現在はスカイラインと全く別物となっているGT-R。かつてはスカイラインGT-Rとしてレースで活躍し、日産のスポーツイメージに大きな影響を与えました。しかし「ハコスカGT-R」こと初代スカイラインGT-R、PGC10 / KPGC10のレース車を開発した旧プリンスの追浜ワークスが歩んだ道は決して平坦ではなく、むしろ苦闘の連続だったと言えるのです。

 

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ハコスカR前史・S54Bから本格レーシングカーR380へ

 

出典:https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=34

 

スカイラインGT-Rの歴史をたどると、1964年5月の第2回日本グランプリまでさかのぼります。

前年の第1回日本グランプリで惨敗を喫したプリンスは、ファミリーセダンにグロリア用2リッター直6SOHCエンジンG7を強引に搭載した、スカイラインGTでレースに挑みました。

今年こそライバル不在、圧倒的勝利…と思われたプリンスでしたが、直前に本格レーシングカー・ポルシェ904が突如輸入され、エントリー!圧倒的な速さでレースをリードします。

結果的には2人のドライバー、式場 壮吉(ポルシェ904)と生沢 徹(スカイラインGT)の人間関係もあり、「1周だけスカイラインGTがポルシェの前を走る奇跡」が生まれました。

しかし、公道用タイヤを履き、予選のクラッシュで真っ直ぐ走らなくなってしまったポルシェに全く歯が立たなかったのもまた事実で、それをきっかけに「ポルシェにも対抗できる本格レーシングカー」プリンスR380が誕生したのです。

 

R380の心臓で、レースに勝つ!

 

Photo by Alden Jewell

 

グループ6レーシングカー、R380でトップカテゴリーのレースを戦う一方、ツーリングカーレースではスカイラインGT(S54B / S54CR)が引き続き活躍していました。

1966年8月にプリンス自動車が日産に吸収合併されて以降もそれは続きましたが、規則改正でレース用のS54CRに使われていたクロスフローエンジン「GR7Bダッシュ」が1967年から使えなくなってしまいます。

その結果、再びG7を搭載したスカイラインGTの戦闘力低下は明らかで、1968年の日本グランプリでトヨタ 1600GTに敗北を喫すると、ツーリングカーレース用に新型エンジンを搭載したニューマシンが求められました。

そこで白羽の矢が立ったのがR380用GR8をデチューンしたGR8Bと、1968年8月にデビューした新型のC10型スカイラインです。

当初から直列6気筒エンジン搭載を念頭に開発されたのでバランスにも優れており、ここにGR8Bをベースにした市販型エンジンS20を搭載すれば、強引に作られたS54Bのようなジャジャ馬ぶりも無く、十分な素質を持っていると判断されたのです。

こうして1968年12月、日産自動車第2特殊車両課(通称・追浜ワークス)によりツーリングレース用ニューマシン計画は始動、PGC10ベースのレース用実験車が谷田部や富士スピードウェイで走り始めました。

 

PGC10スカイラインGT-R、誕生

 

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テストの結果、初走行の段階で既にS54CRと同程度のタイムを出し、良好な感触を得たのですぐに実戦投入が決定します。

そして、引き続き仕様確定のためのテストを続け、1969年2月には最初の市販型スカイラインGT-R、PGC10も発売されました。

ただし、PGC10がデビューした当時の価格は154万円。

現在の価値に換算すると約940万円ほどで、R35GT-Rを買うようなもの。

走行に必要な装備以外は全てオプションとして軽量化されましたが、当時のC10系スカイラインには4ドアセダンしか無く、GT-Rも必然的に4ドアでデビューしています。

そのためヒーターすらオプションとして軽量化した、レースで勝つための車というより、単純に「一番高級なスカイライン」として、実際の注文ではオプションフル装備の豪華仕様という例も多かったようです。

 

ほろ苦いデビュー戦、1600GTに「判定勝ち」

 

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発売後も精力的なテストを重ね、レース仕様を万全に整えた1969年5月1日、「’69JAFグランプリ」でいよいよPGC10スカイラインGT-Rはデビュー戦を迎えます。

