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シューマッハとハッキネンが争った0.001秒単位の大バトルとは?鈴鹿F1の名勝負の中で最もフェアプレーだった3戦!

今年も鈴鹿サーキットで開催されるF1日本グランプリ。これまで同地で繰り広げられた名勝負を振り返る中で、絶対に欠かすことができないのがミハエル・シューマッハとミカ・ハッキネンのチャンピオン争いだろう。これまでの王座争いとは異なり、彼らのバトルでの合言葉は「フェアプレー」。その中で互いが持つ力を100%以上振り絞ってぶつかり合う。名バトル中の名バトルが鈴鹿で繰り広げられた。

http://www.mclaren.com/formula1/

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1998年:正々堂々と戦った初の直接対決

http://www.mclaren.com/formula1/

出典:http://www.mclaren.com/formula1/

2人が初めて直接対決したのが、1998年。この年は最終戦に組み込まれた鈴鹿が「ハッキネンvsシューマッハ」のチャンピオン争いが決着する場となった。

前年の最終戦で悲願のキャリア初優勝を果たしたハッキネン。開幕戦から絶好調。90ポイントを獲得し初タイトルに王手をかけてやってきた。

一方のシューマッハはベネトンで最強の座を手に入れると古豪化していたフェラーリへ移籍。

「3年でチャンピオンを獲得する」と宣言し名門復活のために尽力。この1998年が約束の3年目だった。

わずか4ポイントのランキング2位につけ条件付きではあるが、逆転チャンピオンの可能性を残していた。

F3時代から長年ライバルとして切磋琢磨してきた2人がついにF1の頂点をかけて鈴鹿で対決。

その瞬間を見ようと日本のみならず世界中からファンが集まり、動員数は14万人を超えた。

予選でポールポジションを獲得したのはシューマッハ。2番手にハッキネンがピタリとつけた。

スタンドもハッキネン派、シューマッハ派と声援が真っ二つに分かれるほどのボルテージ。スタート直前のグリッドの緊張感も最高潮に達していた。

そんな中、かつてのF1チャンピオン争いでは見られなかった光景が。

ハッキネンがポールポジションにいるシューマッハのもとに歩み寄り、がっちり握手。

「互いにフェアプレーで戦おう」

その約束にふさわしいバトルに、ファンの期待も最高潮に達した。

しかし、注目のスタートで思わぬハプニングが発生する。

フォーメーションラップを終えてレッドシグナルが点灯した瞬間、後方のマシンがエンジンストールを起こしスタートディレイ。

もう一度、フォーメーションラップからやり直しとなる。2回目のフォーメーションラップを行うが、今度はグリッドについたシューマッハがエンジンストール。

ポールポジションがゆえに停車時間が一番長く、マシンがオーバーヒートしてしまったのだ。

http://formula1.ferrari.com/

出典:http://formula1.ferrari.com/

もちろん、ルール上ではスタートディレイを起こしたマシンは最後尾に回ることになり、ハッキネンが俄然有利な状態に。

3度目のスタートをきっちり決めてトップでレースをリードしていく。

しかし、1%でも可能性が残っているのであれば最後まで諦めないのがシューマッハ。

1周目から10台のマシンを追い抜くと、レース中盤には3番手に浮上。

とにかくラップタイムを早くして前との距離を縮めていく戦略に変更。毎周のようにタイヤをロックさせる気迫のこもった走りを見せる。

もちろんライバルが必ず追い上げてくることはハッキネンだって百も承知。独走ながらも集中力を切らさずに攻めの走りに徹する。

必死に逃げるハッキネン、怒涛の勢いで追い上げるシューマッハ。

直接のバトルではなかったが、両者の100%のせめぎ合いに、スタンドのファンも釘付けとなった。

ところが、あっけない形で決着がつく。

32周目のメインストレートで突然シューマッハの右リアタイヤがバースト。2コーナーでマシンを止めリタイア。この瞬間、ハッキネンのチャンピオンが決定。

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そのまま最後までトップを守りきり、鈴鹿F1を初制覇するとともに、悲願の初チャンピオンを獲得。

これまで負け続けていたライバルに、ようやく勝つことができたシーズンだった。

そして、レース後のパルクフェルメ。帰ってきたハッキネンを待っていたのは、シューマッハだった。

レース前同様に、フェアプレーの約束を果たしたことを証明する握手。

今までのチャンピオン争いでは見られなかった、相手に敬意を払いながらも全力でぶつかり合う、新しい名勝負が生まれた。

 

1999年:0.001秒単位で同タイムというガチンコタイムアタック合戦

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この年もシーズン前半は両者が互角の争いをしていたが、イギリスGPでシューマッハが大クラッシュに右足を骨折。

