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こんなクルマが今欲しい!!時代を彩った名車、日産パイクカー3兄弟!

1987年にデビューした『日産 Be-1』は、それまでにはなかったスタイリングで一世を風靡したパイクカーです。そんなBe-1から始まる日産パイクカー3兄弟について、そのこだわりのデザインについて、誕生の背景を交えてご紹介します。

掲載日:2019/06/02

日産 Be-1 /出典:https://gazoo.com/catalog/maker/NISSAN/BE_1/198701

日産パイクカー3兄弟 その始祖と影の主役

1987年、平成がまだ始まっていない昭和62年バブル初期。

日産が仕掛け、国産自動車史に残るクルマが登場します。

その名は『Be-1』。

このクルマが日本にパイクカーというジャンルを切り開きました。

日産はBe-1を皮切りに、1989年にパオ、1991年にはフィガロと立て続けにパイクカーを登場させます。

これら3車種は当時の日産車にあった箱に象徴される堅いイメージを払拭するかのようであり、丸目2灯のレトロで温かみのあるボディデザインは、一世を風靡しました。

この3兄弟の始祖ともいうべきベースは、共通してK10型初代マーチです。

初代マーチといえば日産の誇る1リッターコンパクトカーであり、シンプルなボディデザインは、かのジウジアーロが手掛けました。

1982年のデビューは鳴り物入りで、車名は一般公募から決定するなどの熱の入れようです。

しかし、その後の日産は80年代後半まで全社的な販売不振時期に行き当たることになります。

結果、マーチもフルモデルチェンジを許されることなく、10年近くのロングライフが課されることになりました。


出典:https://n-link.nissan.co.jp/NOM/ARCHIVE/

そのような背景の中、当時の日産はまず第一に「企業イメージを変える」ことに着手し、その最初の答えがBe-1だったのです。

日産のデザイナーは、なんら変哲のない大衆車、マーチのパワートレインとシャーシに、内外装はレトロデザイン全開ならぬ「全懐」の思い切ったコンセプトを注ぎ込みます。

その結果、マーチのフルモデルチェンジとは別に、全く違うコンセプトを持ったクルマが生まれたのです。


日産 Be-1/ Photo by JOHN LLOYD

そして日産パイクカーを語るうえで欠かせないのが影の主役ともいうべき、高田工業株式会社の存在です。

クルマメーカーを取り巻く様々なサプライヤーの中には、車体架装メーカーという特化した車体製造技術を持った会社があり、量産車のボディとは違い、パイクカーなど極めて少量生産車のボディ製造や組み立ては、大メーカーの量産ラインの中に組み込まれることはまずありません。

なぜなら、数を捌くことが出来ないと、工場の設備投資に対して採算がとれなくなるケースがほとんどだからです。

そして、高田工業はそうした少量生産車の製造においてはトップクラスの実績を持つ会社で、特化した技術力を擁して、凝ったボディデザインの少量生産車の製造を、金型の製作からプレス加工、塗装、完成車の組み立てまでメーカーから請け負います。

また、パイクカーだけでなく、受注生産扱いのオープンルーフのスポーツカーからフォークリフトまで、乗用車だけでなく特装車までもその守備範囲に含む対応力の高さ!

日産のパイクカーはパオの一部を除き、ほとんどが高田工業謹製であり、製造工程の半分が手作業と言われる日産パイクカーの故郷とでもいうべきファクトリーです。

では、そんな日産パイクカー3台を、改めておさらいしてみましょう。

「ここちよさ優先のナチュラルカー」Be-1

日産 Be-1 / 出典:https://www.nissan-global.com/EN/HERITAGE/Be_1_standardroof.html

1985年、昭和60年。

第26回東京モーターショーの日産ブースに展示された「Be-1」という名のコンパクトカーが、多くの来場者の目を引きつけます。

当時の日産には、お世辞にも秀でたデザインのクルマは見当たらず、多くが直線基調のデザインであり、「箱の日産」、「堅い日産」といったイメージが先行。

マンネリ化が、販売実績に長く影を落としていた時期でした。

そんな中にあってBe-1は、強烈な印象を与えたのです。

デザインは、全てが曲面から構成されているような可愛らしい有機体といった面持ちで、それは機能美の追求とは全く逆の視点からのデザインアプローチであり、世界的に見ても革新的でした。

併せて特徴的だったのは、鉄の塊として映らないよう配慮された各種パーツの造形と、金属感の少なさです。

それを実現するため、曲面加工し易い樹脂と鋼板からなる新素材を使うなど、多くの工夫がこのクルマには活かさせていました。

キャッチコピーは「ここちよさ優先のナチュラルカー」。

その言葉から連想される安心感や自然な風合いを纏うBe-1は、見る者にハートフルな気持ちを抱かせる稀有な存在となり、市場に大いに歓迎されます。

販売は1987年1月。

本体価格は最廉価版のノーマルルーフ、5速MTで1,293,000円、限定10,000台という設定でした。

日産にとってその設定は、採算度外視だったはずですが、このクルマの使命は大いに稼ぐことではなく、一にも二にもユーザーに向けて自社のイメージを変えさせることだったので、それでもよしなのです。

