紫電・77

出典:http://www.supercars.net/blog/1977-mooncraft-shi-den-2/

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当時、富士GCをはじめ数々のタイトルを総なめにし、日本一の呼び声高かったオーナードライバー高原敬武氏のオーダーにより誕生したのが紫電77です。

森脇基恭氏が車体設計、そして流麗なクローズドボディは由良拓也氏完全オリジナルでデザイン・製作されました。

当時の富士GCはマーチをはじめとする海外製のシャシーにオリジナルのオープンカウル、というのが鉄板でしたが、このマシンはまさにレースに携わる人々の最高の夢である「完全オリジナルマシン」を具現化したものです。

出典:http://www.mmjp.or.jp/60srace/Shiden2002.html

復刻された紫電 出典:http://www.mmjp.or.jp/60srace/

世界に目を向けてもここまでスタイリングにこだわったレースカーは珍しく、高原氏がドライブするということもあり大きな注目を集めました。

ところが、車体を覆うカウルの面積が広くなるクローズドボディはリフト(揚力)防止対策が難しく、かえって空力面で不利となってしまったのです。

加えて、広大なフロントガラスと長大なリアセクションが重量増加を招いており、様々改善が必要なマシンでした。

しかしながら、由良氏のイメージをそのまま形にしたような流麗なフォルムは今尚多くの人に愛され、復刻車まで作られています。

 

コジマ・KE007

出典:http://japanesenostalgiccar.com/motorsport-kojima-engineering-ke007/

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設計担当は小野昌朗氏、製作は解良喜久雄氏、そしてボディーデザインを由良拓也氏というほぼ当時のオールスターで製作された伝説のF1マシン。

押し寄せる外国勢に一矢報いる為、1976年のF1グランプリが開催される富士スピードウェイに特化したロードラッグ・ローダウンフォース仕様として開発が進められ、「記念出走」ではなく本気で勝利を目指した野心作でした。

予選では300Rまでファステストラップのペースで走行するも、その後の最終コーナーでサスペンションアームが折れ、時速250キロでクラッシュ。

ドライバーの長谷見昌弘氏は奇跡的に無傷でしたが、モノコックにもダメージが及ぶ全損で、翌々日の決勝出走は絶望的とみられました。

出典:http://japanesenostalgiccar.com/motorsport-kojima-engineering-ke007/

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しかし、富士スピードウェイ付近(通称・大御神レース村)にレーシングガレージを持つ他チームのメカニックたちが無給・不眠不休の修復に協力し、奇跡的に本番出走を果たし手負いながら11位完走を果たしています。

デザインと設計そのものは非常にオーソドックスにまとまっていますが、今も尚「もしクラッシュがなかったら」と考えずにはいられない、果てないロマンを秘めたマシンです。

「すでにこういう形にするんだというのは最初からあったような気がするし、自分としては特別にF1を作るんだ、という意識も気負いも無かったクルマですね。当時の僕にとってはF1もFJも、モノを作るという意識の上では同じだったんです」

Racing on No.395 126ページより引用

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MCS(ムーン・クラフト・スペシャル)

出典:https://www.mooncraft.jp/wp-content/uploads/sites/7/b_gc11.jpg

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由良拓也氏が独立し、ムーン・クラフトを立ち上げたのは1975年。

もとより既製品のレーシングカーを富士GC向けにリファイン・カスタムすることで名を上げましたが、自社企画製品を販売するコンストラクターとしていわば本格的スタートを切ったのがこのMCSでした。

当時多くの富士GC参戦チームが輸入していたマーチ製のパーツをほとんど流用出来る様に設計されており、モノコックのみを製作し、手持ちのパーツを組み込んでもらうという方法で販売されています。

参戦初年の1979年はヒーローズ・レーシング1チームのみの採用だったものの、中嶋悟が見事シリーズチャンピオンを獲得。

パフォーマンスの高さが認められ、翌年には7チームに供給されるまでに拡大。

 

