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日本のレース業界での活躍はもちろん、ドリフト業界でも先駆者として有名な”ドリキン”こと土屋圭市氏。Motorz編集部では、そんな土屋圭市氏に突撃取材!過去のレースエピソードや当時置かれていた環境など、色々と聞いてみました。

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レーサー駆け出しの頃は「1週間に10日走っていた」 ??
編集部をはじめ今の20代の車やレース好き達に車への物心がついた頃には、土屋圭市さんはGTレースを引退されていたと思います。
しかし、現役当時を知らない私たちからしても、憧れのドライバーである事は間違いありません。
そんな土屋さんの事をネットで検索してみると、色々な伝説や情報が飛び交っていますが、実際のところはどんなレース活動を行なっていたのでしょうか。
土屋圭市さん本人に、お話を聞いてみました。

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ーーー「ドリキン土屋圭市」というと車好きレース好きは知っているフレーズですが、正直なところ我々20代にとっての土屋さんってGTレースを引退した後のチーム監督やDVD企画で走っているイメージが強いんです。
レースを始めた頃や現役ドライバー時代は、どのような活動をされていたのですか?
よく言われるんだけど、『峠からレース』ではなくレースで勝つために練習のための峠だったんですよ。
18歳で免許を取って21歳でレースを始めて、峠で練習をしてた。みんな逆だと思ってんだよね。
昼夜働きながら峠に通い続けたけど、嫁に「あんたは1週間に10日は峠にいたよねぇ」なんて言われたことがある。
朝も峠に行って、夜も行ってみたいな。
富士で練習するにも長野の家から片道7時間、練習費用は5,6万円もかかる。そんな金はない。
レースを始めた当初は自分で組んだエンジン、ミッション、デフだからね。遅いよね。
富士に行ってみたら全部専門ショップがエンジン組んでるっていう。「そんな金ねぇよな、自分で組むか」って。
工業高校の自動車科に通ってたし、授業でエンジンもミッションもデフもバラすからね。で、組み立てるっていう。
自動車科はそういう授業ばっかりやってるから。
しばらくして神奈川の倉田自動車がレースを見てくれてて、「お前、いいエンジン積んだら勝てるだろう?」ってなって、「そんな金ねぇっすよ」「じゃぁ貸してやるよ」って。で、借りたら3位だった。
とはいえトップ連中が使うエンジンとは違うもの。じゃぁもう「うちのエンジン出してやるよ」で、1位取っちゃった。
最初はレースでは飯が食えない、食えない。1レース、20万~30万かかるわけだから、そんな金はないよね。夜昼働かないと。
いつ頃だろう、ミラージュカップやって、F3やって、フォーミュラミラージュやって、これで飯食えるなっていう。
年間300万ぐらいにはなるわけだね。1984年に300万貰ったのかな。
もう夜昼働いて。1985年から働かなくなったの。300万あれば生きていける。
奥さんからは「25歳でプロになれなかったらやめてよ」と言われ、26歳でプロになった。
25の時に「300万じゃ生きていけないよ」ってなって、26歳でヨコハマタイヤと契約して500万もらえるようになったのかな。
プロのレーシングドライバーとしての活躍

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ーーーレーシングドライバーとして活躍していく中で、一番辛かったシーズンは?
1985年、グループAアドバンカローラハチロク。「滑らしちゃいけない」「勝つことだけ考えろ」って。「遊んでんじゃねぇ」「ドリフトすんじゃねぇ」みたいな。ツマンネぇ(笑)。
滑らせて走ることは俺的には速いと思っていた。それを肯定するようになったらミハエル=シューマッハが出てきちゃったからね。
それまでのセナやプロストはハンドルを切ったまま曲がっていく。シューマッハになってからカウンター当てまくりでコーナーを曲がる。ほれみろ、と(笑)。
アドバンカローラは1年で辞めた。
ワークスは確かに給料がいいんだけど。トヨタからも貰えて、ヨコハマからも貰えて。でも面白くない。
やっぱプライベーターに戻ろう、ってなって坂東商会に戻った。こっちの方が楽しいじゃん。
それで坂東商会に戻ってからもワークスに勝てた。車的には絶対敵わないけど、温室育ちのやつに負けるはずがないっていう根性的な部分があったと思うなぁ。
ワークスの連中は「タイヤが垂れました」「アンダーが強くてダメでした」みたいなこと言うけど、坂東さん(現GTA会長)にそんなこと言ったら「ふざけんな!この野郎!」って蹴り入れられるからね(笑)。
とにかく工夫した。それでなんとかした。
GTマシンに乗るようになってもタイヤがタレてからが速かった。滑らないっていうのは最初の10周、15周だけだよね。やっぱりタイヤはタレるから、磨耗するし。そうなった時は「滑る車をどうするの?」っていうことだよね。
タイヤがタレてくると2,3秒落ちるけど、「じゃぁ1秒半くらいでいいんじゃない?なんとかしましょう」って。
ホンダドライバー時代の今だから笑えるエピソード

