アメリカ、カリフォルニア州出身の元レーシングライダーで、14歳でアマチュアレースにデビュー。母国アメリカのAMAグランドナショナル選手権において史上最年少(21歳)でチャンピオンを獲得。その後、ヤマハワークスライダーとしてWGP(ロードレース世界選手権)に参戦し、初年度から3年連続で500ccチャンピオンという偉業を成し遂げ、国際モータースポーツ・MotoGP共に殿堂入りを果たした、全てのライダーの憧れ”ケニー・ロバーツ”を知っていますか?
今回はそんな”キング・ケニー”ことケニー・ロバーツ選手をご紹介します!
ケニー・ロバーツ:プロフィール
名前:ケニー・ロバーツ(Kenny Roberts)
愛称:キング・ケニー
生年月日 | :1951年12月31日 |
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出身地 | :アメリカ |
チーム | :YAMAHA |
1978年にWGP500ccクラスに初参戦し、1980年までの3年間、連続してタイトルを獲得。
その強さから「キング・ケニー」と称され、全てのライダーの憧れの存在となりました。
ケニー・ロバーツ:レース戦歴
1974年:ロードレース世界選手権(WGP)デビュー、WGP 250ccクラス 19位
1978年:ロードレース世界選手権(WGP)250ccクラス 4位
ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス チャンピオン
1979年: ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス チャンピオン
1980年:ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス チャンピオン
1981年:ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス 3位
1982年:ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス 4位
1983年:ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス 2位
現在のロードレースの主流である「ハングオン」「ハングオフ」と呼ばれるコーナリングスタイルを初めてWGPに持ち込んだのもケニー・ロバーツだと言われており、「リーンウィズ」でコーナリングをしていた他のライダーとのコーナリングスピードの差は歴然でした。
見る人全てを魅了したケニー・ロバーツのライディング
現在のMotoGPでは考えられないような荒れた路面をなめらかに、滑るように走っていくキング・ケニー。
それまでのライダーとは全く違う、彼のライディングスタイルを見た人たちは口をそろえて「世界一美しいライディング・フォームである」と絶賛したそうです。
1983年WGP引退→監督へ
1983年にフレディ・スペンサーと歴史にのこる激戦を繰り広げ、僅差でWGP王座を逃したケニー。そして、この年を最後にWGPライダーを引退する事になります。
引退理由は怪我やライダーとしての限界ではなく、WGPチャンピオンというタイトル獲得をストイックに目指し続けた結果、長年の夫婦関係の悪化による離婚調停により、子供の親権獲得の為というプライベートな問題だと言われています。
WGPの現役は引退したものの、1985年には現役WGPライダーであり、500ccクラスで3連覇を達成する事になる伝説の日本人ライダー平忠彦とペアを組み、鈴鹿8時間耐久レースに出場します。
マシントラブルによるリタイアという残念な結果に終わりましたが、首位独走という圧倒的な速さを披露してファンを熱狂させました。
また、現役引退後はヤマハワークスチームの監督としてチームロバーツを率い、ウェイン・レイニーとジョン・コシンスキーを世界チャンピオンに育て上げました。
そして、’97年からはヤマハから独立。自身が主催するチームKRを立ち上げ、オリジナルマシンでMotoGPに参戦した。
まとめ
彼の長男であるケニー・ロバーツ・ジュニアもWGP500ccクラスを制覇しており、WGP、MotoGPを通じて、唯一の親子二代チャンピオンでもあるキング・ケニー。
彼のレーシングライダーとしての業績は、輝かしいレース戦歴だけではありません。
現在では主流となっている、リアタイヤを積極的に滑らせて曲がるスライドコントロール(リアホイールステアリング)走法とハングオフスタイルを定着させた事。
そして、彼の活躍に憧れた、フレディ・スペンサー、エディ・ローソン など’80年代を代表するアメリカ人ライダーのWGP進出を促した事なども、その1つだと思います。
そして現在も、イベントレースにゲスト出場したり、昨年(2015)のMotoGP日本グランプリに登場し会場を盛り上げるなど、モータースポーツ業界に貢献し続けているロードレース界のヒーローなのです。
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