「歴史は繰り返す」というのは自動車業界にも往々としてある話で、歴史の長い車ではそれが”先祖帰り”という形で現れたりします。まもなく登場する15代目クラウンも若者向け走りのイメージをアピールするそうですが、それもまたクラウンが何度も通った先祖帰りの道です。比較的若い個人ユーザー層を初めてターゲットにした3代目クラウンあたりが、その帰りたい”ご先祖”の1台かもしれません。
3代目は個人ユーザー層の積極的開拓を狙った初のクラウン
トヨタ初の本格国産乗用車として歴史にその名を残す初代トヨペットRSクラウンから、気が付けば早12年。
そのライバルのうち、いすゞ ベレルは既にモデル末期で後継車も無く、プリンス・グロリアは皇室御用達イメージから脅威だったものの日産への吸収合併で早晩セドリックとの兄弟車化は決まったようなもの。
残るライバルは日産・セドリックくらいでしたが、こちらは1965年デビューの2代目がピニンファリーナ・デザインのずいぶん垢抜けた車になっていました。
そこで1967年9月に発売された3代目S50系クラウンは、”日本の美”をテ-マにデザインを一新するとともに、それまでのショーファー・ドリブン(運転手付きでオーナーは後席に乗る車)のみではなく、個人ユーザー層をターゲットに販売戦略を組み直します。
そして直列6気筒エンジンの高級グレードながら比較的廉価とした『オーナーデラックス』グレードの設定や、1968年10月に追加されたスポーティな2ドアハードトップ車によるスペシャリティカー路線によって、若い富裕層の取り込みを図ったのです。
後にクラウンは何代かおきに”オーナー層の若返り”と称した大胆なデザインやラインナップの変更を行うようになりますが、その原点はこの3代目クラウンにあると言えました。
一時はクラウン最大の特徴だったペリメーターフレームを初採用
この3代目クラウンでは、個人ユーザー層への売り込みという販売路線拡大だけでなく、メカニズム的にも大きな変更が行われました。
それが、フロアの周囲に一体化させたフレームを取り付けた『ペリメーターフレーム』です。
これにより初代のラダーフレームや2代目のXボーンフレームにボディを載せるより低床フロアが可能になり、似たようなビルトインラダーフレームより強度は落ちるものの軽くてやはり低床、フルモノコックよりボディの変形を抑えられて衝撃吸収力に勝るメリットがあります。
このペリメーター式フレームは9代目まで30年近く踏襲され、『クラウンといえばペリメーターフレーム』というほどクラウンの代名詞的構造になりましたが、その原点となるのが3代目なのです。
また、4ドアセダンやステーションワゴン、途中追加された2ドアハードトップだけでなく、2代目までは『マスターライン』の名で設定されていた商用ライトバンやピックアップトラックもクラウンバン、クラウンピックアップとして設定。
ピックアップなどはこの代限りとなったので、『最初で最後のクラウンピックアップ』であるとともに、3代目は歴代クラウンの中で、もっとも多彩なボディバリエーションを誇りました。
さらに、それまで「消防車や救急車と混同するため」として制限されていたボディカラーが1965年に解禁されたことから、純白のボディカラーを身にまとった個人ユーザー向けクラウン オーナーデラックスなどを『白いクラウン』というキャッチコピーで売り出し。
後のハイソカーブームを経て現代でもまだ通用する『白い高級車』のイメージは、この時に生み出されました。
なお、エンジンは『オーナーデラックス』などはデラックスでも廉価版だけあってシングルキャブのM-C(100馬力)でしたが、『スーパーデラックス』はツインキャブのM-D(110馬力)、『S』や『ハードトップSL』のM-Bなどで125馬力を発揮。
また、本当の廉価版である『オーナースペシャル』や『スタンダード』には4気筒の5Rが搭載されていましたが、4気筒ガソリンエンジン版は3代目が生産終了した1971年で一旦途切れ、復活するのは実に44年後の2015年10月のことでした。
主なスペックと中古車相場
トヨタ MS50 クラウン スーパーデラックス 1967年式
全長×全幅×全高(mm):4,645×1,690×1,445
ホイールベース(mm):2,690
車両重量(kg):1,310
エンジン仕様・型式:M-D 水冷直列6気筒OHC12バルブ
総排気量(cc):1,988
最高出力:81kw(110ps)/5,600rpm(※グロス値)
最大トルク:157N・m(16.0kgm)/3,600rpm(※同上)
トランスミッション:フロア式3AT(トヨグライド)
駆動方式:FR
中古車相場:70万~210万円
まとめ
フロントグリル上面にハミ出した丸目4灯ヘッドライトなど、それまでのイメージを覆す斬新かつ流麗なデザインで登場した3代目クラウンでしたが、1969年のマイナーチェンジではハードトップを除き丸目4灯は変わらないものの、保守的なフロントデザインに回帰します。
これは、おそらく狙った若いユーザー層の獲得より、保守層からの反発が大きかったであろうことを想像させますが、それも歴代クラウンでは往々にしてあった話です。
ちょっとわからないのは、その次の4代目(通称『クジラクラウン』)でより斬新なデザインに挑戦してしまったことですが、この当時のトヨタは国産車トップメーカーとしてライバルに圧倒的な差をつけるべく、試行錯誤が続いていたのだと思われます。
メカニズム的にはこの3代目でひとつの区切りがつきましたが、クラウンがデザイン上のスタンダードを見つけ出すには、もう少し代を重ねる必要がありました。
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