戦アメリカGPで早々と王座を確定させたのです。
今季は序盤から不運もあり勝ち星に恵まれずにいましたが、第6戦モナコGPでシーズン初勝利を飾ると怒涛の追い上げを見せ、ハンガリーGP終了時には僚友ロズベルグをついに逆転。
攻撃的な彼の走りは勝利に執着する気持ちが走りにも表れているように見えます。
それほどの強い闘志を持っているからこそ3度の王者に輝くことが出来たのではないでしょうか。
まとめ
その天性の速さから往年のF1王者からも高い評価を受けるハミルトン。
通算49勝、55度のポールポジション獲得(2016年ドイツGP終了時)は、ともに歴代3位とF1を代表するドライバーとして知られています。
また攻撃的な走りでも人々を魅了し、追い抜きを仕掛ける際には画面からも勝利に対する気迫が伝わってくるほど。
そういった勝利だけを目指す姿勢が、彼の残した記録に結びついているのではないでしょうか。