いすゞがトラックやバス以外の車から撤退したのはもうかなり昔の話で、5ナンバーフルサイズセダンに至っては50年以上前に生産を終了させています。かつては”自動車メーカー御三家”と言われていた『いすゞ』が販売していた、最初で最後の大5ナンバーフルサイズセダン、ベレルを振り返ります。

 

いすゞ ベレル前期型 / © TOYOTA MOTOR CORPORATION. All Rights Reserved.

 

 

ヒルマンミンクスの経験を活かしたタクシー&ハイオーナーカー

 

いすゞ ベレル後期型 / © TOYOTA MOTOR CORPORATION. All Rights Reserved.

 

第2次世界大戦後の自動車産業復興期、日産(オースチン)や日野(ルノー)、新三菱(カイザー)とともに海外車種のノックダウン、あるいはライセンス生産で技術を蓄積した自動車メーカーの中に、イギリスのルーツグループと提携していたいすゞ自動車がありました。

いすゞは、1953年から2代にわたりヒルマン ミンクスを生産。

その2代目を生産していた1957年には完全国産化を達成すると、いよいよいすゞ独自の乗用車開発に乗り出します。

当時の自動車需要はほとんどがタクシーや公用車など後席メインの用途で、その他富裕層による個人所有が若干ある程度。

さらに大都市圏の一部を除けばまだ劣悪だった当時の日本国内道路事情を考えれば、技術的冒険は不要です。

こうして、ヒルマン ミンクスをベースに5ナンバー枠上限の排気量とボディサイズを持つフルサイズセダン、ベレルは1962年4月に発売されました。

しかし、ヒルマン ミンクスで技術を磨き、イギリス本国製より高品質とすら言われたはずの生産品質は、不慣れな新型機械導入などが仇となって当初は劣悪であり、発売早々に評価を落として不具合対応に追われます。

さらにタクシー用としてはライバルに、個人用としては自社生産のヒルマン ミンクスに負けるという不評ぶりで、本来ベレルが後継となるはずだったヒルマン ミンクスなどは、ベレット登場後まで生産続行を余儀なくされました。

結局、人気を得て直接の後継車を作ることも叶わず、最後は投げ売りの状態で1967年5月をもって生産終了、いすゞ最初で最後の5ナンバーフルサイズセダンは、はかなく消えたのです。

 

タクシー、ハイヤー用途に徹した構造とディーゼルエンジン

 

いすゞ ベレル前期型 / Photo by Alden Jewell

 

ベレルの特徴はまずその外観からして明らかで、サイドまで回り込ませてAピラーを後退させたフロントガラスと、それに伴い後部ドアに比べて極端に小さい前部ドアガラス。

開口部を広げるためAピラーよりかなり前にヒンジのある前部ドアなど、かなり特異でした。

そのため、横から見た時の前後ドアのバランスがあまり良いとは言えず酷評の一因にもなりましたが、このデザインにはドライバーだけでなく乗員全てにとってAピラーに邪魔されない開放的な前側方視界を得られたことは確かです。

また、前期の丸目2灯、後期の丸目4灯タテ目のヘッドライトはなかなか凛々しく、直線的なボディラインをフロント先端でうまく丸めていたので前から見るとエレガンドだった反面、三角のテールランプ(前期)など、前後デザインのアンバランスさは残りました。

レイアウトについては、メカニズム的にはタクシー用途を強く意識しており、ベンチシート2列6人乗りが必須とされましたが、それゆえ個人用途としてはヒルマン ミンクスより大きくなったボディで手軽さは失われてしまいます。

残る切り札はいすゞが得意とするディーゼルエンジンで、これは運転手からの評判はともかく経済性に優れていたためタクシー会社には喜ばれましたが、現在でも主流のLPGガスを燃料としたタクシーが登場すると、急激に廃れてしまいました。

