日本製4輪車ではマツダだけが市販化に成功したヴァンケル・ロータリーエンジン。中でも初期の10Aや13Aを経て、マツダロータリーの天国と地獄を味わったと言えるのが12Aです。マスキー法対応でクリーンエンジンと思われたのもつかの間、オイルショックにより評価は地に落ちますが、「技術で受けた屈辱は技術で返す」というマツダの技術者魂で劇的な復活を果たしたのです。
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レシプロで1,800ccクラスを狙った12A
1967年にコスモスポーツ、1968年に2代目ファミリアに搭載された日本初、そして2ローター式としては世界初のヴァンケル式ロータリーエンジン10Aは、レシプロエンジン(ピストンエンジン)で言えば1,500ccクラスに相当するエンジンでした。
レシプロとは構造が違うので単純な排気量ではなく、自動車税法上はロータリー換算で1.5倍となり、排気量491cc×2×1.5で1,473ccというわけです。
そのため乗用車用としてファミリアまでは適当と言えましたが、大きい新型車に搭載するには、より大排気量ロータリーが求められました。
そこで登場したのが573cc×2×1.5で1,719ccとなる12Aで、1970年に登場した新型カペラに搭載されています。
なお、10Aから12Aへの変更は基本的にはローターハウジング幅(ローターの厚み)を増しただけで、以後13Bなどマツダロータリーはほとんどこの方法でローターハウジング幅を増すか、単純にローター数を増やすことで成立したエンジンでした。
(※もちろん、基本構造がそうだというだけで、細かい部分は全く別物です。)
排ガス規制や燃費改善のため、12Aに開発資源を集中
12A登場後もファミリアやサバンナ用として生産が続けられた10Aですが、厳しい排ガス規制や燃費改善に注力するため、マツダは1973年にファミリアをモデルチェンジしたタイミングで10A搭載車を廃止、サバンナも1974年11月で10Aを廃止、12Aに一本化します。
当時のヴァンケルロータリーは、華々しいデビューを飾り「未来のエンジン」ともてはやされた短い黄金期を過ぎており、排ガス対策や燃費改善に努力してもレシプロエンジンに対して優れているところの少ないエンジンになりつつありました。
NOx(窒素酸化物)が少ない一方、燃焼室内で燃料が完全燃焼しづらいため、未燃焼燃料によるHC(炭化水素)排出が多いのがヴァンケルロータリーの欠点です。
12Aの初期排ガス対策版(REAPS1)はサーマルリアクターと呼ばれる排ガス浄化装置を使うことでアメリカの厳しい排ガス規制「マスキー法」をクリアしていましたが、HCを減らすための排ガス強制再燃焼には排ガスをかなり濃くする必要がありました。
そのため燃料をより多く必要とされ、排ガス規制をクリアする一方で、元々それほど良くなかった燃費はさらに悪化したのです。
おかげで「大排気量V8エンジンより燃費が悪い」とアメリカの当局から批判され、マツダロータリーの評価は一気に最悪になってしまいました。
折しもオイルショックで燃料代の急騰が問題となっていた時期で、マツダ以外のメーカーのほとんどはこの時期、ヴァンケルロータリーに見切りをつけています。
それでもマツダは一旦「ロータリーのマツダ」を印象付けてしまった以上はロータリーでイメージ回復するしか無いと、12Aの改良を続行しました。
不死鳥のごとくよみがえれ!フェニックス計画
12Aの復活には、燃費を改善しつつ排ガス浄化を行うことが不可欠です。
そこで始動したのがフェニックス計画で、技術上の問題で地に落ちた評価は、技術で取り戻そうというものでした。
燃費悪化の元凶となっていた、濃い排ガスでしか作動しないサーマルリアクターを薄い排ガスでも作動させるべく、担当技術者が自宅の台所を滅茶苦茶にして奥方が血相を変えるまで実験した結果、根本的な解決策を発見。
「サーマルリアクター自体の熱で、排ガスと混合する二次空気を温めれば薄い排ガスでもサーマルリアクターは作動する。つまり燃費は良くなる。」
その他にもさまざまな改善を行ない、1975年に登場した改良型12A(REAPS5)では40%もの燃費改善を達成しました。
その結果、サバンナに続く純ロータリーピュアスポーツにGOサインが出たのです。
それが開発コードX605、後の初代サバンナRX-7でした。
三元触媒への変更と希薄燃焼や補助ポート追加
