大排気量マシンに真っ向勝負!グループCで活躍した「3S−G改」

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ラリーでの開発が打ち切られた後、3S−G改はレースの舞台でそのノウハウを引き継ぎ、開発が進められていきました。

 

グループCプロトタイプマシンで争われる「全日本耐久選手権」に加え、世界選手権の1戦である「WEC-JAPAN」にスポット参戦していたトムス。

トヨタの開発強化により、従来搭載していた「4T−G改」から3S-G改へとパワーユニットを切り替えることになったのです。

当時のWECは、水平対向2.8Lターボを搭載するポルシェや、7.0L V12を積むジャガーなど明らかに格上なエンジンを積んだライバルが国産勢を圧倒していた時代でした。

しかし、富士スピードウェイで行われた1986年のWEC-JAPAN予選、3S−G改を搭載しデビューした「トムス86C-L」は、これらのライバルを圧倒する驚異的なトップタイム「1:14:875」を記録し鮮烈なデビューを飾ったのです。

残念ながら、このタイムはTカーによるタイムということで無効となりますが、その速さはまさしく本物でした。

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グループC参戦マシンはその後「トヨタトムス87C」へ進化、3S-G改とともに完成の域に達します。

この時のパワーは、シングルターボで実に670psにまで達していました。

しかし1988年に入ると、燃費面で有利なV8ターボユニットが開発されることになり、3S-G改はグループCの舞台から去ることになるのです。

 

舞台はアメリカ・IMSAへ。更に進化を続けた「3S-G改」

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続いて3S-G改の活躍の舞台となったのは、アメリカの「IMSA GTP」でした。

グループCとは異なるレギュレーションのもと、よりハイパワーなマシンが火花を散らすカテゴリーです。

ダン・ガーニー率いる「オールアメリカンレーサーズ」とジョイントを組んだトヨタ(TRD USA)は、1989年より3S-G改 搭載のプロトタイプマシンを投入。

ブースト4kgで760psという途方もないスペックを武器に、1992年と1993年に「イーグルMKⅢ」でチャンピオンの栄冠を手にしています。

 

世界最高峰のヒルクライム「パイクスピーク」でもコースレコード樹立

出典:https://www.youtube.com/watch?v=zEjRq-VGjKw

 

IMSA GTPも1993年シーズンで終焉を迎えると、3S-G改は同じくアメリカで開催される「パイクスピークインターナショナルヒルクライム」へと更に活躍の場を移します。

山頂が4301m、標高差1439メートルを11分足らずで駆け抜ける、世界一過酷なヒルクライムとして知られるこのイベント。

トップカテゴリーの アンリミテッドクラス にエントリーする「セリカ・スーパースポーツターボ」の心臓部としてiMSA GTP用の3S-G改が転用されたのです。

名前はセリカですが中身はパイプフレーム構造を持つ別物で、気圧の低い場所でダウンフォースを得る為の巨大なリアウィングが目を引きます。

搭載された3S-G改のパワーは遂に900psにまで及び、デビューイヤーでもある1994年にはロッド・ミレンのドライブでコースレコード樹立&総合優勝という快挙を成し遂げました。

 

Photo by Brian Snelson

その後ミレンのマシンはトヨタ・タコマへ変更となりますが、エンジンはそのまま熟成が続けられ、1999年まで5年間パイクスピークの舞台で戦い続けたのです。

 

市販ベース「3S-GTE」はWRC・グループAで熟成

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3S−G改が実質的に市販車と別物のエンジンと化していたのに対し、前述のグループB終焉後のWRCで活躍したのは、グループA規程に合わせて開発された「3S-GTE」型ターボユニットでした。

市販車からの大幅な改造が許されないグループAは、まさに市販エンジンの真価が問われる舞台といえます。

トヨタはこのエンジンを搭載するST165型セリカGT-Fourでカルロス・サインツが、強豪ランチア勢を抑え1990年のドライバーズチャンピオンを獲得したのです。

 

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更に1992年に投入されたST185型セリカGT-Fourは、フレッシュエア・システム(ターボラグを防止する機構)の搭載などにより更に戦闘力がアップします。

