F1で史上最多7度のワールドチャンピオンを獲得し、通算勝利数、ポールポジション数も歴代1位の記録を持つミハエル・シューマッハ。先日の記事では彼のF1キャリアを振り返ったが、今回は“なぜシューマッハはあそこまで強かったのか?”という秘密に迫っていこうと思う。これは諸説があるため、今回の内容に沿わない意見も出てくるかもしれないが、それだけたくさんの事をこなして、経験をしてきたからこそ、シューマッハはF1で大成功を収めたのだろう。

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シューマッハ第一優先体制

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彼がフェラーリに移籍してきた際。チームとしても氷河期から脱出するべく、全てにおいてシューマッハを優先する体制がとられていた。

一番最初に組んだエディ・アーバインの頃はチームオーダーは認められており、数多くのレースで彼がシューマッハの援護に回ることがあった。例えばアーバインが前にいる場合はポジションを譲ることはもちろん、シューマッハがトップにいて、2位にいる場合はわざとペースを後続との差を広げるなどのことも行なっていた。

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さらに、金曜フリー走行では新品タイヤを積極的に使用しデータ収集。それをシューマッハ側に共有することによって予選までタイヤを温存しておきながらデータが揃っているという状況が出来上がった。もちろんアーバインが使える新品タイヤも本来なら予選まで温存しておくべきなのだが、シューマッハが勝つためであれば、その選択肢も除外されていたのだ。

その体制は、チームメイトがルーベンス・バリチェロに変わって以降も続いた。

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そんな中で物議を呼んだのが2002年のオーストリアGP。レースは終始バリチェロがリード。シューマッハが背後につく展開だった。この年も開幕戦から勝利を重ね、まだシーズン前半ながら圧倒的に有利な状態。にもかかわらずチームはチームオーダーを出し、ゴール直前で順位を入れ替えたのだ。

これには、ファンもブーイングの嵐。FIAからも多額の罰金が課せられ、さらには翌年からチームオーダー禁止のレギュレーション変更まで行われることになった。

しかし、逆にここまでやったからこそ、あれだけの勝利を掴む土台が出来上がったと言う部分もあるかもしれない。

 

地道なテスト、練習を誰よりも多くこなす

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彼が一番強かった頃の2001年~2004年。当たり前のように毎回優勝していたが、その裏でどのチームよりも基礎的な部分を注力していたのが、彼とフェラーリチームだった。

特にミカ・ハッキネン(マクラーレン)とチャンピオン争いをくり広げた1998年から顕著に見られ始める。

例えばピットストップ練習。一番と言っても良いほどレースウィーク中に練習を重ねていた。さらにフェラーリではイレギュラー対応時の練習も欠かさなかった。

当時のルーティーン作業はタイヤ交換と給油だったが、もしアクシデントでフロントウイングの交換が必要になった時、何かしらの緊急作業が必要になった時などの対応も、短時間で終わらせられるような練習を常日頃からしていた。

シーズン序盤はマクラーレン勢に対してパフォーマンス面で劣っていた分、武器となったのはレース戦略。緻密なプランを立てて毎回レースに臨んでいた。それを実現させるには100%に限りなく近い精度のピット作業が必要だった。

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また、当時はシーズン中のプライベートテストも可能だったが、彼らは時間があれば、それを惜しみなく使っていた。例えばモナコGPは伝統的にフリー走行が木曜に行われ、金曜はF1の走行がない。基本的に休息日となるのだが、それでもシューマッハはイタリアの自社コース「フィオラノ」に移動してスタート練習などのテストを行なっていた。ここでのデータをモナコに持ち帰り、土・日のレースに反映させ、勝利を収めていた。

 

エンジニアのシミュレーション通りの走りを徹底

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シューマッハのフェラーリでの成功を語る上で、欠かせない存在なのが“参謀”ロス・ブラウン。2人はベネトン時代から組んでいたコンビで、シューマッハのフェラーリ移籍に伴い、自身も移籍を決断。誰もが驚くような戦略でライバルを圧倒してきた。

