第2次世界大戦後、日本を占領した連合軍から乗用車生産を禁じられた日本の自動車産業はトラックやバスなどの生産で命脈を保っていましたが、終戦からわずか2年弱の1947年6月には限定的ながら乗用車生産が許可されるようになりました。その中の1台としてトヨタが開発、戦後初期の国産車としてはかなりの野心作として1947年10月にデビューさせたのがトヨペットSA型です。

 

性能アピールのため国鉄東海道線の急行列車と名古屋・大阪間で競争、勝利したトヨペットSA型 / 出典:https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section8/item1_d.html

 

かつて日本には、自由に自動車を作れない時代があった

 

1943年にデビュー、1947年8月の民間貿易再開を前に、米国など貿易代表団の移動用として50台のみながらトヨタが戦後初めて生産した乗用車、トヨタAC型 / COPYRIGHT©TOYOTA AUTOMOBILE MUSEUM

 

1945年8月15日、トヨタ自動車工業挙母工場(現在のトヨタ自動車本社。愛知県豊田市)は前日にB-29の空襲を受け、模擬原子爆弾『パンプキン』3発の直撃により工場の4分の1が全壊。

その片付けに追われているさなかに終戦の『玉音放送』を聞きました。

しかし、戦争が終わったなら復興にトラックが必要だ!と翌々日の17日にはKC型トラックの生産を再開。

同年9月25日にはGHQ(連合国軍総司令部)の命令で乗用車生産は禁止されたものの、トラックの生産は認められたことによりトヨタは自動車メーカーとして命脈を保ちます。

そして1947年、トヨタは戦前に創業してからの累計生産台数10万台を達成。

さらに占領下ながら同年8月には民間貿易が再開され、外国からの貿易代表団の移動用として1943年に開発したAC型乗用車を50台のみ生産し、戦後のトヨタが初めて生産した乗用車に!!

 

1947年に生産台数累計10万台を達成したトヨタ自工。この年ようやくGHQから乗用車の生産が許可された。 / © 1995-2018 TOYOTA MOTOR CORPORATION. All Rights Reserved.

 

ちなみに、GHQは乗用車の生産を許可しなかったものの研究開発までは禁じられていませんでした。

そのためトヨタは、当時の資源不足や疲弊した工業力の中でも十分に生産可能なサイドバルブ式(それまでは全てオーバーヘッドバルブ式=OHVだった)4気筒エンジン『S型(初代)』を開発。

1946年11月に試作第1号エンジンが完成すると、1945年12月に開発を開始した小型トラックや、研究開発のみ許されていた試作小型乗用車に搭載します。

 

荒川鈑金工業(名古屋市の星崎工場。後の[旧]アラコ。現在のトヨタ車体)で製作・架装中のトヨペットSA型試作車 / 出典:http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section8/item1.html

しかし当時のトヨタは、まだボディまでの一貫生産体制には無く、トヨタが生産したエンジンやシャシーに架装業者がボディを載せて仕上げる形で、新型の小型乗用車も名古屋の荒川鈑金工業(後の[旧]アラコ。現在は自動車生産部門をトヨタ車体に吸収)が架装を担当しました。

 

試作車なのか、当時ほぼハンドメイトだったためかトヨタ博物館に現存するものとはだいぶ細部が異なるトヨペットSA型 / 出典:http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section8/item1.html

 

また、S型(初代)はGHQに許可されていた小型トラック『SB型』用エンジンとして一足先の1947年4月に発売。

乗用車の生産はまだ許可されていませんでしたが、同年1月には小型乗用車の試作も完成していたので、愛称を一般公募し『トヨペット』と決定します。

そして同年2月に占領軍の米第5空軍から乗用車の修理作業を受注していたほか、乗用車開発の進展を見守っていたGHQはついに同年6月『1,500cc以下の乗用車を年間300台に限り生産してよい』と許可を出し、限定的ながらついに戦後初の乗用車生産再開が可能となったのです。

かくして1947年10月、ついに『トヨペットSA型乗用車』が発売されました。

とはいえ業界全体で年間300台だったため、一気に量産とはいきませんでしたが、同時期に発売された国産乗用車には以下のような車種があります。

・トヨタ自動車工業(後のトヨタ自動車) トヨペットSA型

・日産重工業(同、日産自動車) ダットサン・スタンダードセダンDA型

・東京電気自動車(後にたま、プリンスを経て日産へ) たま電気自動車

 

戦後初ながらも野心作だったトヨペットSA型乗用車

 

現在もトヨタ博物館に所蔵されている、戦後に開発された初のトヨタ製乗用車、トヨペットSA型 / COPYRIGHT© TOYOTA MOTOR CORPORATION.All Rights Reserved.

 

戦後初の新開発トヨタ乗用車となったトヨペットSA型は、GHQが許可した1,500cc級より小さい1,000cc級でしたが、『ダットサン』や『たま』が750cc以下の戦前型エンジン、あるいはそれに類する動力性能、ボディサイズだったのと比べ、だいぶ野心的でした。

デザインからして戦前の日本では見られない曲線的、あるいは涙滴型といってよい曲面を多用しており、既に戦前のヨーロッパではチェコスロバキアのタトラT77やT87で見られたデザインだったものの、戦前・戦中の日本車とは一線を画しています。

 

前から見るとフォルクスワーゲン・タイプ1と似たスタイルなものの、側面から見れば曲線を多用した以外にトヨペットSA型との共通項は無いのがわかる。 / © 1995-2018 TOYOTA MOTOR CORPORATION. All Rights Reserved.