日産の思惑は見事に的中し、その話題性もあってか販売されるや先着での予約申し込みは殺到。

2ヶ月で完売となります。

懸念された生産体制は、月産400台から600台へと増産が決定。

販売現場の混乱を避けるため、当時の日産石原社長直筆による全国紙向け全面広告「予約完売御礼」の掲載は異例でした。

その後も新車価格の倍近くの高値で中古車が取引され、投機目的の対象になるなど、80年代後半、記憶に残る社会現象の一つにBe-1がいたのは間違いありません。

日産 BK10 Be-1 キャンバストップ 1987年式

全長×全幅×全高(mm):3,635×1,580×1,395

ホイールベース(mm):2,300

車両重量(kg):710

エンジン仕様・型式:MA10S 水冷直列4気筒SOHC8バルブ

総排気量(cc):987

最高出力:38kw(52ps)/6,000rpm

最大トルク:74N・m(7.6kgm)/3,600rpm

トランスミッション:3AT

駆動方式:FF

中古車相場:25万~138万円

「リゾート感覚のアドベンチャーカー」パオ

日産 パオ 出典:https://www.nissan-global.com/EN/HERITAGE/Pao.html

Be-1に続けと日産が送り出したパイクカーシリーズの第2弾が、パオです。

1987年の東京モーターショーにコンセプトカーとして、パオはお披露目されました。

そのデザインはBe-1以上に野心的で、レトロさだけにとどまらず、例えばかつての軍用車「キューベルワーゲン」を彷彿とさせる無骨さが感じられます。

その個性の源にあるのは「アドベンチャー」でした。

キューベルワーゲン / Photo by CC-BY-CarImages

「都会での走行シーンにリゾート感覚のアドベンシャーを持ち込む」としたコンセプトは、当時日本ではメジャーではなかった服飾ブランド「バナナ・リパブリック(Banana Republic) 」に通ずるものがあり、その先見性あるセンスには改めて感心させられます。

そうしたコンセプトですから、必然的にこのクルマの内外装は非日常を感じさせるディテールに溢れています。

外装で特徴的なのは、無造作に貼り付けたようなボディパネルに露出型ヒンジのドアやテールゲートで無骨さをアピールした演出。

このサイズのクルマには一見不釣り合いにも思えるごついフロントフェンダーに、前後バンパーは金属パイプ感丸出しであるなど「ジャングルで見つけた放置車両から使えそうなものを使って作りました」といった風情に見えなくもない、工業製品らしからぬ手作り感に溢れていました。

内装もインパネはスチールむき出し、ステアリングをはじめ乳白色のパーツは象牙をイメージし、各種スイッチ類には少々大きめなトグルスイッチを採用しています。

シートは、麻の風合いある素材をチョイス……などなどこれでもかっ!というほど世界観へのこだわりが感じられました。

とはいっても、決してゴテゴテと盛っているのではなく、シンプルに見える絶妙な範疇で内外装を纏めあげているのがこのクルマが違和感なく都会に溶け込める所以でしょう。

エンジンはBe-1と同じくK10型マーチの自然吸気エンジンです。

キャンバストップや三角窓、リアクォーターウィンドなどといった常時半開きとでもいうべきボディなので、風切り音はご想像の通りです。

快適性はお世辞にも高いとは言えません。

しかし、「走行時の風切り音が大きいのは織り込み済」として、それさえも冒険に付加されるテイストの一部として割り切ることが出来るクルマは、そうザラにはないと思います。

これがパワフルなエンジンで、静粛性も確保され、エアコンキンキンの密閉された空間だとしたら、それは冒険ではなくなり、興醒めしてしまうことでしょう。

製造にあたってはBe-1譲りの新素材や新工法がふんだんに投入され、見た目に反してフロントフェンダー、エンジンフードなどは樹脂素材。

様々な工夫から防錆、剛性の向上と軽量化が図られています。

特に防錆処理には力が入れられており、製造から四半世紀以上経った現在でも、通常のメンテナンスだけで良好なコンディションを維持している個体も少なくはないようです。

また、価格は1,385,000円からと100万円台に抑えられ、販売方式は1989年1月から4月までを受注期間とする予約限定販売方式が採られ、この方式により購入希望者全てに納車が可能となりました。

そして当初は月産500台想定の生産体制でしたが、急遽、倍以上の1200台の増産体制となります。

納期は最長でも1年半でおさめた背景には、生産現場での相当なご苦労があったことでしょう。

総販売台数は51657台。
パオは日産パイクカーシリーズでは最も生産されたクルマであり、今でも街中で見かけることが出来ます。
むろん、それなりに経年劣化はしていますが、一生ものの道具としての味がそこには感じられるのです。

