ランチアといえば現在、フィアットグループの高級車部門の製作を担っていますが、1970年代中盤までのフィアットとランチアは、それぞれ独自のモータースポーツ部門を構え、ライバルチームとして世界ラリー選手権に参戦していました。しかし1978年、フィアットとランチアのモータースポーツ部門にとって大きな情勢の変化が起こり、その結果ラリー史に残る名車『ランチア・ラリー037』が誕生します。

 

ランチアラリー037 / 出典:https://www.favcars.com/wallpapers-lancia-rally-037-gruppe-b-1982-83-85575.htm

 

アバルト・124ラリーとランチア・ストラトス

 

フィアット・アバルト124ラリー/ 出典:https://www.favcars.com/fiat-abarth-124-rally-1972-1975-pictures-138752-1024×768.htm

 

1949年に創業の”アバルト”は、フィアット車をベースに”スペシャリティーカー製作”を行うメーカーとして、その高い技術力から信頼の在るブランドを確立していました。

しかし1971年、アバルトはフィアットの傘下に入り、フィアットのスポーツカー製作とモータースポーツを担当する部門として再構成されます。

そして60年代後半からEWC(世界耐久選手権)に参戦していたフィアット 124スポルト スパイダーを、あらためてアバルトが手掛け、『フィアット アバルト124ラリー』を誕生させると、それまでの成績を上回るパフォーマンスを発揮。

1973年のポリッシュ ラリー(ポーランド)での優勝をはじめ上位入賞を重ねて、見事同年のシリーズランキング2位を獲得します。

そんな124ラリーはアバルトによってボディの軽量化、足周りをストラットに変更などが施され、エンジンは最終的に210馬力までチューニングされました。

そして翌1974年、同じフィアットグループであるランチアから『ランチア・ストラトス』がラリーシーンに登場し、地元サンレモでのデビューウィンを飾ります。

また、ポルトガルラリーでは、『フィアット・アバルト124ラリー』が勝利するものの、続くリデューレイクス、コルシカラリーでは『ランチア・ストラトス』が勝利。

シーズンが終わってみればランチア・ストラトスがメイクスタイトルを獲得し、親会社フィアットのアバルト124ラリーが、シリーズランキング2位という皮肉なリザルトとなってしまいました。

 

ランチア・ストラトス / 出典:https://www.favcars.com/images-lancia-stratos-gruppo-4-1972-75-337692-1024×768.htm

 

そんなランチア・ストラトスは、”ベルトーネ デザイン”のモノコックシャーシにフェラーリ ディーノのV6エンジンを搭載。

特にターマック仕様の24バルブ ユニットは”スプリントバージョン”と呼ばれて最終的には、270馬力以上発生するモンスターエンジンと化していました。

また、ストラトスは1975年、1976年にもそれぞれ4勝をあげて3年連続タイトルを獲得。

世界のラリーシーンでは、正に敵無しの存在となっていたのです。

一方の、フィアット・アバルト124ラリーは善戦するものの、1975年に再びシリーズランキング2位を達成するに留まり、その結果ランチアの親会社であるフィアットのラインナップカーが強くなければならないという思考も高まって、フィアットの市販モデルベースのニューマシン開発がすすめられることになりました。

そして、フィアットの威信をかけてアバルトが手掛けた1台の”グループ4マシン”が、1976年のジュネーブショーに登場するのです。

 

FIAT 131 アバルト・ラリー

 

FIAT 131 アバルト・ラリー/ 出典:https://www.favcars.com/fiat-abarth-131-rally-corsa-1976-1981-pictures-138771-1024×768.htm

 

ランチア・ストラトスが3年連続チャンピオンを獲得した活躍は、残念ながら市販車販売の増加などには繋がらず、フィアットグループには経済的な恩恵の少ないラリーでの栄光となっていました。

そこで、市販モデルベースでラリーカーを製作してイメージ戦略から市販車増販につなげたいという思惑で開発が進められ、’76ジュネーブショーでデビューしたのが『FIAT 131 アバルト ラリー』です。

FIAT 131 アバルト ラリーは、131ミラフィオーリの2ドア版をベースに、アバルトのお家芸であるエンジンチューニングやサスペンションのセッティングが施されました。

ちなみに”グループ4”レギュレーション規定のホモロゲーション取得に必要な生産台数400台は、デザイン工房ベルトーネで製作されてクリア。

速やかな実戦投入がなされたのです。

そして、実戦テストを兼ねて参戦した’76の1000湖ラリーで優勝するなど、軽さを武器にハイパフォーマンスを見せつけました。

その後1977年に、シリーズ11戦中6勝を達成。

翌1978年も5勝を挙げて見事2年連続チャンピオンの栄光を得て、フィアットは過酷なラリーフィールドでのボディ剛生やシャシー性能の高さを証明する事に成功。

そんな中、1978年にアバルトとランチアにとって大きな”情勢の変化”が訪れることとなりました。

 