そして、1993年と1994年にドライバーズ・マニュファクチャラーズのダブルタイトルを手中に収めることに成功するのです。

その後のST205型セリカを経て、1997年シーズン中に登場した「カローラWRC」は新たに導入された「WRカー規定」に則って開発が行われました。

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市販車のファミリーとは別エンジンの搭載が認められたことにより、コンパクトなハッチバックボディに熟成極まった3S−GTEを、なるべくエンジンルーム後方に低く搭載した、正に「理想的なラリーカー」に仕上がっていました。

トヨタのWRC活動が1999年いっぱいで終焉を迎えた為、わずか2年のフル参戦となりましたが、最終年には見事マニュファクチャラーズタイトルを獲得しています。

このカローラWRCはその後世界中のプライベーターの手にも渡り、何とその一部は今なお現役で戦い続けているというから驚きです。

 

JGTCスープラにも搭載!小さな「3S-GTE」が選ばれた真の狙い

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WRCで培われた市販ベースの3S-GTEはその後、日本の「全日本GT選手権(JGTC)」に姿を変え、開催されました。

市販車では3.0L直列6気筒を搭載するスープラですが、1994年にJGTCに参戦を開始した当初から、そのエンジンにはIMSA仕様の「3S-G改」を搭載していました。

一見デチューンとも取れるエンジン選択にも見えますが、ここには大きな狙いがありました。

「排気量を絞れば最低車重を下げられる」というレギュレーション上の狙いに加え、全長が短い為エンジンをフロントアクスル後方に収めることが可能となり、重量配分の面でも大きなメリットとなったのです。

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しかしIMSA仕様のエンジンはターボラグが激しく扱いづらく、またパーツの枯渇により1997年以降スープラのエンジンは市販ベースの3S-GTEに変更。

WRCで培われたフレッシュエアシステムや、ウォーターインジェクションといったメカニズムは、JGTCスープラへの搭載によって更なる熟成が進んでいきました。

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それが実を結び、2001年には「auセルモスープラ」がトヨタ勢初のGT500制覇を果たし、翌2002年も「エッソウルトラフロースープラ」がGT500チャンピオンの栄冠に輝いています。

2.0L自然吸気で300PSオーバー!JTCCを戦った「3S-GE」

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ここまでご紹介してきたのはすべてターボエンジンでしたが、3Sの真骨頂は自然吸気の「3S-GE」と考えている人も少なく無いはずです。

それを強烈に印象づけたのが、「全日本ツーリングカー選手権(JTCC)」でのトヨタ勢の活躍ではないでしょうか。

市販のエンジンブロックとシリンダーヘッドを用いる以外、クランクシャフトやピストンといったパーツはすべて改造が認められており、正にチューナーの腕が問われるレースでした。

加えて「排気量は2000cc以下に限る」というレギュレーションも、3S-Gの為にあったと言って過言では無いかもしれません。

1994年にシーズン発足後、「コロナエクシヴ」や「カローラ」に加え、最終的には「チェイサー」を投入。

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搭載された3S-GE型エンジンは、8500rpmまでという制限を受けながらも300psオーバーを叩き出す驚異のハイメカチューンが施されていたのです。

そのポテンシャルを武器に1994年とシリーズ最終年である1998年に、トムスの関谷正徳選手がドライバーズチャンピオンに輝きました。

 

まとめ

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レースの世界で鍛え上げられた4気筒ツインカムの名機「3S-G」シリーズの進化の歴史。いかがでしたか?

登場から20年の時を経ても第一線で戦い続け、進化を続けたそのポテンシャルは、同クラスの他エンジンと比べても異次元のものだったと言えるでしょう。

そしてレースやラリーでのノウハウが、市販のスポーツカーにフィードバックされたことは、言うまでもありません。

そのサウンド、そのパワー。第一線からは退いた今でも、多くのモータースポーツファンにとって3Sエンジンは忘れられない特別な存在であり続けているのです。

 

参考文献 Racing on No.385「レーシングエンジン─究極のエンジンパフォーマンスを求めて」

 

 

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