2021年現在、世界中の自動車メーカー各社から続々と新たなEV(電気自動車)が発売されていますが、EVそのものはガソリンエンジン車とほぼ同時期に実用化され、一旦は特殊な用途以外でほとんど使われなくなるも、2010年代から急速に車種や販売台数が増え、今や充電インフラや電力不足が心配されるほどになってきました。今回はそんなEVの「歴史的転換点になった車」を、8台ほど紹介します。

ポルシェの高性能EVスポーツ「タイカン」 出典:https://www.porsche.com/japan/jp/models/taycan/taycan-models/taycan/
1.ランズデンなど、19世紀の市販電気自動車

イギリスのハロッズで使われていたという、アメリカのインディアナ・バイシクル・カンパニーの1899年型電気自動車「ポープウェイバリー」(左)と、同じくウォーカー社製の商用電気自動車「1tバンモデルK」(中)、1930年代にハロッズが独自制作した商用バン電気自動車(右) Photo by Loco Steve
電気自動車の歴史はかなり古く、充電できない一次電池を積んで人が乗れるものは1839年までに完成しており、同時期既に実用車がバスとして運行されていた蒸気自動車ほどではないものの、1881年に充電可能な「二次電池」が実用化されると、これを積んだ実用的な電気自動車が次々に登場しました。
世界初の実用ガソリン自動車の1台と言われる「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」の登場が1885年ですから、電気自動車とガソリン自動車の実用化はほんの数年違いの同時期で、1894年に開催された「パリ~ルーアン・トライアル」にも電気自動車はエントリーしていたと伝えられています。
この世界初の自動車レースでは出走までこぎつけなかったものの、当時の電気自動車は「水の補給が頻繁に必要な蒸気自動車より走行距離が長い」、「ガソリン車のようにクランク棒で手動によるエンジン始動が不要で、振動や騒音も少ない」という点が受けて、電機の送電網が発達した国では電気自動車が初期のヒット作になりました。
ただし1910年代に入ると、近代的な電動スターターモーターで始動できるガソリン車が登場、アメリカのフォードが安価な大量生産車を発売するなど電気自動車の優位がなくなり、ごく限られた用途以外で市販の電気自動車は一旦消えていきます。
2.戦後日本復興期の「たま電気自動車」シリーズ

1950年型「たま セニア」 出典:https://www.nissan-global.com/EN/ZEROEMISSION/HISTORY/TAMASENIOR/
一旦はガソリンエンジンやディーゼルエンジンの自動車に取って代わられた電気自動車ですが、ガソリンや軽油の供給が制限される一方、余剰電力だけは潤沢という状況が生じた場合は、再び注目される事となります。
代表的だったのが1945年に太平洋戦争で敗戦、アメリカはじめ連合国による占領期で市場でのガソリン不足、戦火でも生き残った発電設備による余剰電力を抱えた1940年代後半の日本で、後に日産と合併して消滅するプリンスの前身、「たま電気自動車」による「たま号」、「たまセニア」、「たまジュニア」など、電動の乗用車や貨物車が販売されました。
しかしそれも束の間、1950年に勃発した朝鮮戦争で日本本土が国連軍の一大拠点となり、大量の物資が流れ込むとガソリンも市場へ大量に放出された一方、バッテリーに必要な鉛や銅などの物資は戦略物資として統制されたため逆に不足し、「たま」の電気自動車はモーターやバッテリーの代わりにガソリンエンジンを積むよう改造され、ほんの数年で日本の電気自動車時代は終わってしまいます。
3.カリフォルニアZEV法の産物、GMの「EV1」