ランチア・ラリー037

 

ランチア・ラリー037 / 出典:https://www.favcars.com/images-lancia-rally-037-gruppe-b-1982-83-85577.htm

 

1978年、ランチアのモータースポーツ部門が解散してフィアットのモータースポーツ部門である『アバルト』に統合されるという事態が発生します。

そんなラリーフィールドの同じグループでのライバル組織がひとつに統合されるという事態に驚きと期待する声が交錯する中、いち早く4WDシステムを採用して圧倒的な速さを見せつけていたライバル車”アウディ クワトロ”に対抗する為のマシン製作が開始されました。

1982年から世界ラリー選手権は、グループBに移行されることが決定していること等から、そのレギュレーションに合わせてのマシン製作指令を受けた『アバルト』は、戦闘力のあるラリー専用車両を『ランチア』ブランドで開発することになったのです。

そして、グループB規定で開発が進められたアバルト開発コード『SE037』は、あえて4WDシステムを採用せずに、ランチア・ストラトスで実績のあるミッドシップマウントの後輪駆動で設計されて、”ベータ モンテカルロ”のセンターモノコックに前後チューブラーフレームをつなぎ合せて構成。

ハンドリングがピーキー過ぎたストラトスの反省を踏まえて、ホイールベースは少し長めで開発が進められました。

また、サスペンション形式は4輪ダブルウィッシュボーンを、16バルブDOHCエンジンは低中速回転域のトルク向上を狙って、ルーツ式スーパーチャージャーを装着するなどアバルトの技術力を集結。

開発コードから『ランチア・ラリー037』と名付けられた1台のラリー車両が、1982年3月のトリノショーでワールドプレミアを果たすのでした。

そしてデビューシーズンの1982年は、開発目的の参戦の為マシントラブルが出てしまい悔しい結果が続きましたが、参戦2年目の’83イタリア サンレモラリーでの初日ターマックステージは1位から7位を独占。

最終的に1-2-3フィニッシュを達成するなど大活躍となります。

’83シーズンはライバルのアウディ クワトロを抑えて目標であったメーカー選手権のタイトル獲得に成功し、フィアットグループの総力を挙げて製作したマシンが見事栄光に輝きました。

しかし翌年は、アウディ クワトロの4WDシステムが完成の域に到達してランチア037は苦戦を強いられます。

さらに、プジョーのミッドシップ4WDカー『205ターボ16』がツールドエルス ラリーでデビューして、後半までトップを走行するパフォーマンスの高さを見せつけました。

そして、プジョー205ターボ16はデビュー3戦目の1000湖ラリーで、ランチア037より40kgも軽い車体を武器にA・バタネン選手のドライブで、あっという間に優勝を果たしてしまったのです。

当時、WRCの世界では、本格的に”4WDの時代”への転換期が訪れていました。

そして1984年シリーズチャンピオンは、4WDを武器にアウディ クワトロが獲得。

ランチアラリー037は、後輪のみの二輪駆動ながら善戦してシリーズランキングを2位で終えています。

 

ランチアラリー037エボリューション2/スペック

ボディタイプ 2ドア・クーペ
乗車定員 2名
エンジン スーパーチャージャー付DOHC4気筒
排気量:エボリューション2 2111cc
最高出力:エボリューション2 360HP
駆動方式 ミッドシップエンジン・リヤドライブ
サスペンション形式 ダブルウィッシュボーン
全長 3890mm
全幅 1850mm
全高 1240mm
ホイールベース 2440mm
車両重量 960kg

 

まとめ

 

ランチアラリー037 / 出典:https://www.favcars.com/lancia-rally-037-gruppe-b-1982-83-pictures-58803-1024×768.htm

 

1982年3月のトリノショーでデビューした『ランチア ラリー037』のボディデザインは”ピ二ンファリーナ”が手掛け、シャ-シは”ジャンパオロ・ダラーラ”が設計。

製作は”アバルト”というオールスターキャストで誕生したそのマシンは、流用のベースとなったベータ・モンテカルロに似た美しいフォルムでした。

アバルトの培った技術力と、ストラトスの実績を持つランチアの夢の合作ともいえるこのマシンは、ミッドシップ後輪駆動の限界を超える危険な香りを漂わせながらWRCラリーを駆け抜けます。

そして、フル参戦1年目の1983年に獲得したワールドラリーチャンピオンシップ メイクスタイトルは、2輪駆動車最後のチャンピオンマシンとして歴史に刻まれているのです。

 

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