稀代のF1ドライバー、アイルトン・セナ。1984年のF1デビューから、1994年に悲劇の死を遂げるまで、チーム移籍を繰り返しながら数々のマシンを乗り継いできました。V6ターボ時代からNAエンジンへの変換、ハイテクデバイスの登場など、マシンテクノロジーの進歩やレギュレーションの変更が多かった80~90年代のF1。ここでは、セナが駆った歴代のマシンを紹介します。
掲載日:2019.10/15
CONTENTS
トールマン・TG183B
イギリスのコンストラクター、トールマンが手掛けたマシンで、巨大なウイングが印象的です。
1984年の第4戦サンマリノグランプリまで参戦し、セナは第2戦南アフリカグランプリ、第3戦ベルギーグランプリで2戦連続6位という結果を残しました。
トールマン・TG184
TG183の後継車として、1984年の第5戦フランスグランプリでデビュー。
モナコグランプリでセナが2位を獲得するなど、TG183よりも良い戦績を残しました。
ロータス97T
1985年、セナはロータスへ移籍します。
第2戦のポルトガルグランプリでは雨の中、ポールトゥウィンを達成。
自身初の優勝を果たします。
オーストラリアグランプリ以降は5戦連続表彰台、ベルギーグランプリでは優勝するなど、躍進のきっかけとなった1台でもありました。
ロータス98T
前年の97Tの改良型で、セナは16戦中8度のポールポジションを獲得します。
しかし決勝における信頼性が低く、優勝は2回のみ。
ドライバーズランキングは、4位という結果に終わっています。
ロータス99T
スポンサーがJPSからキャメルに、エンジンがルノーからホンダに変わったロータス。
チームメイトは中嶋悟で、セナはモナコグランプリとデトロイトグランプリで優勝。
ランキング3位という結果を残しています。
マクラーレンMP4/4
セナと言えばこのマシン!という方も多いのではないでしょうか。
名門マクラーレンに移籍し、自身初の総合優勝を果たしたのがこのMP4/4でした。
ターボが使用できる最後の年であった1988年は燃料搭載量がこれまでより45Lも引き下げられ、高い燃費効率が求められました。
そんな中、ホンダの低燃費技術が功を奏し、他メーカーを圧倒する成績を残したのです。
チームメイトであるアラン・プロストとの接戦も、話題となりました。
マクラーレンMP4/5
V6ターボからV10NAに変更されたMP4/4をベースとした後継車です。
セナが6勝、プロストが4勝するも、この年のドライバーズランキング一位は、プロストでした。
というのも、セナは予選でプロストよりも上位に立つことが多くても、そのまま優勝するかリタイア、という浮き沈みの激しいレースが多く、結果的にはマシントラブルが起きても完走を優先するプロストがタイトルを獲得したのです。
マクラーレンMP4/5B
チームがセナを優遇していると感じていたプロストは、フェラーリに移籍し、ゲルハルト・ベルガーがチームメイトとなった1990年シーズンのマシンです。
この年、ドライバーズランキング1位を獲得すると同時に、コンストラクターズタイトル3連覇を達成しました。
MP4/5との外観上の違いは、フロントウイングの形状やリアの「バットマン・ディフューザー」と呼ばれた独特な半円形を組み合わせた形状のディフューザーなどが挙げられます。
マクラーレンMP4/6
ホンダV12エンジンを搭載した初のマクラーレン車がMP4/6です。
セナはこのマシンで開幕4連勝を達成しますが、モナコグランプリを境にルノー製V10エンジンを搭載したウィリアムズ・FW14を駆るナイジェル・マンセルの猛追を受けることになります。
そして1度はコンストラクターズランキング1位の座を譲るも、結果的にはマクラーレンが4年連続コンストラクターズタイトルを達成。
セナはマンセルとの接戦を制し、3度目のタイトルを手にしました。
マクラーレンMP4/6B
1992年シーズンの第2戦まで投入された、MP4/6の改良型です。
マクラーレンMP4/7A
ウィリアムズ FW14Bの圧倒的な速さを目の当たりにし、予定を前倒しして第3戦ブラジルグランプリから投入された最後のホンダエンジンを搭載したマクラーレンのマシンです。
しかし、アクティブサスペンションを搭載したウィリアムズのマシンには歯が立たず、コンストラクターズタイトルの座をついに明け渡すことになりました。
マクラーレンMP4/8
ホンダのF1撤退に伴い、フォードのカスタマーエンジンを搭載したマクラーレン。
セナにとっては、最終戦オーストラリアグランプリが最後の勝利となります。
ウィリアムズFW16
ホンダエンジンではなくなり、戦闘力を失ったマクラーレンからウィリアムズに移籍したセナ。
しかし、強みであったアクティブサスペンションなどのハイテク装備が禁止となり、苦戦を強いられたマシンです。
そして、第3戦サンマリノグランプリで時速300kmオーバーでコースアウトし、悲劇の死を遂げたのでした。
まとめ
こうしてまとめてみると、キャリアを通じて何度もチームを移籍しつつも、しっかりと戦績を残していることがわかります。
今とは時代が違うとはいえ、マシンが違えどその性能を最大限に引き出す事が出来る稀代のドライバーズであったことは間違いないでしょう。
Motorzではメールマガジンを配信しています。
編集部の裏話が聞けたり、最新の自動車パーツ情報が入手できるかも!?
配信を希望する方は、Motorz記事「メールマガジン「MotorzNews」はじめました。」をお読みください!