驚速のポールポジション R90CK R90CP

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

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1990年にルマンを戦ったマシンがR90CKとR90CPです。日本で製作されたマシンをR90CP、英国のローラで製作されたマシンをR90CKと名付けられました。

この年はNISMO(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)、NME(ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ)、NPTI(ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー)から5台体制でルマンに臨みました。

出典:http://www.nogripracing.com/

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NMEのR90CKが日本車初のポールポジションを獲得。

このマシンは1200馬力とも言われる一基だけの予選用エンジンを搭載したマシンで、3分27秒02、2位以下に6秒以上も引き離す驚異的なタイムでポールポジションを獲得しました。

その時の映像がこちら。

また、ニスモからエントリーしたR90CPが予選3位、決勝5位と健闘。

3つのワークスチーム、5台体制で臨みましたが、チーム間のコミュニケーション不足が原因で結果が出せなかった日産は、1991年以降のルマン参戦を取りやめることになったのです。

 

世界に一台だけのGT-R NISMO GT-R LM

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

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1990年代半ばからルマンではGT1という車両規定のマシンで優勝争いが繰り広げられました。

GT1規定では、公道走行できる市販車を最低1台生産し、ナンバー登録することが求められていたのです。

日産は1995年にルマン参戦を再開、市販車のスカイラインGT-Rを改造しただけでは上位入賞が望めなかったため、ルマン専用車両NISMO GT-R LMを製作。

英国で一般車両として登録しルマン出場の公認を得ました。

市販のスカイラインGT-Rは4WDですが、NISMO GT-R LMはRWDに改造されているのが特徴です。

このマシンに搭載されるために、専用のチューンを施されたRB26DETTエンジンは650馬力以上の最高出力を誇りました。

 

堅実なマシン作りで抜群の安定性 R390

出典:http://www.renaissance-models.com/francais.htm

1998年仕様(出典:http://www.renaissance-models.com/)

1995年、1996年とNISMO GT-R LMで戦った日産。これを引き継ぐマシンとして開発されたのがR390。

1997年はコミュニケーションの問題や冷却のトラブルで結果は残せませんでしたが、前年型マシンの弱点であったギアボックス冷却の改善、ロングテール化などの空力改善、ウィリアムズF1チームからTCSやABSなどを導入するなどし、性能を向上。

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1997年仕様(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/)

1998年には星野一義、鈴木亜久里、影山正彦がドライブするR390が総合3位に入賞し、純日本人ドライバーチームが初めて表彰台に上がりました!

この年日産から4台がエントリーしていましたが、全て10位以内でのフィニッシュを達成しています。

 

ルマンの悔しさをバネに R391

出典:https://www.calsonickansei.co.jp/index.html

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1999年に日産がルマンに送り込んだマシンがR391です。

この年は2台体制で臨みましたが、23号車が予選でクラッシュし、決勝出場を断念、22号車もエンジントラブルとルマンでは残念な結果に終わってしまいます。

しかし、同年に行われた「ル・マン富士1000km」ではEコマス、本山哲、影山正美組のドライブする23号車が意地を見せ、優勝を獲得。

600馬力オーバーのV型8気筒DOHCエンジン(VRH50A)をミッドに搭載しながら車重900kg程度という恐ろしいスペック。

ちなみにこのエンジン、ベースは日産インフィニティのモノだというから、なお驚きです。

 

厳密に言えば参戦していない?日産・デルタウイング!

出典:https://www.youtube.com/

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2012年、ルマン24時間に、日産からゼッケン0を付けた黒い車体が章典外で参戦すると発表されます。

その車体は、槍のような形をしていて、よく見ると3輪車のようなルックス。それこそが、日産デルタウイングです。

元々はアメリカのデルタウイング・レーシング・カーズが制作したプロトタイプレーシングカーで、インディカーシリーズなどへの参戦を検討していた車体でした。

日産は、この車体に市販車ジュークの1.6リッター直列4気筒直噴ターボエンジンをチューンして搭載。

パワーはおよそ300馬力程度でしたが車体重量が450kg程度と非常に軽かったため、ルマンでも最高速は380km/hは出ると判断していました。

しかし、満を持して登場したルマンでは、マシンの熟成が進んでおらず、LMP2クラスの下位タイムで走行。

レースが始まって6時間程度経った頃、トヨタTS030と接触し、あえなくリタイヤ。

ドライバーはミハエル・クルム選手と本山哲選手、そしてマリーノ・フランキッティ選手の3人でした。

 

 

16年ぶりのカムバック 日産・GT-R LM NISMO

出典:http://www.nissan-motorsports.com/JPN/index.html

そして2015年、日産がルマンに帰ってきた!R391以来、16年ぶりに作られた車両で、フロントエンジン、他のプロトタイプとは違うロングノーズの車体になっています。

他のメーカーと比べても一線を画したデザインですよね。空力の改善と徹底した低重心化を狙って駆動方式をFFとし、この形になったのだとか。

ルマンには3台体制で挑戦。

そのデザインから非常に注目を集めましたが、トップから110%落ちのタイムを上回ることができませんでした。

決勝でも唯一22号車がなんとか走りきりましたが、ハイブリッドシステムの信頼不足でエンジン出力だけで走りることに。

その後、翌年に向けて車両開発に専念することとなりますが、残念ながら2016年のルマン、WECの参戦は断念されました。

 

まとめ

 

日産がルマンへ送り出したマシン達、いかがでしたか?

1986年から始まった日産のルマン24時間への挑戦、ルマンで優勝することはまだできていませんが、我々の記憶に残る名車達を生み出し、速さを証明してきました。

今まで続いてきた日産のルマンへの挑戦、2015年の成績で止まってしまっていますが、こうやって日産の名車達を改めて振り返ると、近い将来に日産がルマンで活躍する瞬間を観たい。そう思わずにいられません。

その日が来ることを願うばかりです!

 

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