出典:https://www.mooncraft.jp/wp-content/uploads/sites/7/b_gc11.jpg

グラウンドエフェクトを究めた1983年のMCS4。出典:https://www.mooncraft.jp/

MCSシリーズはその後も進化を続け、MCS Ⅸまで続く傑作シリーズとなります。

その戦闘力の高さは、1979年からシリーズが終了する1989年までの全シーズンをMCSシリーズがタイトル獲得していることが物語っています。

 

MAZDA 717C(1983)

出典:http://www.pistonudos.com/reportajes/mazda-717c-le-mans-1983/

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1983年、グループCジュニア規定をターゲットに開発・ルマン24時間レースに投入されたマシンです。

後の787Bへと続く記念すべきマツダ・グループCの最初のマシンは由良拓也氏デザインによるカウルをまとっていたのです。

そのルックスから”そらまめ号”の愛称で呼ばれ、長いユノデュエールの直線でトップスピードを稼ぐ為に極端に短いフロントノーズと、逆に極端なロングテールを持った独特のスタイル。

どこか愛嬌のあるカエル顔のルックスは、由良氏の作品のいくつかで同じ特徴が見て取れます。

654cc×2ローターの13Bエンジンで300馬力を発生するユニットはライバルに比べて非力ながらも高い信頼性を示し、717Cはこの年のルマンで見事クラス優勝を果たしています。

 

MC030

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マツダとのルマン挑戦は、ムーンクラフトがF1を見据えたフォーミュラでの活動に注力を始めたことにより終焉を迎えます。

由良氏は自身のレーシングチームを立ち上げ、自らが監督となってレースの世界に打って出て行ったのです。

そして1989年、フットワークの出資により生まれた国産初のF3000マシンがこのMC030。

その先のF1チャレンジに向けた由良氏の果敢な挑戦でしたが、結局のところフットワークがオリジナルマシンの開発を諦めアロウズの買収によってF1へ進出。

プロジェクトの上では取り残される形になったものの、国内F3000用のオリジナルマシンはその後もMC031、MC040、MC041と進化を重ねていきます。

「組織がちゃんとしていないとレーシングカーは作れない。プログラムを進めることにばかり手がかかって、プロデューサーとかディレクターとかそういう仕事ばかり多くなっちゃった。そういう意味で、MCシリーズは作るということについては、ぼく自身が心血を注ぐことができなかったクルマたちなんですよ。今から思えば、そっちの方向へ行くべきではなかったなと思ってしまいますね」

Racing on No.395 126ページより引用

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まとめ

風洞も、グラウンドエフェクトも無かった1970年代。

自ら磨き上げた造形的センスと手に染み付いた技術によって、先進的な作品を生み出し続けてきた由良拓也氏。

しかし、すべて数字と科学で最良の答えが出せる様になった今、それは莫大な資本を持った一握りの人々しか開拓出来ない領域に突入しています。

出典:http://www.f1technical.net/articles/10

出典:http://www.f1technical.net/

感覚だけでは勝てない風洞時代の到来、スタイルと機能性の折衝、そして資本がモノをいう険しいトップフォーミュラの世界と、天才と言われた由良氏も時代の変化とともに数多くの逆境に直面してきたように見えます。

それでも尚、トップチームのマシンを地面に這いつくばって興味津々と覗き込み、新しいテクノロジーについて誰もが「なるほど!」と言える分かりやすさで、ご本人もさぞ楽しそうに説いてくれる由良拓也さん。

ル・マン24時間テレビ中継でのマシン解説「由良拓也が斬る」を録画して、何度も繰り返し観たのはきっと私だけではないはずです…。

今も好きなことに夢中で生きる由良拓也さんのその姿、その言葉に、やっぱりクルマ好きならワクワクせずにはいられないのです。

出典:https://www.mooncraft.jp/company/greeting/

出典:https://www.mooncraft.jp/

今も日本のレースの第一線で戦い続ける由良拓也氏とムーンクラフト。

復活を果たした紫電などまだまだ紹介したいマシンはありますが、それはまたの機会に致します。

 

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