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当時のアツいバトルが振り返れる動画集
雨の富士スピードウェイで行われた1991年のJSS。
3番手スタートの土屋圭市選手は、スタートでスカイラインに挟まれ、あわやクラッシュという事態に陥るも、なんとか立て直しただけでなく、スカイライン2台を抑えたまま1コーナーに進入。
そのまま1コーナーを抜けたころにはトップに躍りでます。
走っているマシンの大半がスピンやクラッシュするほどのへヴィウェットなコンディションのなか、巧みなスライドコントロールで独走、優勝という見事なレースです。
こちらは1992年のJSSの映像。
3位からスタートした土屋圭市選手はスタートで見事にホールショットを決めてトップに。
しかし、旧レイアウトの富士スピードウェイは、Bコーナーを抜けて、最終コーナーからストレートまではひたすら全開。
エンジンパワーに勝るスカイライン(32GT-Rが出る前のグループA仕様)に再度オーバーテイクを許します。それでもスリップを使って、1コーナーでは再度トップに。
何度も何度も抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り返し、最後には3位フィニッシュ。
車内で「チクショー!」と叫ぶほどアツく、激しくバトルしたその姿に、多くのファンを感動させた名バトルです。
開催初年度のJSSの動画もご紹介します。
まだS12シルビアやサバンナRX-7(SA22C)が走っていたころのJSSは、富士スピードウェイも伝説の30度バンクが現存する時代。
レースは終盤までトップ3は動かないものの、4位争いはデッドヒートが続き、あの津々見友彦選手の「サザンウェイシルビアターボ 」と谷合昭治選手の「ムサシノ-RRCシルビアターボ」バトルに。
最後は谷合選手が逃げ切り4位フィニッシュ。谷合選手が43分31秒01、津々見選手が43分31秒54と、コンマ5秒差でフィニッシュというデッドヒートでした。
なお、トップチェッカーは、スーパーGTでドライビングスタンダードオブザーバーを務めている岡田秀樹さんです!
まとめ
近年のスーパーGT、GT300クラスは、JAF-GTマシンもFIA-GTマシンもマザーシャシーも完全なるレーシングカー。
市販車ベースのレースとは少々言い難いマシンが大半です。
そんな今だからこそ、この時代のように、過激にカスタム・チューニングされた市販車ベースのマシンによるバトルが観てみたいと思ってしまうのは自分だけでしょうか?
電子制御もなく、今ほど性能の高いタイヤも無いレースだからこそ、クルマの動き、走り方から見えるドライバーの姿に、憧れた人も多いはず。
今後、JSSのようにプライベーターたちが夢を背負って本気で戦える、新たなレースが現れることを期待してやみません。
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