数レース欠場を余儀なくされ、王座争いから脱落。チームメイトのエディ・アーバインがハッキネンと対決した最終戦となった。

しかし、予選からハッキネンvsシューマッハの大バトルが展開される。

1回目のアタックでシューマッハがいきなり1分38秒032をマーク。

他を圧倒するが、ハッキネンも負けじと攻めていき、セクター1では41.473秒で全くの同タイム。

セクター2で0.085秒に遅れるが、最終セクターで遅れを取り戻しコントロールラインを通過。

タイムはなんと1分38秒032、0.001秒単位で互角の戦いを見せる2人に、スタンドもどよめきに包まれた。

その後も、しのぎの削りあいを行い、最終的にシューマッハがポールポジションを獲得。ハッキネンは2番手に甘んじた。

迎えた決勝日。2年連続チャンピオンのためには、何としてもシューマッハの前に出なければ光が見えてこないハッキネン。

鉄壁とも言えるシューマッハを攻略できる唯一のチャンスであるスタートで、抜群のダッシュをみせトップを奪い取った。

シューマッハも再逆転を狙い必死に追いかけるが、スタートから流れが一転しハッキネンがリードしていく展開。

最大のライバルの猛追を振り切り、トップチェッカーを受け、2年連続でチャンピオンを獲得した。

最後まで手が届かなかったシューマッハだが、アーバインとともにダブル表彰台を獲得しフェラーリに16年ぶりにコンストラクターズタイトルを獲得。

これまで有利と言われていたハッキネンとマクラーレン・メルセデス勢に少し肉薄した結果になった。

 

2000年:互いに全力を尽くした53周

出典:http://formula1.ferrari.com/

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3度目となった2人の対決。この年はシューマッハが王手をかけて鈴鹿に乗り込むが、前2回を遥かに上回る限界を超えるバトルが展開された。

シューマッハがピットアウトすると、タイミングを合わせるかのようにハッキネンもコースへ向かい、前年を彷彿とさせるかのような0.001秒を削り合うタイムアタック合戦を展開。

当時では鈴鹿サーキットのコースレコードに迫る1分35秒台の争いとなっていき、最終的にシューマッハが0.009秒、距離に換算すると約50cmという僅差を制しポールポジションを獲得。

2番手にハッキネンと3年連続でフロントローが同じ顔ぶれとなった。

迎えた決勝日。この年も53周にわたって2人が全力を超えるほどの攻防戦を繰り広げる。

スタートはこの年もハッキネンがホールショットを奪うが、背後にシューマッハがつける。

途中のピット作業で逆転を狙うフェラーリ陣営だが、1回目のストップではわずかに届かずハッキネンがトップを死守。

少しずつ流れをつかみ始めていくが、中盤に降り始めた小雨を利用しシューマッハも間合いを詰めていく。

常に両者の差は2~3秒以内。毎ラップ、各コーナーで全力でせめぎ合い、プレッシャーを掛け合う、緊迫した神経戦となった。

見た目上の流れではハッキネン優勢だったが、シューマッハは2回目のピットストップでの逆点にかける。

先にハッキネンがピットインした間にベストラップを刻み続け、40周目にピットイン。

フェラーリのメカニックも完璧な作業をみせ、ハッキネンの前でピットアウト。ついに鈴鹿では2年間越えられなかったライバルの壁を越えた瞬間だった。

そのまま最後までトップを守りきりチェッカーフラッグ。シューマッハが2000年のチャンピオンに輝き、同時にフェラーリに21年ぶりのドライバーズタイトルをもたらした。

そして、パルクフェルメに戻ると、勝ったシューマッハに真っ先に歩み寄ったのはハッキネン。

ここでもフェアプレーで全力を出し切って戦ったライバルの勝利を讃える光景が見られた。

 

まとめ

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これまで、鈴鹿では様々なライバル対決が繰り広げられてきたが、それまでなら徹底的に相手と壁を作って、半ば敵対視する雰囲気があった。

ところが、彼ら2人はお互いに尊敬しあい、何があってもフェアプレーというのが大前提。

その中でドライバーがチーム全員を引っ張って、常に100%以上のバトルを繰り広げてきた。

そして、その決着の舞台が3年連続で鈴鹿だったということもあり、この頃のF1が一番大好きだという人も多いだろう。

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現在のF1はチームごとのマシンパフォーマンスの差が大きくなってしまい、ドライバーでの実力差というのがなかなか分かりづらくなっているが、この3年間だけは、色々な要素はあったものの、最終的に「F1は人vs人」の勝負なのだということを、彼らから教えてもらった気がする。

それほどにまで、印象に残った名勝負だった。

 

Writer Introduction
Tomohiro Yoshita

フリーのモータースポーツジャーナリスト。サーキット取材は2011年からスタートし、最近ではSUPER GTスーパーフォーミュラを全戦取材。この他にもF1をはじめとする海外レースや、2輪レースもカバー。レースに関する記事だけでなく、サーキットに来場するファンに役立つ情報発信も展開しています。http://www.kansenzyuku.com

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