現在、トヨタのワンメイクレースと言えばヴィッツレースと86 / BRZレースですが、ヴィッツレースがスタートした当時には、その上級レースとしてスポーツセダン「アルテッツァ」によるワンメイクレースが行われていました。FRスポーツによる入門レースとして話題を生み、6年間にわたって開催されたアルテッツァワンメイクレースとは、どのようなレースだったのでしょうか。
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デビュー前は「AE86再来の小型FR」と噂されたアルテッツァ
トヨタ アルテッツァってどんな車だったかな?と思い出せない方もいると思うので、まず車両のご説明から。
1990年代、日本では自動車のFF(フロントエンジン・前輪駆動)化が進み、ある程度大きな車やスポーツカーでもFF車が増える中で、FR(フロントエンジン・後輪駆動)車の減少が目立っていました。
スポーツカーや高級車はともかく、実用性の高いクローズドモデルのFR小型スポーツとなると、当時残っていたのは日産 シルビアくらいです。
そこで、実用性の高い乗用車としてもスポーツカーとしても使えるFRのスポーツクーペ、あるいはスポーツセダンを求める声が高まり、トヨタがそういう車を開発中とのうわさが1990年代半ばに話題になっていました。
カリーナEDがモデルチェンジでFRスポーツセダンになるらしい、いやいやAE86の再来と言える小型FRスポーツだなど、色々な予想が飛び交いましたが、その正体は1998年にデビューしたアルテッツァだったのです。
基本的には当時の小型プレミアムサルーン「プログレ」をスポーツセダンとして仕立て直したもので、海外では初代レクサス ISとして販売。
当時レクサスの展開がなかった日本では、トヨタブランドからアルテッツァの名で販売され、ユーザーの期待に応えてFRエントリースポーツとしての役目も期待されました。
そのためISとはエンジンラインナップが異なり、同じ2リッターでも直6DOHCの1G-FEの他、4気筒スポーツDOHCエンジン、3S-GE搭載モデルを設定。
この時期既に旧式化の否めなかった3S-GEですが、吸気側だけでなく排気側にも可変バルブタイミング機構を設けたVVT-i仕様により220馬力を発揮する最終進化形で、3S-G特有のメカニカルノイズを盛大に響かせながら軽く吹け上がり、なかなかパワフルなものでした。
フルノーマルでスポーツ走行を行うには、ボディ剛性がやや不足している面もありましたが、補強や軽量化、サスペンションにもしっかり手を加えれば、小気味良い走りをするFRスポーツセダンだったのです。
ネッツカップ上級カテゴリー「アルテッツァレース」開幕!
そのアルテッツァでワンメイクレースが始まったのは2000年の事です。
ナンバー付きのヴィッツで初心者から楽しめるヴィッツレースの上級カテゴリーとして、ネッツカップシリーズで開催されました。
ヴィッツレースは、それまでレースに憧れるだけで経験のなかったサンデードライバーから、上級者まで幅広く門戸を開放していたので、参加希望者が殺到。
予選通過者レースと敗者レースが別に行われるほどの盛り上がりを見せていましたが、それとは若干性格が異なります。
ヴィッツレースの参戦車両は、あくまで公道走行可能なFFのヴィッツに対し、アルテッツァレースは、“JAF N1規定”に沿ったナンバー無しの本格レース仕様でFRのアルテッツァを使うため、まず公道を自走してレースに参戦、そのまま自走して帰るという手軽さはありませんでした。
さらに、テールを軽く滑らせながらコーナリングで並び、つばぜり合いを演じる「サイド・バイ・サイド」はFR車ならではの醍醐味と言われ、排気量も2倍と速度域が高いことから、その迫力や緊張感はヴィッツレースとは全く異なるものでした。
アルテッツァレースのレース車両は、RS200がベース
その参戦車両は3S-GEを搭載したRS200の6速MT車をベースとしています。
車両規則はJAFのN1レース車両規定に準じており、改造範囲はかなり制限されているものの、当時のN1耐久(現在のスーパー耐久)に出場するマシンとほぼ同じレギュレーションで、TRDからレーシングモディファイが施されたコンプリートカーが320万円で販売されていました。
この他にも、レギュレーションに合致していれば通常のアルテッツァRS200をオリジナルでレース仕様にしたマシンでも参戦可能でした。
サスペンション、ブレーキなどは元より、ガッチリしたロールケージも組まれ、ボディ剛性もしっかり補強されています。
アルテッツァレース終了後の2007年には、これをベースにしたマシンでTeam Gazooがニュルブルクリンク24時間レースを戦い、完走しています。
しかしあくまで市販車ベース、それも1980年代前半に登場以来、延命に延命を重ねていた3S-GEエンジンだけあってエンジンブローやミッションブローも多発し、繊細な扱いが必要だったのも事実です。
ヴィッツレースからさらに上のレースへの登竜門だった
元より上級者向けのアルテッツァレースでしたが、ヴィッツレースで腕を磨いたドライバーのステップアップ先であり、さらに上のレースに上がるための登竜門でもありました。
しかし最後の2006年を除き、シリーズチャンピオンになると翌年以降出場禁止!という独特のレギュレーションがあったため、本格レース車両を使うとはいえ、やはりエントリーレースとしての側面が強いレースでもありました。
このアルテッツァレースは、SUPER GTやD1グランプリなどで活躍するレーシングドライバー、谷口 信輝選手など多くのドライバーを輩出しましたが、アルテッツァの販売が終了した2005年で一旦終了となります。
そして継続要望の声に応え、「キング・オブ・アルテッツァ」として2006年の1シーズンのみ開催されたのを最後に、廃止されました。
その後2013年に86 / BRZレースが始まるまで、ヴィッツ以外のトヨタ車によるワンメイクレースは、一時途絶えることになったのです。
まとめ
期待の2リッター小型FRスポーツ!として登場したアルテッツァは、市販車としてはやや期待外れに終わった面が強かったものの、ワンメイクレース用として大きな実績を残しました。
あくまで販売促進用としての意味合いが強かったのか、ベース車が販売終了するとアルテッツァレースも無くなってしまった事は残念でしたが、現在に続くトヨタとGazooのレース活動に貴重な経験を残し、多くのレーサーを輩出した重要なレースとなったのです。
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