 

後の視点から見れば「ビートル(フォルクスワーゲン・タイプ1)に似てる?」と言われそうですが、タトラにせよビートルにせよリアエンジン車なので、全体を見ればFR(フロントエンジン・後輪駆動)のトヨペットSAのフォルムはだいぶ異なりました。

しかし、開発陣やデザイン陣の中には戦前にビートルの原型KdF-wagenやタトラ車を見聞してきた者が含まれており、その影響を受けたことが伺えます。

しかも架装するボディを製作していた荒川鈑金工業所では、社員18名と『少数精鋭』ながらこれを打ち出し、板金(鋼板を叩いて伸ばし、曲げる成形法)でハンドメイド製作していたので、複数のメーカーで年間300台の枠を分け合うような状況でこそ作れる車でした。

 

トヨペットSA型のシャシー。バックボーン・フレームにボディを載せる方式で、近代的なモノコック構造はまだまだ先の話。/ 出典:https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section8/item1_d.html

 

構造はハシゴ型のラダーフレームより軽量なバックボーンフレームを採用。

フロント側のY字型に開いた間にエンジンを吊るとともに、コイルスプリング&ダブルウィッシュボーン式独立懸架のフロントサスペンションを支えます。

そしてエンジンから後ろに伸びたプロペラシャフトはフレーム中心を貫通し、後部固定のデフ(差動装置)に接続されますが、リアのサスペンションも横置きリーフスプリング式スイングアクスル、つまり四輪独立懸架でした。

ただし当時は、まぎれも無い最貧国だった日本でこの四輪独立懸架サスを活かせる道路などほとんど無く、耐久性に優れた固定車軸式リジッドサスの方が向いている状況ではあまりに野心的すぎて、特にタクシー用途では酷評の原因にもなってしまいます。

また、2ドアしか無かったこともタクシー用としては不評の原因で、末期に4ドア車もごく少数作られたと言われるものの現存していません。

 

トヨペットSA型乗用車や同SB型トラックに使われたサイドバルブ4気筒の初代S型エンジン。乗用車用としては初代コロナ用まで、フォークリフト用としてはさらに長く使われた。/  出典:http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section6/item5.html

 

ただ、初代S型エンジンのみはさすがに最新鋭!

生産性も整備性も当時の工業力や技術力を考慮した上で可能な限りの出力を得られる上に、ホコリを吸い込み摩耗しやすい道路状況下ではオーバーホールやシリンダー再生のための『ボーリング』が容易な事は幸いでした。

とはいえトヨペットSA型そのものは生産台数制限や販売体制の未整備(まだ現在のトヨタ店が1946年に立ち上がったばかり)、そして前述のタクシー業界からの酷評や自動車の個人ユーザーなどほとんどいない時代でもあって、決して成功作とは言えません。

しかし、初代S型エンジンに限って言えばSA型を公称最高速度87km/hで走らせる実力を有し、パワフルとまではとても言えないものの、高速道路も無い当時の日本では十分以上の性能で、乗用車用としても初代コロナの末期(1959年)まで使われました。

また、トラック用としても使用されたほか、その後も長らくフォークリフト用エンジンとして使われ、SB型トラックともども『初代S型エンジンを育てた重要車種』としての役割は十分に果たしたと言えます。

 

主なスペックと中古車相場

 

正面から見たトヨペットSA型 / © 1995-2018 TOYOTA MOTOR CORPORATION. All Rights Reserved.

 

トヨタ自動車工業 トヨペットSA 1947年式

全長×全幅×全高(mm):3,800×1,590×1,530

ホイールベース(mm):2,400

車両重量(kg):1,170

エンジン仕様・型式:S 水冷直列4気筒SV8バルブ

総排気量(cc):995

最高出力:20kw(27ps)/4,000rpm(グロス値)

最大トルク:58N・m(5.9kgm)/2,400rpm(同上)

トランスミッション:コラム3MT

駆動方式:FR

中古車相場:皆無

 

まとめ

 

斜め後ろから見たトヨペットSA型。当時の乗用車需要の中心だったタクシー用途のために必要な耐久性や使い勝手にはまだまだ程遠かったが、重要な通過点だった。 / © 1995-2018 TOYOTA MOTOR CORPORATION. All Rights Reserved.

 

トヨペットSA型は、本文中にもあるようにデザインや構造こそ先進的なものの、当時の日本の道路や市場には全くマッチせず、いわば技術的な自己満足に近い車で、実績もまさにその通り。

1947年10月から1952年までの約4年で、わずか197台が生産されたに過ぎません。

しかし、その後は頑強なSB型トラックのシャシーに乗用ボディを架装したSB型乗用車(荒川鈑金工業のSB-Aや敢闘電気自動車製造のSBPセダン)などがタクシーとして活躍。

後に初代パブリカ初期で犯した失策とともに、後のトヨタが『メーカーの自己満足では無い、ユーザー本位の車づくり』で日本車トップメーカーとなっていくための重要な教訓がトヨペットSAから得られたのです。

もっとも、ただ日本全体が最貧国だったというだけでなく、トヨタ自身も労働争議や資金繰りの悪化などで車作りに集中しにくかった苦境を引きずる時代はかなり長く続くことになり、トヨペットSAの誕生と酷評はそんな時代の幕開けを宣言する号砲だったのかもしれません。

全てが過去となった今、時代の証人となったトヨペットSA型はトヨタ博物館などにわずか2台が現存するのみと言われています。

 

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