1990年初頭、日本はバブル景気真っ直中。今とは違い、日本企業のロゴがマシンのいたるところに貼られるなど、日本では空前のF1ブームが巻き起こっていました。マクラーレンホンダやティレルヤマハには片山右京が乗るなどエンジンサプライヤーとしても活躍を見せていた日本製のエンジン。そこに続けと様々なメーカーがF1用のエンジンを製作しましたが、バブルが弾けるとともに儚く散ってしまった幻の国産エンジンの数々をご紹介します。
掲載日:2016.11/6
いすゞ・P799WE
なんとなんとバスやトラックで有名なあのいすゞが開発していたエンジンです。
ディーゼルエンジンで有名ないすゞは、ガソリンエンジンでの技術を確かめる腕試しの意味で製作されたと言われています。
当初、F1マシンに搭載する予定はなく目的はあくまでテスト。そこで、当時のF1そしてグループCのレギュレーションであった、3.5リッターNAエンジンの製作を決定。
ガソリンエンジンを作るならば憧れである究極のV12を開発することに決まりました。
1990年1月に製作が開始されますが、参戦が目的ではないのでプロジェクトメンバーはわずか4名。
12月には第1号機が完成すると、翌年2月には火が入りベンチテストが開始されました。
本来はこのベンチテストでプロジェクトを終える予定だったものの、完成したエンジンはいすゞ技術者らの予想を大きく超える出来だったとのこと。
実際に、最初のベンチテストでは1万2000回転で約646psを発生。雑誌などで推定されていたライバルのエンジンと遜色ないポテンシャルを発揮します。
その後も改良が続けられ、最終的には1万3500回転で約765psまで引き上げられたと言われています。
ここで終わらせるのは勿体無い、実際にF1カーのシャーシーに載せてみたいと思ったいすゞの技術者たちはF1チームとの接触を試みます。
当時、乗用車部門でロータス・カーズと関係のあったことや、多くの日本企業がスポンサードまたはパートナーシップを結んでいたことから特に苦労することなく先方と話し合うことができたそう。
91年5月に名門チーム・ロータスのマシン102Bに搭載することが決定。
テスト走行に向けて周到に準備が進められますが102Bにはジャッド製V8エンジンが載っていました。
しかし前年度に載せられていたエンジンはランボルギーニ製V12エンジンであったため、多少の改良でいすゞ製V12エンジンを載せることができました。
そして91年8月のシルバーストーンでのテスト走行が行われました。
マクラーレン・ホンダ、レイナード・イルモアそしてロータス・いすゞの3チームが参加したテストで、いすゞエンジンはなかなかのポテンシャルを発揮します。
トップスピードに関してはマクラーレン・ホンダと遜色なく、初走行にしてセナの乗るマクラーレン・ホンダから6秒ほどの遅れでした。
しかし、この時80kgと言われる余分なバッテリーを付けてていてセッティングも切り詰めていない状態だったこと、一方のマクラーレンは当時は普通であった特殊燃料を使用していたこと、また予選用タイヤを履いてたかもしれないということを考えるとなかなか悪くないタイムと言えるでしょう。
いすゞはテスト走行を行ったことで目標達成と判断しプロジェクトを終了します。ロータスでのテスト走行に関しても、当初のベンチテストの予算を回したものであったために参戦に至ることはありませんでした。
もし参戦していたら…と考えると色々妄想が広がりますね。
そんないすゞの開発したP799WEは現在、当時ロータスのスポンサーを務めていたタミヤ本社に展示されています。
これが唯一現存が確認されている個体であり、97年には完成状態で7台、部品で2台分あったと言われる他のエンジンはどこにあるのかわかっていません。
それにしてもいすゞが本気で開発していた3.5リッターV12エンジンがあったとは…まさに幻の国産F1エンジンと言えるでしょう。
トラックで有名ないすゞがF1エンジンを作っていたなんて、今ではなかなか信じられない話ですよね。
しかし、次のページでは、軽自動車で有名なスズキ、チューニングメーカーで有名なHKS、そして、スバルのエンジンが登場します。