1923年にフランスのルマン市で初開催されF1のモナコGP、アメリカのインディ500に並び世界三大レースと呼ばれるルマン24時間レース。この世界最高の舞台に1986年からワークス参戦を開始した日産。以来度重なる挑戦を続け、日本のモータースポーツを牽引してきました。そんな日産が送りだした名マシン、モンスターマシン達をおさらいしましょう!

Photo by Tomohiro Yoshita

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ルマンでの戦いはここから始まった!R85V R86V

出典:http://www.nismo.co.jp

日産R86V(出典:http://www.nismo.co.jp)

1986年、日産がワークスとして初めてルマンに参戦したのがこのR85VとR86Vの2台です。

3000ccのV型6気筒OHCツインターボの680馬力以上のR85Vはデビュー2戦目の鈴鹿1000kmで早くもポールポジションを獲得。

3戦目のWEC-JAPAN(富士スピードウェイ)では星野一義選手のドライブで初優勝、4輪としては日本人初の世界選手権ウィナーとなりました。

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日産R85V(出典:http://www.nismo.co.jp/)

86年のルマンにはアマダがメインスポンサーのR85Vに長谷見昌弘選手、ジェームスウィーバー選手、和田孝夫選手組がワークス初参戦ながら284周を走行して16位完走。

日本ラジエーター、現カルソニックカンセイがメインスポンサーのR86Vに星野一義選手、松本恵二選手、鈴木亜久里選手組がドライブし、決勝64周でリタイア。

しかし帰国後の全日本耐久選手権では4戦中3戦でフロントロウを独占する速さを見せました。

 

ルマンを意識するきっかけに R87E

出典:http://www.calsonickansei.co.jp

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R87Eは3.0リッターV型8気筒ツインターボエンジン、VEJ30を搭載したグループCカーです。

1987年のJSPC開幕戦で星野一義選手が、予選2位。

続く2戦目で長谷見昌弘選手がポールポジションを獲得するも共にリタイア。

この年のルマンもリタイアに終わり、この結果により日産はルマンに本腰を入れはじめるのです。

 

初めてのフルワークスでの参戦 R88C

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Main_Page

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R88Cは前年のエンジン、VEJ30を大幅に改良したVRH30を搭載し750馬力以上を発生。

その他にもホイルベースを長くし安定性を向上させ、独自のカウルを採用し進化しました。

ニスモがメンテナンスを担当、初めてフルワークス体制になったのが、このR88Cなのです。

日産にとって3年目のルマンでは14位完走、富士500マイル、鈴鹿1000kmで連続で3位表彰台を獲得します。

のちのR90シリーズの礎となるマシンでもあります。

 

ルマンを強く意識した一台 R89C

出典:http://www.taringa.net/

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1989年、前年までのマーチ製のシャシーからローラ製に変え、エンジンも3500ccのVRH35型(V型8気筒DOHC)を採用し、800馬力を超えるモンスターマシンがR89Cです。

ルマンを意識していたため車体は全体に低いシルエットを持ち、リアタイヤにはカバーが掛けられて空気抵抗の低減を徹底。

テレメトリーシステムを本格導入させたのも特徴です。

ルマンにはNME(ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ)、NISMO(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)、エレクトラモーティブが一台ずつ参戦しましたが、3台ともリタイア。

ルマンだけでなく、1989年から1990年のJSPCにも参戦しました。

 

ここまで、1980年代の日産のルマンを振り返ってきました。

次のページからは90年代、R390やGT-R、そしてデルタウイングも登場します!