つまりベレルとは『常に最先端を意識してはいたけれども、どれも少し流行からズレたり遅れたりしていた。』という意味では、非常に惜しい車だったと言えます。

特にベレルの1代限りの終了により、クラウンやセドリックなどライバルがガッチリつかんだ大型タクシー需要に応えられなくなったことは、乗用車メーカーとしてのいすゞにとって、長く引きずり続ける致命的なダメージとなったのです。

 

初の日本グランプリでクラウンを脅かしたベレル

 

1963年の第1回日本グランプリに出場、日産 セドリックなどを追うベレル / 出典:http://www.imcdb.org/vehicle_93398-Isuzu-Bellel-1962.html

 

様々な要素が重なり、傑作車とは言えないモデルライフを送ったベレルですが、少なくとも前期型の時点で走行性能はライバルとなるクラウン、セドリック、グロリアに対して、決して劣るものではありませんでした。

それを証明したのが1963年5月に鈴鹿サーキットで初開催となった第1回日本グランプリで、ベレルは大型サルーンによるC-VIクラスに出場。

この第1回グランプリでは各メーカー間でチューンナップは控え、純粋な車の性能とドライバーの腕で競おうという紳士協定を破ったトヨタが、各クラスを席巻したことでも知られています。

しかし、C-VIクラスではサスペンションを固めるなどチューンしたトヨペット クラウン(2代目)に対し、いすゞは外国人ドライバーを雇ってハンデを埋める作戦に!!

そうなるとマシン性能のクラウンかドライバーのベレルかという争いで、在日米軍のK・スウィッシャー中佐が駆るベレルが派手なドリフト走行でトップのクラウンをドライブする多賀 弘明を追いかけます。

そして、優勝こそできなかったものの3位以下に大差をつけての準優勝を果たしたほか、4位にもベレルのD・ニコルズが入り、市場での鬱憤を晴らす戦いぶりを示しました。

他にもベレルはマカオグランプリやBSCC(英国サルーンカー選手権)に出場するなど精力的に高性能をアピール。

結局ベレルの販売には直接結びつかなかったものの、後のベレットによるスポーツイメージへのつなぎ役は果たしたと言えます。

 

主なスペックと中古車相場

 

いすゞ ベレル前期型  / Photo by Alden Jewell

 

いすゞ PS20 ベレル スペシャルデラックス 1962年式

全長×全幅×全高(mm):4,470×1,690×1,515

ホイールベース(mm):2,530

車両重量(kg):1,295

エンジン仕様・型式:GL201 水冷直列4気筒OHV8バルブ ツインキャブ

総排気量(cc):1,991

最高出力:70kw(95ps)/4,600rpm(※グロス値)

最大トルク:159N・m(16.2kgm)/2,400rpm(※同上)

トランスミッション:コラム3MT

駆動方式:FR

中古車相場:皆無

 

まとめ

 

いすゞ ベレル前期型 / 出典:https://www.imcdb.org/v012793.html

 

ベレルは結果的には短命に終わった車ではありましたが、そのルックスやコンセプトにはところどころ光るものがあり、特に後期のタテ目ヘッドライトなど、初代セドリックや3代目グロリアと比べてヒケを取るものではありませんでした。

ましてや第1回日本グランプリなどの武勇伝も残しているので、生産開始当初の品質トラブルさえ無ければ、ライバルをかなり脅かす存在になっていたかもしれません。

しかし現実はそううまくはいかず、機械的に旧態依然とされ大型セダンとしては廉価版に見られてしまう4気筒OHVエンジンや、経済性に優れてトラック用エンジンと出色の出来だったディ-ゼルも高級車用としてはやはり品格を問われてしまうなど、ハンデは山積みでした。

初代三菱 デボネアのように手作り同然で地道に長く作り続ける道を選ばなかったいすゞは、結局フローリアンにフラッグシップの座を託して退場してしまいますが、自動車産業での生き残り競争がいかに苛烈で少しの出遅れも許されない現実を、今でもベレルの背中が語っている気がします。

 

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