日産 PK10 パオ キャンバストップ 1989年式

全長×全幅×全高(mm):3,740×1,570×1,480

ホイールベース(mm):2,300

車両重量(kg):760

エンジン仕様・型式:MA10S 水冷直列4気筒SOHC8バルブ

総排気量(cc):987

最高出力:38kw(52ps)/6,000rpm

最大トルク:74N・m(7.6kgm)/3,600rpm

トランスミッション:3AT

駆動方式:FF

中古車相場:19万~180万

「日常の中の優雅な気分を味わえるパーソナルクーペ」フィガロ

Photo by Dennis Elzinga

パイクカーシリーズの第3弾(正確には商用車エスカルゴが第3弾)は、フィガロです。

フィガロは歌劇「フィガロの結婚」に登場する主人公(男性)にちなむもので、しなやかで洗練された印象のボディデザインが見る者を魅了します。

プロトタイプとしてのお披露目は、1989年のモーターショーで、やはり多くの注目を集めて市場の逸る声に押され、1991年に販売は開始されます。

エンジンはマーチベースですが、車重も800㎏を超えたため、ターボ付きのMA10ET型が採用され、3速ATの組み合わせとなりました。

トランク付きながら2ドアクーペなので、実車を見ると小柄な割には思いの外低い車高であることを感じます。

しかし、単に低いというわけではなく、窮屈さを感じさせない流麗さがそこにはあり、定員4名でリアシートはお世辞にも広々とは言えませんが、粋なパーソナルクーペとしては割り切ればなんら問題はありません。

オープントップはルーフ前端からリアウィンドウ下部までが全て開く形態で、解放感はひとしおです。


Photo by Gareth Williams

特徴的なのはボディデザインだけではなく、ダッシュボードの内張から本皮シートまで白で統一された内装は清潔感に溢れ、シンプルさと相まって上品な趣きです。

また、内外装に散りばめられたメッキパーツにもこだわりが感じられ、なんとエアコンパネルやラジオの手動ツマミにも、メッキパーツが施されています(CDラジカセは専用品)。
とはいっても、決して過度な装飾と感じることはなく、品良く纏め上げているのはデザイナーさんのセンスの賜物。

昨今ニュースにありましたが、英国でこのクルマが静かなブームなようで、3,000台以上のフィガロが英国で登録されていると聞きました。

要因としては右ハンドルであることはもちろんですが、それにも増して旧き良き英国車を彷彿とさせる風情が、このクルマにはあるのです。

大きく開いた口のようなラジエターグリル、愛嬌のある丸目2灯のヘッドライト、曲線が織りなす美しいボディワークなど、英国で1960年代に隆盛であった少量生産車を生み出すバックヤードビルダー達のそれとフィガロは通ずるものがあるのかもしれません。


オースチンヒーレースプライト/ Photo by Steve Glover

フィガロは当初8000台限定の生産予定でしたが、希望者が多かったため、2万台に拡大され、抽選での販売方式が採られます。

パオは今でも街中で見かけますが、フィガロは簡単に目にすることもなくなってきたように思います。

しかしら日本ではオーナーの方々が大事に乗っており、またイギリスに渡って静かに余生を過ごしている個体も多いことでしょう。

日産 FK10 フィガロ 1991年式

全長×全幅×全高(mm):3,740×1,630×1,365

ホイールベース(mm):2,300

車両重量(kg):810

エンジン仕様・型式:MA10ET 水冷直列4気筒SOHC8バルブ

総排気量(cc):987

最高出力:56kw(76ps)/6,000rpm

最大トルク:106N・m(10.8kgm)/4,400rpm

トランスミッション:3AT

駆動方式:FF

中古車相場:26万~290万

まとめ

日産のパイクカーは、一貫して「温かみや親しみやすさ」を謳い、まるで映画「カーズ」のように擬人化されても違和感のない愛嬌あるデザインが魅力です。

そして、特筆すべきはその価格設定であり、当時の日産の経営環境から考えればリーズナブル過ぎる100万円台の設定に、入魂の度合いをうかがい知ることが出来ます。

その潮流は商用車にも波及し、VN10型パルサーバン(1978年モデル)をベースとした異色の商用パイクカー「エスカルゴ(S-Cargo)」(1989年デビュー)の販売にまで至りました。


日産 S-Cargo(エスカルゴ) / 出典:https://www.nissan-global.com/EN/HERITAGE/s_cargo_129.html

今日ではパイクカーとは謳わずとも、フロントマスクなどの意匠を大きく変更し、レトロやエレガントな風合いを持つ量産グレードのクルマが日常的に見られます。

これらは、少なからず日産パイクカーの残した「親しみやすい個性的なデザイン」を源流に今の時代に継承した結果であり、そのデザイン意匠は市民権を得ていると言えるのではないでしょうか。

マーチラフィート/ © AUTECH JAPAN,INC.

プラットフォームやエンジンは同じでも、個性的な内外装の小型車を輩出するメーカーの柔軟で粋な姿勢が今後も継続し、多様なデザインの小型車が若年層や女性層へ訴求することに期待します。

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