F1で近年多く見られる2世ドライバーたち。父の果たせなかった夢を叶えたい、父を超えたいなどその目標も様々です。しかし、同じ道に進んだからこそ分かり合える強い絆があり、それは時にファンにも感動的なドラマを見せてくれます。今回はともにF1まで進んだ偉大な親子を成績を比較しながらご紹介しようと思います。
近年活躍する2世ドライバーたち
今季は参戦する22人のうち5人が父にレーシングドライバーを持つ、2世ドライバーとして参戦。
これはF1史上最多を数え、今季も彼らの活躍が期待されています。
これまでにも数組の親子ドライバーが参戦してきましたが、2世ドライバーたちはどの時代でも父を超える成績が求められるのです。
もちろんF1に参戦した時代や境遇も違うので一概には比較できませんが、これまで親子そろってF1まで登り詰めた偉大な親子たちを早速ご紹介してこうと思います。
偉大すぎる父を持った2世ドライバーたち
ロズベルグ親子(父:ケケ 子:ニコ)
まず最初にご紹介するのは今季もタイトル争いの主役であるニコ・ロズベルグと、その父であるケケ・ロズベルグ。
父がF1で挙げた5勝に対し、ニコはその4倍近い19勝(2016年ドイツGP終了時点)を挙げ、近年強い存在感を示しています。
優勝回数など多くの記録で父を上回っていますが、F1王者を獲得した父には及んでいないと見方が強いのも事実。
父であるケケは1982年にわずかシーズン1勝で王者に輝いたという珍しい記録の持ち主で、ニコが父に肩を並べるにはやはりF1王者に輝くしかないでしょう。
今季は開幕4連勝を飾るなど初王座へ期待が懸かりましたが、ハミルトンの復調もありランキング首位を明け渡すことに。
ケケは1勝で王座を掴んだだけに、多くの優勝を飾りながら王座に届かないニコは少し気の毒な気もしますね。
果たして今季こそ悲願の王座達成は見られるでしょうか。
ヒル親子(父:グラハム 子:デイモン)
伝説のドライバーとして今でも語り継がれているグラハム・ヒルは、世界三大レースを全て制覇した歴史上唯一の人物であり、2度のF1王者に輝いたという実績を持っています。
偉大なF1王者の息子デイモンも父と同じ道を歩むことを決意しますが、それは決して平坦なものではありませんでした。
デイモンが15歳の時に父が飛行機事故で亡くなると、それ以降は貧しい生活を強いられ、アルバイト生活をしながらレース活動に取り組むことになるのです。
ようやく掴んだF1デビューは31歳と非常に遅かったため、周囲の期待はあまり大きくありませんでした。
しかし、ウィリアムズへ移籍すると速いマシンと巡り合い、1996年には8勝を挙げ見事王者に輝いたのです。
これは史上初となる親子でのF1王者が誕生した瞬間でした。
その後、父と並ぶ2度目の戴冠こそなりませんでしたが、歴史上唯一となる親子でのF1王者達成は、決して七光りとは言えない苦労の末に掴み取った偉業だったのです。
ピケ親子(父:ネルソン 子:ネルソン・ピケJr)
3度のF1王者として有名なネルソン・ピケ。個性的なドライバーとして知られ、世界中に妻子を持つなど現在でも数多くのエピソードを残しています。
その次男として生まれたネルソン・ピケJrは、2008年にルノーでF1デビューすると2世ドライバーとして大きな注目を集めました。
しかしエース中心のチーム運営の中で苦戦を強いられ、思うような活躍が出来ませんでした。そしてF1の歴史に残る大事件が発生するのです。
2008年のシンガポールGPでは、チーム監督に指示され意図的にクラッシュを起こし、大問題として取り上げられたのです。
この一件は裁判にかけられ、親子で共闘したピケJr側は勝訴したのですがイメージダウンは避けられず、F1から姿を消すことになりました。
3度も王者に輝いた父に対しピケjrはわずか一度の表彰台獲得に留まりましたが、フォーミュラEでは創設初の年間王者に輝くなど、現在もF1以外のシリーズで活躍を続けています。
ちなみに四男のペドロ・ピケも現在はF3などで活躍しており、もしかすると将来F1で走る姿が見られるかもしれませんね。
中嶋親子(父:悟 子:一貴)
日本人初となるF1フルタイムドライバーとなった中嶋悟。その息子の登場によって、かつて日本で期待を背負った中嶋の名がF1に帰ってきたのです。
父のデビューから20年後のブラジルGPで中嶋一貴がF1デビューを飾り、父があと一歩及ばなかった表彰台獲得に期待が懸かりました。
2008年には日本人初となるモナコGPでの入賞など健闘を続けましたが、最高位は6位と父が記録した4位に届かず。翌年は不振に陥り期待された結果を残せずF1から姿を消すこととなったのです。
しかし、その後は国内を中心に他のカテゴリーで速さを見せつけ、スーパーフォーミュラ(2012年はフォーミュラ・ニッポン)で2度の年間王者を獲得するだけでなく、WEC(世界耐久選手権)にもトヨタのドライバーとして参戦。
今季のル・マン24時間レースでは、優勝まであと一歩という見事な走りを披露しました。
パーマー親子(父:ジョナサン 子:ジョリオン)
ジョナサン・パーマーは1983年から7年間に渡ってF1で活躍し、また医師免許を持っていたことから「フライングドクター」と呼ばれ愛されました。
表彰台こそありませんが、玄人好みの堅実な走りが持ち味で通算8度の入賞を記録しています。
息子のジョリオンは2014年にGP2王者に輝くと、翌年にはロータスのリザーブドライバーを務め、2016年から生まれ変わったルノーのレギュラードライバーに選ばれたのです。
1年目の今季はマシンが非力ということもあり、待望のF1初入賞は未だおあずけに。
しかしデビュー戦では父のスタイルを踏襲したような、ルーキーらしからぬ堅実な走りで11位完走。これから迎える後半戦では、自身初となる入賞に期待がかかります。
まだまだ登場する2世ドライバー。
次のページでも、ヴィルヌーブやサインツなど、伝説的なドライバーが多数登場します。