激闘の相手は前年にS54スカイラインGTが苦杯を舐めさせられた小兵、トヨタRT55 1600GT。

性能的には圧倒的にGT-Rが有利だと思われたこのレースでしたが、クラブマンレーサーに門戸を開くための規則で「過去の日本GPで実績のあるドライバーは参加不可」とされたため、日産は強力なワークスドライバー陣を乗せる事ができませんでした。

その一方で有望な若手ドライバー育成に成功していたトヨタワークスは、絶妙なスタートを決めた4台の1600GTが1コーナーまでにはGT-Rの前に立ち、チームプレーでGT-Rの自滅を誘います。

これに対し経験不足で焦りが目立つGT-Rは苦戦。

ついに周回遅れのGT-Rがトップを走る高橋 晴邦1600GTを抑え、2位の篠原 孝道GT-Rに追いつかせるチームプレーまで駆使することに。

何とか左右に蛇行してGT-Rを押さえたままゴールした高橋1600GTでしたが、さすがにこれは走路妨害と判断され、優勝は篠原GT-Rにもたらされました。

 

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期待を一身に受けたPGC10スカイラインGT-R、そのデビュー戦は「判定勝ち」というほろ苦いものに終わったのです。

 

デビュー戦の反省から、熟成へ

 

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結果的に1600GTに引導を渡したとはいえ、明らかに性能で勝るはずのGT-Rが大苦戦したことは、開発陣に大きなショックを与えました。

そして、その後ただちに行われた検証では、以下の内容が苦戦の要因としてまとめられたのです。

・ドライバーの技量不足で最終コーナーでのスピンが相次ぎ、コーナー立ち上がりの失敗が最高速度に影響してホームストレートで圧倒的なパワーを活かせていない。

・寒冷時に開発したがレース時は気温が上がったため出力が低下していた。

・ミッションのギア比が最適化されていない。

・S54より大型で空気抵抗が大きいのに、規則で許された車重の軽量化に40kgほど余裕があるなど、仕様を詰めきれていない。

 

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ドライバーの技量不足だけでなく熟成不足までもが露呈した形で、セッティングさえ煮詰まっていれば1600GTにこれだけ苦戦するはずも無く、ドライバーが焦って自滅することも無かったということになります。

これを教訓として、特に以後のレースではなおさら気温が上がってエンジン出力低下が見込まれることから、冷却能力や耐久性向上、軽量化に重点を置いた熟成が図られ、GT-Rの連勝が始まりました。

 

2ドアのショートホイールベース版、KPGC10登場

 

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1970年10月、C10系スカイラインに2ドアハードトップが誕生し、GT-Rもセダンを廃止して2ドアに移行しました。

2ドア化でBピラーが廃止されるため不足するボディ剛性を補い、かつ運動性能を向上させるためホイールベースは70mmも短縮(全長も65mm短縮)、全高も15mm下がって、低く精悍なスタイルになります。

以降、BCNR33時代に限定版の4ドアGT-Rが販売された例外を除けば、スカイラインGT-Rは全て2ドアとなりました。

(※R32時代にNA仕様のRB26DEを搭載した4ドアのオーテックバージョンは、GT-Rではありません)

もちろんレース用のベース車もKPGC10に切り替えられ、村山テストコースで使い古された2ドア試作車をレース仕様実験車に改造、同年10月23日に富士スピードウェイでシェイクダウンされました。

 

単なる「短いGT-R」ではなかった、KPGC10の超ベストバランス

 

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早速テスト走行を始めたKPGC10レース実験車ですが、ある程度予想していたとはいえ、4ドアのPGC10に比べ、圧倒的な速さを見せつけます。

それは、PGC10の感覚で攻め込むとオーバースピードにより、転倒クラッシュしてしまうほどの勢いで、軽量化と空気抵抗の減少、空力バランスの変化でリアのリフト(高速時に浮いてしまう現象)も小さくなり、リアウイングの効果も顕著になりました。

