1990年に登場するや素晴らしいハンドリングで日本に『国産車でも優れたヨーロピアンセダンを作れる』と知らしめた初代P10プリメーラから5年、2代目P11はバブル崩壊や経営の悪化による日産の低迷期にあった1995年に登場します。そしてブルーバードとの兄弟車化などコストダウンが著しい面はあったものの、JTCCなどツーリングカーレースで活躍し、特に
BTCCでは4冠を達成するなど、
スポーツセダンとしての面目を保ちました。
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『901運動で登場した名車の世代交代』で苦戦した1台、2代目プリメーラ
『1990年代に技術力世界一を目指す』を目標にした901運動により、日産は1990年前後に国産車の概念を大きく変えるような新型車を多数発売。
バブル景気にも後押しされて、いずれも後世まで語り継がれるような名車となりました。
しかし販売サイドからの要望をそのまま吸い上げて盛り込んだ結果、名車たちの次期モデルはいずれも肥大化し、販売不振に陥るなど日産の経営を一挙に悪化させる事となります。
その真っ只中にいたのが1995年9月にフルモデルチェンジされた2代目P11プリメーラでした。
デザインこそキープコンセプトなものの10代目U14ブルーバードとプラットフォームや基本メカニズムを共有する兄弟車となった結果、単に『日産店向けのブルーバード』と『プリンス店やチェリー店、サニー店向けのプリメーラ』というポジションとなったのです。
さらに先代途中から取り扱いを開始していたサニー店向けには、ボンネット一体のフロントグリルを変更。
つまりボンネットごと異なる『プリメーラカミノ』として独立車種化するなど、多チャンネル販売体制化の弊害まで起きました。
結局1999年4月に日産は販売チャンネルの整理を行い、プリンス店/チェリー店/サティオ店(サニー店)を統合した『日産レッドステージ』でプリメーラを、日産店/日産モーター店を統合した『日産ブルーステージ』でブルーバードを販売するようになり、カミノは廃止。
革命的な名車と呼ばれた初代から一転して販売サイドからの行き過ぎた要望や、多すぎた販売チャンネルによる混乱に翻弄される日産を象徴するかのように苦戦したのが、2代目プリメーラでした。
ヨーロピアン調の5ドアが健在なほか、ステーションワゴン版も登場
先代でハンドリング好評の元となったフロントのマルチリンクサスペンションは健在ながら、リアはパラレルリンクストラット式独立懸架からトーションビームの一種であるマリチリンクビーム式車軸懸架へ変更。
ただしコストダウンのためか4WDはパラレルリンクストラットが継続採用され、2WDも4WDもボディは共通なので車軸懸架のメリットであるスペース効率の向上までは果たせない過渡的な構造となっています。
エンジンは当初先代後期のSR18DE(1.8リッター)/SR20DE(2.0リッター)という2種類のDOHC16バルブ4気筒エンジンが小改良を受け継続採用されましたが、後に1.8リッター車は直噴のQG18DDまたはリーンバーンのQG18DEへ更新。
2リッター車も可変バルブ機構『NEO VVL』採用のSR20VE搭載車が追加されますが5MTとは組み合わされず、6速マニュアルモードだと回転数が最高出力へ達する前にシフトアップされてしまう『ハイパーCVT-M6』のみの設定だったのは、少々残念なところです。
ボディタイプの基本は4ドアセダンですが、先代に引き続き1997年2月からイギリスのサンダーランド工場で生産された5ドアハッチバック車を輸入販売しますが、プリメーラ販売当時の日本では5ドアハッチバックセダンの需要は無く、1998年9月までの短期間のみ。
それよりクローズアップされたのは1997年9月に追加されたプリメーラワゴン/プリメーラカミノワゴンで、初代プリメーラワゴンはアベニールのヨーロッパ名だったのに対し、2代目は日本でも独立モデルとして販売。
通称『プリゴン』と呼ばれた2代目プリメーラワゴンは、当時のステーションワゴンブームに乗って販売台数を稼ぎました。
ツーリングカーレースで初代同様に活躍、BTCCでは日本車初の快挙も
優れたハンドリングマシンとして、当然のごとくツーリングカーレースへ参戦していた初代P10プリメーラに続き、2代目P11プリメーラもレースで活躍しました。
1996年シーズンのJTCC(全日本ツーリングカー選手権)を皮切りに、プリメーラ/プリメーラカミノ双方の車名で1台ずつ参戦(カルソニックプリメーラ/ユニシアジャックスカミノ)。
当初並行参戦していたザナヴィサニーもシーズン途中からザナヴィカミノとなり、3台体制を形成。
JTCCでは1996年に2勝、1997年に4勝を上げますが同年限りで撤退し、日本でプリメーラによるレース参戦は、メジャーレースは元よりマイナーレースも含め、JAF公認レースへの参戦は1997年が最後となりました。
一方で海外でのツーリングカーレース参戦はJTCCから撤退した1998年以降で盛り上がり、同年のBTCC(英国ツーリングカー選手権)では日本車初のシリーズチャンピオン(チームタイトル/マニュファクチャラーズタイトルの2冠)を獲得。
1999年にも圧倒的な強さでドライバー/チーム/マニュファクチャラーズのワークス3冠および、プライベーターチームのインディペンデント・クラスまで制覇する合計4冠でBTCCを文字通り席巻しました。
他にもスウェーデンや南アフリカ、東南アジアなど世界各地のツーリングカー選手権で戦った2代目P11プリメーラは、4ドアセダンをベースに戦われるツーリングカーレースのマシンとしては傑作と言っても過言ではない活躍を見せています。
そのため、現在でもモータースポーツファン向けに開催されているNISMOフェスティバルでは、保管されているレース仕様プリメーラの展示やデモ走行が定番となっており、今でも往年のファンを楽しませています。
主なスペックと中古車相場
日産 HP11 プリメーラ 2.0Te 1995年式
全長×全幅×全高(mm):4,430×1,695×1,400
ホイールベース(mm):2,600
車両重量(kg):1,180
エンジン仕様・型式:SR20DE 水冷直列4気筒DOHC16バルブ
総排気量(cc):1,998
最高出力:110kw(150ps)/6,400rpm
最大トルク:186N・m(19.0kgm)/4,800rpm
トランスミッション:5MT
駆動方式:FF
中古車相場:18万~58万円(カミノ、UK、ワゴンを含む)
まとめ
2代目プリメーラ セダン / Photo by Javier Alfaro
先代が偉大すぎると次の代は苦労するという、典型的な例となった2代目P11プリメーラ。
どこか熟成しきれぬまま採用された感のある変更点が目立つなど、せっかく開発した『901運動』の成果を御しかねるほど余力を失い、テコ入れもままならなかった当時の日産がいかに苦境だったかが伺えます。
ただしブームであったステーションワゴン版の投入やレースでの活躍により、暗いニュースの多かった当時の日産にとって明るいニュースを提供し続けた1台だったのも事実で、ルノーと連合を組んで以降もあと1代、3代目プリメーラへと続く事になりました。
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