フェニックス計画で開発されたREAPS5によりサーマルリアクター方式での排ガス浄化 / 低燃費化に目途をつけた12Aは、初代サバンナRX-7の登場(1978年)を促しました。
しかし技術の進化は早く、1979年には早くも三元触媒を採用した次世代12Aが登場します。
その場合、サーマルリアクター方式とは逆に排ガス温度を下げるため、燃焼の安定化や希薄燃焼化のために対策が行われました。
なお、希薄燃焼化と言っても酸素と燃料の混合気を過不足無く反応させる理論空燃比に持って行っただけで、後のリーンバーン(希薄燃焼)エンジンとは意味が異なります。
そして、REAPS5の段階でもまだリッチ(濃い)だった燃料をもっと薄くしたことで、さらに燃費は向上しました。
その後、1981年にはエンジン負荷に応じて開度が調整される補助吸気ポートがセカンダリーポートに追加された6PI版12Aが登場し、さらなる燃費向上と低速トルクの改善が行われたのです。
ターボ+EGIで最後の進化
1982年には「全域・全速ターボ」と名付けられた12Aターボが登場します。
低排出ガス・省燃費化を達成していた6PI版12Aでしたが130馬力という出力は当時のマツダが持っていた2リッターSOHCエンジンMA型(120馬力)よりはマシだったものの、重量級のコスモやルーチェにはやや物足らず、サバンナRX-7にもより動力性能が求められました。
ただ、当時のターボチャージャーは「大排気量エンジン並のパワーを小排気量で実現する」という、今で言うダウンサイジングターボのようなコンセプトとして認められており、実燃費はともかくカタログ燃費が良く無いと運輸省(現在の国土交通省)から認可が降りません。
そこで燃料供給をキャブレターからEGI(電子制御燃料噴射装置のマツダ名)に変更し、省燃費対策も行った上で日立製ターボチャージャーと組み合わせ、160馬力にパワーアップした12A-Tがコスモとルーチェに搭載。
翌年にはサバンナRX-7にも追加されます。
そして、1983年には同じ日立製でも小型化したタービンに換装して低回転からの実用性が向上、165馬力に出力向上したバージョンが登場し、これが市販車用12Aとしては最後の改良になりました。
ハコスカGT-Rに引導を渡した12A
市販車用主力ロータリーとして、13Bがその座につくまでの重要な橋渡し役を果たした12Aですが、モータースポーツの世界でもいくつかの重要な役割を果たしています。
その代表的な例がツーリングカーレースで、10Aを搭載したファミリアがそのパワーはともかく小型軽量すぎてコーナリングパフォーマンスやウェットコンディションでの安定性を欠き、”ハコスカ”スカイラインGT-Rには苦戦していました。
それに対し、12Aを搭載したカペラやサバンナはGT-R陣営からの要望で開発範囲を一部制限されるなどロータリーハンデがありながら、1971年半ばには早くもGT-Rに土をつけ、以後その神話を崩してGT-R以上の勝利数を積み重ねていきます。
また、アメリカのIMSAレースへ初代サバンナRX-7に搭載されて参戦した12Aは、既に開発の主体が13Bに移る中でもそのフィードバックを受けて改良が続けられ、GTUクラスに多く見られました。
結果、通算67勝を上げてIMSA史上初の5年連続マニュファクチャラーズチャンピオンを獲得。
単一車種での最多記録更新という大きな成果を上げました。
ほかにも富士GCレースなどへの参戦記録もありますが、純レーシングカーやシルエットフォーミュラによるレース活動は12Aで続けるよりも13Bで発展させていく方が望ましかったこともあり、1976年には早々に13Bへ切り替わっています。
まとめ
日本初の実用ヴァンケルロータリーだった10Aや、後に最後のマツダロータリー(※2017年8月現在)として長年活躍する13Bの間でやや印象の薄い12Aですが、マツダロータリーのもっとも苦しい時期に困難を乗り越えた名機でした。
栄光と挫折、そして不死鳥のごとき復活によって、「ロータリーのマツダ」はこの12Aによって真の確立を見たと言っても過言ではありません。
思い切って13Bへ全面的に切り替えるのではなく、一度挫折して最悪のエンジンのような扱いを受けた12Aを切り捨てずに再評価させたことは、後の13B復活でも見せた「マツダロータリー魂」にとって重要なポイントだったと思います。
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