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ーーーレーシングドライバーをしていて何か意地悪されたことってありますか?
ホンダではちょっと意地悪された。ハシケンさん(橋本健さん)にね。ホンダのドライバーとして認められる前は。認められてもやっぱりされた。
NSXのル・マン仕様テストの時も「ちょっと後ろが弱いような気がする」「何が弱いんだよ?」「ロールスピードが速いと思う」「じゃあ直してやるよ」って直して、「よし行け」ってピットアウトして、2,3周回って帰ってきて、「どうだ、こっちの方がいいだろう?」「いや変わんないと思います」「そんなはずねえよ、こっちの方がいいだろう?」「いや、変わんないと思います」「そうか、何もやってねえよ」「ええ?」って。
シルバーストーンでもル・マンのテストやってて、「あと400グラムぐらい(バネレートを)硬くしてもいいと思いますよ」「やってみるか」、カチャカチャやって「お前降りなくていいから。これで行ってこい」、行って帰ってきて「さっきのがいいか?」「変わんないんじゃないの?」「そんなはずねえだろ、400グラム硬くしたんだから。お前が400グラムって言っただろ?」「はい。っていうか変わんないと思う。じゃあ800にしましょう」「そっか。何もしてねぇよ」って(笑)。
市販車のテストもそうだし、タイヤテストもそうだし、レーシングカーのテストもそうだし、毎日乗ってるやつには絶対敵わない。毎日乗ってるから、基準があって違いがわかる。
引退のきっかけは鈴木亜久里氏

©鈴鹿サーキット
ーーーGTドライバーの引退を決めたきっかけって何ですか?
きっかけは亜久里だよね。2003年の開幕戦で道上龍に負けて、「圭ちゃん、そろそろ終わりじゃねぇ?」って言うから「鈴鹿で道上に勝ってやるよ」って。当時、道上がホンダのエースだったから。
でも、夏ぐらいかなぁ亜久里が「圭ちゃん、いい時に辞めるとかっこいいよ」「みんな見てみな。落ちぶれてから辞めてんだよ。あれカッコ悪いよね」って。「じゃぁ、今年いっぱいでやめるか」って。
その年の夏ぐらいには決めてたからね。道上に勝ってやめるって。
あまり現役への執着心はなかった。やっぱ先輩見てきて、落ちぶれて辞めてく。あとは、落ちぶれて消えてくっていう人が多かったんで、「だったらいい時に辞めるかあ」って。
「ドライバー」から「チーム監督」へ

©️ARTA Project
ーーープロ野球選手とかのイメージなんですが、いきなり監督やると結構うまくいかなかったりするじゃないですか。監督業も経験されて、ドライバーと監督業の違いとかって何かあるんですか?
俺はできるのになんでお前にはできないの?って思うよね。
成績によっては亜久里と俺はドライですよ。予選のタイム悪かったら「飯勝手に食いに行け」って。成績いいとドライバー連れて飯行くし。プレッシャーですよ。ARTAきたら怖いですよ(笑)。
ARTA来たら「うちでお前何年走れるの?」って言うところから始まる。1年目は。アドバイス的なことはレースが終わった後にする。「優勝できたはずなのに、なんで2位なの?」「最終コーナーで追い風吹いたって無線で言っただろ?」「頭使え」って。
追い風だと、逃げる所をゴールの100メータ―前ぐらいにしないと。その手前でやられちゃうと、追い風だと両方追い風だから100分の1秒か2秒差が出ちゃう。
向かい風だとずーっと付いてきて、ゴール手前でパンと逃げれば、ものすごい風圧が後ろにかかって絶対勝てるからっていうのは教えるよね。教えてもできないやつは、「何でできねえの?」っていう。
それができる高木真一は、ほぼ100点。言った通り走る。「タイヤ垂れてきました」「縦か横か?」「縦がやばいです」「じゃ、縦あんまり使わないで横使え」「はーい」。他のドライバーはできない。
若手のドライバーは「深く考えない」。
真一なんかだと、「追い風だからね。最終コーナーからスリップ逃げろよな。どこで逃げるか分かってるよな」「はい」。
若いドライバーは分からないんだろうね。追い風でストレートが何キロ伸びる、向かい風でストレートが何キロ落ちるっていうのが。ベテランになると、1コーナーのブレーキングが追い風と向かい風で5メーターぐらい違うもんね。
若いドライバーの場合は、同じシチュエーションでも同じ所でブレーキングして、追い風で飛び出すっていう。
車としては今の方が性能よくなってその差は短くなってるよね。昔の車の方がダウンフォースがないから、風で7メーターぐらい違うよね。今は5メーター以内だよね、ブレーキングポイントもね。
ARTAのドライバーはペナルティを受けたことがない??