GM EV1 Photo by RightBrainPhotography
1950年代以降の電気自動車は、限られた石油資源からいつかは必要とされる「未来の自動車」として技術的アピールに用いられ、1970年代のオイルショックなど何度か起きたガソリン価格の高騰、増加した自動車による排気ガスの公害問題によって開発は加速します。
しかし結局は、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンの発展(排ガス浄化・低燃費化)が電気自動車に必要なバッテリー技術の発展を上回り、本格的な量販電気自動車の復活には結びつきません。
しかし1980年代後半、環境問題で常に最先端をいくイメージが今も根強いアメリカのカリフォルニア州で、大規模自動車メーカーは排ガスを一切出さない(ゼロエミッション)車を一定数販売しなければいけない、という「ZEV法」が構想され、他の州も追随する動きを見せます。
これに応じてリース販売ながらまとまった台数が出た電気自動車のひとつが、1996年に発売されたGMの「EV1」で、初期は鉛バッテリー、後にニッケル水素バッテリー搭載型も登場し、搭載するバッテリーによって89~240km程度の航続距離がある、今のレベルでもそれなりに性能を持つ電気自動車が初めて登場しました。
4.ホンダeのご先祖、「EV Plus」

1997年にリース販売で発売したホンダ EV Plus 出典:https://www.honda.co.jp/news/1997/4970919-evplus.html
カリフォルニア州ZEV法の影響は、北米を主要市場とする日本車にも波及し、1997年にはニッケル水素バッテリーにより10・15モードでの1充電走行距離220kmという性能の「ホンダ EV Plus」が日米でリース販売されました。
いかにも既存の自動車に比べて特異な形状をしていたGMのEV1とは異なり、一見するとホンダが当時販売していたコンパクトカー「ロゴ」をベースに下半分をバッテリー搭載のため拡張したようにも見えますが、あくまで当時のホンダデザインに沿っていたというだけの話で、ロゴ派生車というわけではありません。
5.後にテスラとも協業したトヨタの「RAV4 EV」や「eQ」

1996年にリース販売された、トヨタ RAV4 EV Photo by Mike Weston
トヨタも1993年にタウンエースEVやクラウンマジェスタEVといった鉛バッテリーの電気自動車をリース販売した後、1996年に初代RAV4ベースでニッケル水素バッテリーの「RAV4 EV」を発売しました。
5ドアロングボディ仕様のSUVという点ではGMのEV1やホンダのEV Plusより実用性は高く、最高速度125km/h、10・15モード一充電走行距離215kmという性能もEV Plusと並んでいた電気自動車です。
しかし肝心のカリフォルニアZEV法自体が、その時代の技術で安価な電気自動車の量販など到底不可能、という技術的制約もあって看板倒れに終わってしまい、EV1やEV Plusともども「実験的にやってみた」という程度の市販に終わります。
しかしトヨタの場合、バッテリー技術は翌1997年に発売された世界初の量販ハイブリッド乗用車、初代「プリウス」にも有用でしたし、それ以降の電動車技術の開発にもかなり役立ったはずです。

2012年に発売されたトヨタ eQ 出典:https://global.toyota/jp/detail/1557130
その後もトヨタは2012年にテスラとの協業で3代目RAV4ベースの新たな「RAV4 EV」や、プレミアムマイクロカー「iQ」をベースとした小型電気自動車「eQ」を発売しており、積極的な量販とは言い難いながらも、EVの研究開発、実験的な市販は継続しています。
6.世界初のリチウムイオンバッテリー量販EV、三菱の「i-MiEV」

三菱 i-MiEV 出典:https://www.mitsubishi-motors.co.jp/sp/i-miev/
ガソリンエンジンやディーゼルエンジン搭載車に駆逐されて以降、バッテリー技術の限界で今ひとつ実用的、かつ現実的な価格での量販が実現しなかった電気自動車ですが、2009年に発売された三菱のi-MiEVで、ようやく実現した感があります。
ブレイクスルーの元になったのはリチウムイオンバッテリーを使えるようになった事で、ハイブリッドカーまでは何とか実用の域に持っていけたニッケル水素バッテリーより性能が高く、まだまだ高価とはいえ普及のための補助金を利用すれば現実的に購入可能。
さらに通常の軽乗用車と同じく4人乗って荷物も乗せられ、普通に走っても80~120km程度の一充電走行距離を期待できる電気自動車の登場により、i-MiEV以降は低コスト化や経年劣化して役目を終えた後のバッテリーリサイクル、充電インフラの整備が課題になるなど、電気自動車は新たなステージへ入ったと言えます。
なお、三菱ではi-MiEV以降も軽貨物車の「ミニキャブMiEV」、軽トラックの「ミニキャブMiEVトラック」を発売、電気自動車と同じように外部からの充電でモーター単独走行距離が長いプラグインハイブリッド(PHEV)をアウトランダーやエクリプススパイダーでラインナップするなど、応用を進めてきました。
7.普通の車と同じような使い勝手を可能にした、日産の「リーフ」

