モータースポーツの歴史を紐解くと、今の様に細かなルールで縛られていないが故に「アイディア勝負」なレースが数多く存在していました。その代表的な例である「Can-Amシリーズ」のエントリーリストの中に、「2ストエンジンを4つ搭載する4WD」という何だか凄そうなクルマを発見…。一体どんなクルマだったのでしょうか?まとめてみました。
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そもそもCan-Amってどんなレース?
1960年代終わりから1970年代にかけてアメリカで開催されていた「Can-Amシリーズ」。
賞金額が当時としてはズバ抜けて高く、ヨーロッパからF1ドライバーたちが”出稼ぎ”に現れるなど、世界的に盛り上がりを見せるシリーズでした。
このレース最大の特徴は、排気量・エンジン形式・すべてが自由という実質的改造無制限のレギュレーション。まさに「世界一自由なレース」でした。
ブルース・マクラーレン率いる強豪「マクラーレン」が絶対的な速さを誇る中、ファンカーや巨大なウイングを初めて実用化した「シャパラル」を筆頭に、レギュレーションのユルさを生かして数多くの発明的マシンも参戦。
ここで生まれた新技術は、モータースポーツの世界に数々のイノベーションをもたらしました。
発明家ボブ・マクアイザックの閃き
さて、今回ご紹介するこの「マックス イット スペシャル」。見た目からはそのスペシャルさを存分に察することは出来ないかもしれません。
このクルマを作った”マック”ことボブ・マクアイザックは、自動車用品店を営む傍ら発明家としても知られていました。
そんな彼が、「軽量・ハイパワーな2ストエンジンを4基積めば、パワフルなマシンが作れる」というアイディアを思いつくのです。
誰でも思いつきそうな単純なアイディアですが、彼の真骨頂はそれを本当に作ってしまう行動力でした。
至高の珍車「MAC’S IT SPECIAL」のひみつ
1970年、マックは前後に2ストロークエンジンを2基ずつ、計4基を搭載した「マックスイットスペシャル」を本当に完成させてしまいます。
パワーユニットに選ばれたのは、スノーモービルなどに用いられる110馬力のハイパワーを誇る2ストロークエンジン「ロータックス776ccエンジン」でした。
動力伝達の原理も独特で、4基のエンジンがそれぞれベルトを介して1本のプロペラシャフトを回し、前後のデフに動力を伝達する、というもの。
つまり、当時のレーシングカーとしては類を見ない4WD方式を採用していたのです。
エンジン回転はもちろんアクセルペダルひとつでコントロールするのですが、始動はひとつずつスターターを回す必要があったとのこと。
オイル循環も別系統の為、コクピットにはこんな風にズラリとメーターが並んでいました。
「海外レースのパイオニア」鮒子田寛がテストドライブを担当
このマシン、テストドライブを務めたのが鮒子田寛氏だったという事実も見逃せません。
後に日本人で初めてF1へのスポット参戦も果たす「海外挑戦のパイオニア」ともいえる彼。
この年トヨタワークスチームを卒業し、アメリカのフォーミュラAに挑戦する傍らスポンサーを募っていたのです。
そこに「Can-Amマシンに乗らないか?」と声をかけたのが、マックでした。
組み上がったマシンのテストコースに選ばれたのは、なんとサーキットではなく飛行場。
事情は定かではありませんが、マックも「そもそもまっすぐ走るか」を心配していたのかもしれません。
総出力440ps、車重635kgの4WDというスペックを誇るこのクルマ、その感触は決して悪くないものでした。
しかし、その構造的な落とし穴はすぐに判明してしまいます。
鮒子田がフルブレーキングをした途端、なんとプロペラシャフトが突然折れてしまったのです。
このマシン、実は4WDには必須のセンターデフが組み込まれておらず、ブレーキングで発生した前後車軸の回転差でプロペラシャフトがねじ切れていました。
アイディアが独走した結果、クルマとして必要な構造がすっぽり抜けていた…それでもマックはめげることなく、再び大胆な解決策を見出します。
実戦デビュー強行!!しかし結果は…。
マックス イット スペシャルは前後にエンジンを積んでいる為、プロペラシャフトなしで前後別々に駆動することが可能です。
そこで彼はプロペラシャフトを取っ払い、なんと第9戦ラグナ・セカに鮒子田のドライブで実戦デビューを強行したのです。
しかし結果は…エンジンの調整不足でまったくパワーが出ず、予選すら通過出来ませんでした。
予選でのラップについてはシャパラルの30秒落ち、このマシンを除いた最後尾からは13秒落ち、という散々なものに終わってしまいます。
こうしてマックス イット スペシャルは、「鮒子田寛のCan-Amフル参戦」とともに幻となってしまったのです。
まとめ
発明王マックの「偉大なる野心作」はいかがでしたか?
歴史を振り返れば”野心的な挑戦”を行ったレーシングカーは数多く存在しますが、ここまで振り切ったアイディアを形にしたものも珍しいと思います。
マックのアイディアをカタチにしてしまう行動力と、安全の保障など無いマシンをドライブした鮒子田寛氏の勇気に、心から敬意を表したいところ。
歴史上のミラクルなクルマたち、Motorzでは発見次第またご紹介していきたいと思います!
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