©️Chika Sakikawa
ーーーレースで勝つために、戦い抜くためにARTAではどのような取り組みをしていますか?
うちはいちいち無線を飛ばす。「この先の8番ポストイエロー。イエローだけど、7番ポストのコース真ん中から左側にかけてパーツが転がってる。インインで走れ」とかね。
ドライバーに走る以外の情報を与えない。「お前は走ることだけ考えな、周りの情報は俺が送るから」「余計なこと考えなくていいよ」って。ぶつかるのはレース中だからしょうがないけど、変なペナルティでうちがピットストップとか、そんなの一度もないよ。
ARTAはモニターを3人で見てる。JSPORTSとテレビ東京のモニター以外にコース内だけを見てるモニターも。俺よりもエンジニアが先に気づいて無線を飛ばす時もある。
一番重要なのはペナルティを食らわないこと。黄旗追い越しほど無駄なものは無い。
ストレートのパーツなんか、すんげえ細かく言うよ。「ブレーキング200メーター手前から落ちてるぞ。だから200メーターからはインライン取っていけ。インインで1コーナー回れ」「ええ?」みたいな、「いいから1コーナー、インインで回れ」って(笑)。
つまんない所でパーツを踏んでパンクなんかしてポイント失うんだったらさ、ドライバーには、できるだけ走るだけに専念させるっていうのがうちの方針。うちをクビになったドライバーは苦労すると思うよ。他のチームはそんな細かい指示ないから。
今のレーシングドライバーにとって必要なスキルとは?

©️Motorz
ーーー今のレーシングドライバーにとって必要なスキルとか一番大事なのはこれだなみたいなのは、土屋さんの時代と比較して違うのかなっていうのと、同じなら同じで、これは絶対あった方がいいよねみたいなものってありますか?
今のドライバーで速くて当たり前ってのは、荒聖治、松田次生、小暮卓史、塚越広大、本山哲。何でこいつらが速いかっていう理由は、確実に俺と同じことをやってるっていうことだよね。1週間に10日乗ってる。少なくとも3日か4日は乗ってる。
高木真一レベルには言ったよね「ピアニストで、月に2回か3回しか練習しない奴のコンサートに、お前行く?」「一緒なんだよ、プロって。毎日弾いてるピアニストの音だから、コンサートに行って感動するんだよ。お前らみたいに月に1回か2回しかレースやらねえやつのレース、誰が金払って見んだよ。誰がそんな技できんだよ」。「勉強したって、毎日やってなきゃこんな技使えねえよ」。
荒や松田、小暮は自分の車でミニサーキットとか走ってる。本山、塚越は自分ちのカートでほぼ毎日走ってる。人には言わないけどね。
ーーーちなみに今後期待しているドライバー、使ってみたいドライバーはいますか?
ここんとこ面白いのが関口雄飛とか。
DENSOの平手晃平、あれも根性あるよね。塚越広大、山本尚貴はいいレースするよね。
まとめ
「生涯現役」をモットーに、GTドライバーは引退するもレーシングドライバーとして今もステアリングを握り、チーム監督としてもチームの勝利のために戦い続ける”ドリキン”土屋圭市氏。
今回は土屋さんのレース活動にスポットを当てて、インタビューをご紹介しました。
そして実際に話を聞いてみると、「ドライビングの天才」ではなく、「努力の天才」という印象。
日頃から積み重ねた練習が研ぎ澄まされた感性となり基準となる。それが今の土屋さんの礎になっているのです。
次回は、カスタムカーやドライビングとの向き合い方などについても語って頂きましたので、そちらをご紹介していきます。
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