例えば、2ストップ作戦が情勢と言われている中で、3ストップ作戦を敢行。もちろん決して余裕がある作戦ではなく、ひとつ間違えれば大失敗に終わり表彰台も獲得できなくなるほどのリスクもあった。

それを実現するためには彼が考えた緻密なミッションを守る必要があった。例えば1回目のピットストップまでに後続に10秒の差をつけなければいけない…など。

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またレース中に何かしらのアクシデントがあって戦略を変更しなければいけなくなった時も、ドライバーに求められることが多い。

普通に考えれば実現不可能なのだが、その“不可能を可能”にしたのがシューマッハ。きっちりミッションを守って戦略通りの展開に持ち込み、勝利を手にしていた。

中でも一番語られているのが2004年のフランスGP。なんと前代未聞とも言える4ストップ作戦を敢行。それもきっちり決めて優勝を飾っている。

 

とにかく勝つことにこだわる

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どんな時でも勝利への執念が強かったシューマッハ。そのためには、出来ることは何でもやり、こだわるところはとことんこだわっていた。

一説によると、F3などジュニアフォーミュラ時代からドライバーズミーティングでは一番質問をし、細かいところまでレギュレーションの確認を行っていた他、全日本F3000にスポット参戦した時も、当時現地でブリヂストンタイヤの担当をしていた浜島裕英氏に、日が暮れてもタイヤについて質問攻めをし、翌日からの自らの走りに役立てていたと言う。

またレース中のバトルでも、勝ちへのこだわりが強く出た結果、物議を呼んだレースも数多くあった。

©鈴鹿サーキット

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1990年のマカオF3ではハッキネンとの直接対決で、ギリギリまでブロックした結果接触。ハッキネンはその場でリタイアとなりシューマッハはリアウイングを壊しながらも走りきり優勝した。

1994年の最終戦オーストラリアGP。デーモン・ヒルとのチャンピオン争いでも2台が交錯することになる。レース前半の36周目、トップを快走していたシューマッハだが、コースオフしスローダウン。そこに2番手のヒルが迫り右コーナーでインから抜きにかかろうとした。これで先行を許してしまえばタイトルは昼の手に渡ることもあり、必死でブロック。その結果2台が接触してしまい、シューマッハのマシンは飛ばされるような形でタイヤバリアにクラッシュ。そのままリタイアとなった。

これで初チャンピオンのチャンスが巡ってきたヒルだが、接触の際にサスペンションアームにダメージを受けており、ピットに戻ってリタイア。結果的にシューマッハが初チャンピオンを獲得することになったが、後味の悪い終わり方になってしまい、接触時のことについても議論を呼ぶことになった。

1997年の最終戦でも、チャンピオンがかかった1戦でまたもアクシデントが起きる。

トップを走っていたシューマッハに、ジャック・ビルヌーブ(ウィリアムズ)が接近。先にチェッカーを受けた方がチャンピオンになるという僅差の状況。残り20周に迫る48周目に、バックストレートからヘアピンのブレーキングで並びかけてきたビルヌーブに対し強引にブロック。結果、シューマッハがコースオフしリタイア。ビルヌーブは終盤ペースを落とすものの3位でチェッカーを受けチャンピオンを獲得した。

レース後、FIAは「チャンピオンが決定するという最高の舞台で、それを台無しにする行為」として、彼のシリーズランキングを剥奪する厳しい裁定を下した。

いずれにしても、印象のよくない内容ばかりだったが、そこまで勝つこと、チャンピオンを獲得することに強いこだわりを持っていた結果だったのだろう。

そういった経験を経て、2000年以降は無敵に近いほどまでの強さになっていくのだった。

 

まとめ

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よく「天才は1%と才能と99%の努力から生まれる」という言葉があるが、史上最多となる7度のチャンピオンを成し遂げたシューマッハも、実は圧倒的な強さを見せていた裏で、様々な努力と失敗、経験を積み重ねていた。

実は、これはアイルトン・セナにも同じことが言える。彼もレース前は人一倍コースの下見を行い、勝つために時には強引な走りを見せる場面もあった。

しかし、共通して数々の名勝負を生み出し、多くのファンに愛され、やがては当時のF1を代表するドライバーになっていたのだ。

 

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