それでいてショートホイールベース化で心配された直進安定性には何の問題も無く、むしろ乗りやすいという評価を受けたのです。

また、PGC10で連勝を重ねている間に熟成もされ、最高出力253馬力に達していたS20エンジン(最終的に264馬力へ)も抵抗減少と軽量化で吹け上がりが早くなり、素晴らしいマシンになるのは確実でした。

そして、リアのリフト減少で相対的にフロントが浮き、アンダーステア傾向が強くなったのもフロントスポイラー装着で解決。

 

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このKPGC10をもって、「ハコスカ」スカイラインGT-Rはついに完成の域に達したのです。

 

マツダ・ロータリーとの苦闘と、その終焉

 

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PGC10、そしてKPGC10が数々のレースで勝利を積み上げていたこの時期、スカイラインGT-Rのライバルとして念頭に置かれていたのはトヨタのターボ車(コロナマークIIXR)やマツダのロータリーエンジン勢でした。

中でも一大勢力となっていたマツダワークスは、ファミリアロータリークーペから始まってカペラ、サバンナと新型車が出るたびに力をつけてきており、1971年7月の富士1000km、同年8月の富士500kmではカペラが勝利(クラス優勝)しています。

KPGC10のデビューで初代スカイラインGT-Rは完成の域に達したものの、もはや強力なライバルに対して常勝とは言えなかったのです。

 

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それでも雨が降ると、マツダロータリー勢に対しスカイラインGT-Rの安定度は際立っていました。

ウェットコンディションとなると途端にタイムの落ちるカペラやサバンナに対し、抜群のトラクションで激しく水しぶきを吹き上げながらストレートを駆け抜けるGT-Rは、最後に「全天候レーシングカー」としての強みを見せたのです。

しかしそれも1972年10月を最後に日産ワークスのGT-Rが撤退するまでの話で、以降も走り続けたプライベーターのGT-Rは、上位を占めるサバンナやセリカターボの中に埋もれていきました。

S20エンジンの2.2リッター化など戦闘力を上げる手段は残されていましたが、もはやレースの勝利より、環境対策へ全力を上げなければいけない時代が来ていたのです。

 

初代スカイラインGT-R(PGC10 / KPGC10)の代表的なスペックと中古車相場

 

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日産 PGC10 スカイラインGT-R 1969年式

※()内は1970年式KPGC10

全長×全幅×全高(mm):4,395×1,610×1,385(4,330×1,665×1,370)

ホイールベース(mm):2,640(2,570)

車両重量(kg):1,120(1,100)

エンジン仕様・型式:S20 直列6気筒DOHC24バルブ

総排気量(cc):1,989cc

燃料供給:ミクニソレックスN40PHH×3

最高出力:160ps/7,000rpm (レギュラー仕様は155ps)

最大トルク:18.0kgm/5,600pm(レギュラー仕様は17.6kgm)

※出力・トルクはいずれもグロス値

トランスミッション:5MT

駆動方式:FR

新車価格:150万~154万円

※現在の貨幣価値に換算すると940万~950万円

中古車相場:2138.4万円~その他ASK

 

まとめ

 

スカイラインGT-Rの歴史は市販車よりレースの歴史、というイメージが強いので、今回はあえて市販車のことにはほとんど触れておりません。

また、S20エンジンについても別記事で触れているので、そちらも是非ご覧くださいね。

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【前編】 / 【後編】

PGC10 / KPGC10初代スカイラインGT-Rの連勝記録や最終的な勝利数は、カウント方法により諸説ありますが、いずれにせよ1973年11月のレースを最後に完全に姿を消すまで戦い続けた4年半での勝利数は50勝を超え、レース界に偉大な足跡を残しました。

決して最強マシンでは無かったかもしれませんが、その戦いぶりは伝説と化し、2代目KPPGC110が極めて不完全燃焼に終わったこともあって、やがて「スカイラインGT-R復活待望論」が活発になります。

その波はやがて、「本物の最強、規格外マシン」BNR32スカイラインGT-Rとして結実することになりました。

今やGT-Rはスカイラインと全く別の車になりましたが、PGC10 / KPGC10で日本最強を目指したあの頃の魂は、まだ生き続けているのです。

 

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