燃料をドンと濃くぶち込み、大径タービンをドカンと回しながら高回転をキープして走った時、そのマシンは真の姿を現す。電子制御のコントロールなどほとんど無いままに。現在ではそのような車は無くなりましたが、90年代までは「走る以外に何も無い」という、安価で野蛮なクルマが数多くありました。その20世紀最後のリトルモンスター、ダイハツ ストーリアX4(クロスフォー)をご紹介します。
CONTENTS
ダイハツのモータースポーツは、日本グランプリからサファリを経て、舞台は国内へ
今ではトヨタの100%子会社になり、軽自動車を含むコンパクトカー部門と化した印象の強いダイハツ。
1960年代の戦後日本モータースポーツ草創期以来、モータースポーツにはとても熱心なメーカーでした。
各種レースに日本グランプリではP-3を経て、ポルシェ907を縮小したようなP-5といったグランプリカーで参戦。
トヨタとの業務提携で傘下に入って後はラリーやミニカーレースで活躍し、FFコンパクトカーの傑作。
シャレード以降は輸入先の現地ディーラーからの要請で、モンテカルロやサファリを頂点に国際ラリーでも活躍しました。
80年代後半から国内ラリーではミラTR-XX 4WDを投入してスズキ アルトワークスと互角に戦いますが、常にその中核を為していたのが、名門クラブDCCS(ダイハツ・カー・クラブ・スポーツ)を中核にしたダイハツワークス、DRS(ダイハツレーシングサービス)です。
スズキスポーツとの激闘と「ダイハツX4シリーズ」
1991年、3代目L210S型ミラの4WDターボモデル、TR-XX X4をベースに内外装の簡素化と専用ターボチャージャー、クロスミッションを搭載したTR-XX X4R(クロスフォーアール)が誕生。
同時期のアルトワークスやスバル ヴィヴィオRX-RAと全日本ラリーで激闘を繰り広げます。
1995年には4気筒DOHCターボの4代目L512S型ミラ・アヴァンツァートTR-XX X4にモデルチェンジして、スズキスポーツ最新マシンに決戦を挑みます。
しかし、歴代最強モデルと言えるHB21S型アルトワークスRにラリー、ダートトライアルともに太刀打ちできず、ついにダイハツとDRSは最後のカードを切ったのでした。
旧時代ダイハツ最後の怪物、ストーリアX4誕生
それが1998年2月にデビューした新型コンパクトカー、ストーリアをベースにした新型モータースポーツベースマシン、ダイハツM112SストーリアX4(クロスフォー)です。
基本形のストーリアは、1998年10月から以降予定の新規格軽自動車とプラットフォームを共用しており、言うならば「大きいミラ」そのものでした。
サスペンション形式や駆動方式、ミッション、エンジン搭載方法なども同じです。
ミッションは2代目G11型シャレード以降を改良の上で基本的には同じものを搭載、新規格軽自動車も現在に至るまでマニュアルミッションの中身は共通になっています。
クラッチは新規格軽自動車用4気筒のJB-DET、あるいは3気筒のEF-DET/VE/SEと同じものが使用可能。
4WDシステムもミッションからトランスファーを介し、プロペラシャフトまでは常時駆動、前後タイヤの回転差が生じた時のみリアデフ手前のカップリングを通して駆動伝達されるスタンバイ4WD、いわゆる「生活4WD」です。
ここまでは標準のストーリアもストーリアX4も大差無く、見た目ではメーター類が異なるくらいでしょうか。
では、どこが標準のストーリアと異なったのでしょう?
ストーリアX4が標準のストーリアと異なる部分
・直列4気筒DOHC713ccインタークーラーターボエンジン
・ブースト調整式アクチュエーター搭載タービン
・インタークーラー冷却スプレー(製造時名目上はインタークーラーウォッシャー)
・専用エンジンコンピューター
・1~4速の減速比がクロスしたクロスミッション
・前後のデファレンシャルギアに、いずれも機械式LSD(F:1.5WAY・R:2WAY)を標準装備
・(排気量にしては)大径マフラー
・(初期型のみ)メタルクラッチ、または(それ以降)強化クラッチ標準装備
・(後期型を除き)強化サスペンション
・パワステ、エアコンはオプション
他にも後に変更された部分がりますが、ここでは省略します。
つまり、見た目はストーリアの最廉価版そのものでありながら、中身は全くの別物だったというわけです。
なりふり構わぬ713ccメーカーチューンド、JC-DET!
前述の通り、足回りやパワートレーンを新規格軽自動車と相互に流用可能な柔軟性を持っていたのがストーリアです。
選択されたエンジンは、L512SミラX4用の660cc 4気筒DOHCターボエンジン、JB-JLのメーカーチューンド版、JC-DET。
新規格版のムーヴやMAX、後にコペンに搭載されたJB-DETの先行開発版という意味合いを持っており、後述する初期型はJB-JLに近く、それ以降はJB-DETに近い別物のエンジンになっています。
排気量は、当時のターボエンジンとNAエンジンの性能をイコール化するため、モータースポーツで課せられていたターボ係数(排気量×1.4)で1,000ccに収まるようストロークアップ。
「モータースポーツでスズキスポーツに勝つ」ただそれだけのために、ギリギリの713ccまで拡大したのです。
組み合わせられたタービンはIHIのRHF-4で軽自動車用としてはオーバーサイズ、それに高回転高出力のインペラを組み合わせた、「超どっかんターボ仕様」。
これにより、メーカー公称値では120馬力、リッターあたり出力168.3馬力と当時のレシプロエンジンでは排気量あたり出力が世界最高でした。
ただし、公道を走る乗用車としてのバランスはほとんど配慮されておらず、低速トルクはスカスカな一方、タービンがその力を発揮する4,500回転から爆発的なパワーを叩き出し、そのままレブリミッターまでブースト圧のままに吹け上がります。
エンジンよりはタービン次第なクルマで、タコメーターよりはブースト計を見ていた方が早かったくらい、速く走るためにはとにかく高回転でブースト圧を最低限、正圧に保つ必要がありました。
スズキに勝つという使命を背負って生まれたストーリアX4。
次のページでは、モータースポーツでの活躍、マイナーチェンジごとのモデルや、中古車を買う時の諸注意など、まだまだたっぷりご紹介します。