2代目日産 リーフ e+ 出典:https://www.nissan-global.com/EN/ZEROEMISSION/HISTORY/LEAFEPLUS/
i-MiEVに続き、2010年には日産から初代「リーフ」が登場します。
一見してマフラーがない以外は普通の5ドアハッチバック車という事で、デビュー当初は「新時代を感じさせるデザインやパッケージがない」と批判される事もありましたが、むしろ電気自動車だからと無闇に奇抜なデザインにすると、幅広いユーザーから受け入れられにくい、という考えがその後は一般的になったのでリーフの路線は正解だったと言えます。
当初は新技術への不信感や充電インフラの不足などもあって出足好調とはいかなかったものの、2017年に2代目へモデルチェンジする頃にはすっかり「普通の車」として街で見かけるようになり、新車販売ランキングの50位以内へ顔を出すなど、販売実績も堅実です。
さらに、同じモーターを使って、バッテリー容量を落とす代わりに発電用エンジンと燃料タンクを積んだシリーズ式ハイブリッドシステム「e-POWER」というスピンオフも生み出し、トヨタのようなストロングハイブリッドの開発・量産で出遅れたメーカーにとって、遅れを取り戻す有効な手段としても注目されています。
8.エコなだけじゃない!と知らしめた高性能EV、テスラの「モデルS」

テスラ モデルS 出典:https://www.tesla.com/ja_jp/models
2021年現在では、ポルシェの「タイカン」をはじめ、高性能スポーツEVやSUVタイプのEVが当たり前のように販売されていますが、かつての「電気自動車はエコだけど我慢して使う乗り物」のようなイメージを一変させたという意味で革命的だったのは、テスラの「モデルS」でしょう。
第1作となる「ロードスター」に続く第2弾として登場したモデルSは、300km/hを超える最高速度や、スーパーカー並の加速性能を持ち、先進的な運転支援システムを備えるなど、従来からの自動車観を覆す車でした。
それまでの電気自動車は高価な割りに性能はソコソコ、「エコだから仕方ないね」という割り切りも必要でしたが、モデルSは見かけこそちょっとスポーティな4ドアクーペルックのスポーツセダンという程度ながら動力性能は同クラスガソリン車のほとんどを凌駕し、「電気自動車は高性能」という新たな価値観を生み出します。
モデルS以降、SUVのモデルXやモデルY、廉価版のモデル3を発売したテスラはまぎれもなく電気自動車メーカーの最先端にあり、性能や価格の面でその後に従来からの自動車から発売された各種電気自動車にとって、重要なベンチマークです。
今後は電力やインフラの確保が課題となる電気自動車

テスラ モデルY 出典:https://www.tesla.com/ja_jp/modely
2021年現在、世界中の多くの国で2030年代には内燃機関(ガソリンエンジンやディーゼルエンジン)のみで走る車は新車販売をやめ、電動車に移行するとされており、既にノルウェーのごとく、新車販売の半分以上が電気自動車という国もあります。
あくまで新車販売できるのは「電動車」、つまりハイブリッド車も含むため内燃機関がすぐなくなる事はありませんが、電気自動車や、それに近いプラグインハイブリッド車、走行距離延長用の発電機を持つレンジエクステンダーEVが、どの国でも次第に販売の主流になっていく事でしょう。
しかし、電気自動車を中心とする「外部から充電して走る車」の急激な増加は、充電スタンドの不足や長過ぎる充電時間による混雑、さらに電力不足にもつながってくるため、充電インフラや発電能力の確保も急速に進めていかないと、「やはり内燃機関が便利という現実路線への回帰」が起きるかもしれません。
果たして10年後、電気自動車と、それを取り巻く環境はどのように変わっているのでしょうか?